第2話 最強VS川魚
人界大陸の強国が一つ、王国領内。とある川のほとり。容貌魁偉に総髪と軽装、獣めいた形相の男が釣り糸を垂らしていた。傍らには
ひゅう。
軽やかに風が吹き、水面が揺れた。同時に、風とはまた異なる震えを、竿先の糸がもたらした。凶相の男はその容貌に似合わぬほどの細やかさで、竿を上げる。針には見事に、川魚が掛かっていた。男は笑みも見せぬまま、器用に魚から針を外した。そのまま魚籠へと放り込む。魚は先達と一緒に、ピチピチと跳ね回った。
「くぁ……」
男――『地上最強の生物』とも謳われるユージオ・バールは、あくびを漏らした。酷寒期に王都を出てから、はや数ヶ月。いつしか季節は、温暖期に入っていた。にもかかわらず、時折訪れるあくびが止められなかった。男は苛立たしげに舌を打ち、竿を河原へと置いた。そこへ――
タタタッ。
小さくも軽やかな足音が、ユージオの耳を襲った。彼は密かに顔をしかめる。こうしてのどかに魚を釣っている原因そのものが、帰って来たのだ。
タッ。
足音の正体は、ユージオの三歩ほど手前でピタリと止まった。石だらけの河原を、良くも駆けたものである。それもそのはず、足にはそれなりの靴が履かされていた。少年である。背丈はユージオの腿上程度、歳は六つか七つか。真っ直ぐに、ユージオを見上げている。しかしその瞳には、わずかな陰りがあった。
「……付いて来るなら付いて来い」
ユージオは軽く息を吐き、空を見る。既に日は高い。頃合いであった。手頃な石、そして流木を集める。彼は手際よく、即席のかまどを作り上げた。少年はその姿を追い掛け、時に石や木を運んで来た。男はそれをより分け、至らぬものは戻させた。
続いて、男は旅支度よりいくつかの道具を取り出し、魚の処理に入った。魚籠から取り出した魚の内臓を取り出していく。小刀一本で、見事にさばいた。続いて水面でそれらを洗い、ぬめりを落とした。そして竹や木の串――普段の生活で、そこそこ準備していた――を、魚の口から差し込んでいく。器用かつ迅速に串を打っていくさまは、その肉体からは想像し難いほどに細やかだった。
「やってみるか」
視線を感じて、ユージオは顔を上げた。少年が、邪魔にならぬ範囲で覗き込んでいたのだ。ユージオは魚と竹串を渡し、己の手順を晒した。魚を手繰りながら、骨を絡めて打ち込んでいく。少年もたどたどしく、それを真似た。時間は少々掛かったが、それでもどうにか仕上げることができた。
「うむ」
ユージオは少年から渡された魚を手に取ると、己が仕上げた魚たちと一緒に置いた。それから、最後の道具を取り出した。なにやら粉末、あるいは結晶の入った瓶だった。控えめに手へと盛った瓶の中身を、ゆっくりと魚へ向けて振りかける。陽光を反射した結晶が、キラキラと光った。
「塩は貴重だが……」
ユージオは少年をちらりと見る。己だけであれば、味などいとわずに食ってのける。なんなら多少の毒草や畜生の
「近々、王都へ戻るとするか……」
少年に聞こえぬよう、彼はぼやいた。ついでに少年の算段もどうにか付けてしまいたい。大将軍をどやしつけ、然るべき引取先を探してやるのもいいだろう。己は強者を求める漂泊の身。いつまでも……
「……今は飯だな」
思考に囚われかけていた己に気付き、ユージオはかまどへと向き合った。彼には魔素と感情の昂りによって発する、不随意の炎がある。しかし今は平時。感情を昂ぶらせる必要はない。適当な木と葉、木串を使って火を起こす。ユージオの膂力をもってすれば、さして時間はかからなかった。すぐさまかまどに放り込み、息を送り込んで木に着火させる。雨が少なかったのか、程なくして火は落ち着いた。彼は手頃な石を見つけ、少年とともに座り込んだ。
「魚に刺した串をこう、ぐるりと石の隙間に差す。できるか」
二、三度見本を見せると、少年の首が縦に動いた。見様見真似ながらも、頭の方から突き刺していく。初めてにしては、いい手際だった。きちんと背の側を、火に向けていた。これならば、最悪の場合でも。
「暫し待つ」
ユージオが告げると、少年はコクリとうなずいた。互いに語ることはない。無言で火を見つめる。最初は強火、やがて少し弱める。半刻も経たぬ内に、食べ頃となった。ユージオはごつい手を使って素手で串を抜き取り、少年に一匹魚を手渡した。
「背から喰らえ。背骨以外は骨でも食える」
魚に戸惑う少年を横目に、ユージオは宣言通りに背からかぶりついた。彼の歯はその辺の男性よりもよっぽど壮健である。少年には避けるように勧めた背骨も、石臼の如く磨り潰してしまった。
後は気ままな食事の時間だ。十匹近くは確保していたはずの魚も、半刻もすれば食い尽くしてしまう。ユージオは少年の残した骨を、火で炙っていた。弱火でじっくり炙ると、水分が抜けて歯で砕きやすくなる。最後まで、残さず食するための術だった。
すう。すう。
傍らでは、寝息の音が立っていた。腹が満たされた少年が、自身の手を枕にして眠っているのだ。その口元は、満足げである。涙の一つも零していない。ユージオは、ひっそりと安堵した。
「……。異なる位相より、黙って見ておれば。汝、それは自身の種か?」
「違う」
不意に、第三の声が入った。いずこより現れたのか。否。その正体はどこにでも居て、どこにもいない。異なる位相に住まう者。かつて魔王の心胆を寒からしめた一党の一員。大賢者その人であった。
「ならば、どこぞの村よりさらったか」
「滅ぼされたいか、貴様」
大賢者のからかうような問いに、ユージオはあからさまな不機嫌を見せた。大賢者は半透明、一般的には霊体とでも言うべき状態である。当然、拳を振るっても効果はない。にもかかわらず、ユージオは武力行使の構えを見せた。
「冗談だ。いくら汝であろうと、そこまではせぬ。それがしにはわかる」
「……似たようなものであることは否定せん」
「なんと?」
両の手を上げて本心ではないと釈明する大賢者。しかしユージオは、ポツリと半分は肯定した。それは大賢者をして、口を開けっ放しになるほどの衝撃だった。
「……賊に滅ぼされた村があってな。その跡地に、一人佇んでいた」
「一人、か」
「ああ。俺を見るなり、方角を指し示した」
ユージオはとつとつといきさつを語る。この男にしては、非常に珍しいことであった。大賢者も茶々を入れることなく、それに付き合った。彼の役割は神の
半年前のあの大戦。【神々の大地】における凄絶な四連闘を経て、ユージオ・バールはこの世での存在を許されていた。故に、大賢者が裏から手を回すことはない。
「……滅ぼしたのか」
「喰らった。餌にももとる連中だった。……このガキは、俺についてきやがった」
「なんと」
「流石にねぐらの前で待たせたが、その間も待ち続けていた。そして、それからも」
付いて、来たのか。大賢者の問いに、ユージオは首を縦に振った。
「振り切ろうとしても付いて来る。帰れと言っても、首を横に振りやがる。そうこうしている内に、一月過ぎた」
「それで、結局」
「ああ。死なれても寝覚めが悪い」
ユージオは、少年をちらりと見た。石の上でありながら、それすらも枕としてすやすやと眠る。その豪胆さに、軽く笑みを見せる。このまま、十年もすれば――
「名は?」
感慨をぶった切るように、大賢者が口を開いた。ユージオは小さく首を横に振った。己には、如何ともし難い範疇だ。
「語らん。いや、一言も口を利いたことがない。村を滅ぼされた際に、心を封じたのやもしれん」
ユージオは、骨を口端に咥えた。大賢者が、その顔をまじまじと見つめる。ユージオは真剣な顔を崩し、軽くにやけた。只人には恐怖を呼ぶ表情だが、大賢者にははっきりと伝わる。
「……食うか?」
「食えると思うてか」
だろうな。ユージオは軽く、声を鳴らした。大賢者に可能な現世への干渉は、こうして語り掛けてくるぐらいである。大賢者は鼻を鳴らす。目を合わせたまま、一際真剣な口調でユージオへと問う。
「どうするつもりだ。滅んだ村を見るたびに、そうして子を拾うのか」
「俺に付いて来るだけの胆力持ちが、そうそう居てたまるか。術を仕込むにしても、二人より先は手に余る」
「なるほどな」
大賢者は、小さく笑った。これがのたまえるのであれば、ユージオは変わっていない。安堵の笑いであった。大賢者は、笑みを浮かべたまま言葉を続けた。
「ユージオ。それがしと汝の仲だ。一つだけ忠告しておこう。『刀十郎』という名にだけは、気をつけろ」
「トジューロ?」
「東方語だ。発音は難しいが、覚えておいて損はない」
「……東方人になら、昔も出会った。『ットーサイ』。けったいな男だった」
ユージオは、一瞬だけ遠くを見た。しかし直後には現実へと舞い戻る。『一太刀の勝負』を望んで来たけったいな男は、いつまで経っても忘れようがなかった。
「けったいかどうかは知らぬが、巨犬さえも一太刀、それも直に斬らずして両断する程の者だ」
「……面白え」
ユージオの顔が、
「おお、おお。それが見たかった。牙が折れていないようでなによりだ」
「さんざん恐れていた割に、言ってくれる」
「今となっては、実害がないからの。もっとも、神がまた危険視を始めれば別だがな」
「フン」
ユージオは鼻で笑った。そもそも神が出ようが蛇が出ようが、須らく打ち倒す気概の持ち主である。今更その程度で揺らぐはずがなかった。その姿を見た大賢者が口を開こうとした瞬間。
「ん、んん……!」
少年の寝息が、苦しげなそれに変わった。ユージオの気概に当てられたのか、はたまた目覚めが近いのか。ともかく、話の空気は打ち切られた。溢れ返っていたユージオの闘気が、身体の中へと収縮されていく。同時に、半透明の大賢者も消えていく。己の位相に、戻っていくのだ。
「坊やを起こしてしまってはかなわんな。邪魔者は退散しようぞ」
それが最後の、言葉だった。
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