第38話 クロユリ・チェーンソー・マサカー

 それはテレビを通して異なる世界を繋げたきっかけの極光、屋上に突き刺された紅染の雷は瞬く間に校舎の壁を巡り巡る、僅かの間だけ校舎の中はあかに染まり、止めを刺そうとしたセリエルの動きを止めた。


『今のは?』

 轟音と稲光の最中で想像を超える強大な霊力を感知して天井を見上げる、自身に勝るとも劣らない霊力、それは少女にとって覚えのある光だった。

『この世界に来る前に見た光……まさか今のが?』

『……Si、シシ、ハハハ、はハHははハハはッッーー!!!!』

 テレビから飛び出した時の記憶を思い出していると、廊下に伏していた大蜘蛛が奇声に近い笑い声を発し、裂かれた肉を体中から落としながらふらりと立ち上がった。そして傷だらけの蜘蛛の顔だけを元の青年の顔に戻し、真黒な目が狂乱に揺れ動く。


『まさかマサカまさか、再び俺の元へ落ちてくれルとは! 紅染の雷、天彼方の宝石よ、アァ何という運命か!!』

 狂乱と言うよりは狂信か、傷も気にせず両腕を天に捧げる大蜘蛛の姿に、流石のセリエルも内心で引かずにはいられなかった

『紅染の雷……アナタはあれの正体を知っているの?』

『あァ、アア、知っているとも銀髪の君、この穂群市で古くから言い伝えられた伝説の雷、姿を見せるたび街にあらゆる災厄を降り注ぐ神の気まぐれ紅染の雷、あれはな……空に溜まり極限まで凝縮された霊力のだ』

 

 学者気質なのか、大蜘蛛は先程までの戦闘も忘れ嬉しそうに語り始める。このまま無視して止めを刺すべきなのだが、少女もあの雷が気になり振るうべき手を下ろした。

『ココの土地は純度の高い霊力が山から通じる地脈を流れて街全体を巡回している、エネルギーに満ち溢れた霊威都市れいいとしダ、君ほどの霊なら空気を漂う霊力の質の高さに気付いたハズだ』

『ええ気付いてた。ここは普通の街とは違って、死した魂が過ごしやすい環境、現世に弾かれることも無く、気の向くまま滞在し続けていられる』

 交差点の顔面、公園の小人、並程度だった筈の悪霊があそこまで育ったのは、おそらく穂群市の霊力を毎日浴びて成長したからだろう。

 

『ソシテここの霊力の粒は珍しいコトに、空に昇る性質を持っているんダ、大地から漏れた霊力は上へ上へと高く昇り、空の雲海に辿り着く。毎日毎日、市内全域の地面から高純度の霊力が空に向かってイル』

『……そう言うこと、空に溜まったエネルギーが一か所に集まって一つの形に固定されたのが、紅染の雷なのね』

『ハはッ、正解! 膨大な量の霊力を何か月も溜め続けて、臨界を超えた瞬間、地上に向けて絶対の雷が落とサレル、そんな霊力の爆弾が投下されれば街も無事で済むわけがナイ、地脈を破壊して地震を生み、大気を狂わせ嵐を造る』


『そう、ここは突然の雨が多いって玲亜が言っていたけど、雷のせいで空の環境までおかしくなったのね、まさに不幸の予兆、天に見放された街か……』

『くくく、Si、しシシ』

『?』

『しかし、シカシィ、紅染の雷は俺にダケ、素晴らしい恵みを与えてくれた! 他の誰にでも無い、この俺にダケ!!』


 雷の正体を知り、感慨深く目を細めたセリエルの耳に届く笑い声、大蜘蛛の本題はここからなのだろう。

『父さんに殺された俺はその後に力のない霊とシテ、館を何年も彷徨い続けてイタ、だが一年前の雨の日、我が館に紅染の雷が直撃した! そして舞い降りた電流は俺の体をツラヌキ、身も震えるほどの霊力を授けてクレタ!』

 大蜘蛛が顔に打ち震えると、裂けた傷口が少しずつ回復する。

 同時に八本の手足に巻き付く黒い縄、地縛霊の証の楔が顔を覗かせた。

『そして手に入れたのがこの美しき身体だ! 地縛霊として館に縛られ山から出ること叶わなかった無力な俺が、今では街のどこへでも自由に行き来することが出来たのだ、最早こんな縄など意味をなさない、俺は紅染の雷に選ばれた霊となったんだ!!』


『そう、膨大な霊力を魂が受けて、成長とも言える異常変化が起きたのね、結果がソレなのはどうかと思うけど……』

(玲亜が観測して世界が繋がり、そして紅染の雷が私が通れるくらいに道を広げた、それがあの時起きた現象の答え)

『うん、知りたいことは分かった――それじゃあ、用は無いからもう消えて?』

 得た情報を頭の中で結び、大まかな答えを導き出したセリエルは、笑う大蜘蛛へ向けて再び殺意の視線をぶつける。


『おっと待ってクレ、降参だ俺はこれ以上、君とコロシ合う気は無いよ』

 両手を上げて降参のポーズを取る大蜘蛛を無視して、少女は右手に霊力を集める。

『駐車場で戯れた時からズット君に興味があった、雷の祝福を受けた俺をも超える圧倒的な暴力、その邪悪さ、蜘蛛にも劣らない何という美しさか……どうだろう、俺と協力しないか?』

『協力?』

『そもそも俺達が敵対する理由はない。俺達の獲物は互いに街に住む人間だ、その霊力の質を見れば分かる、君もまた多くの人間を殺したのだろう? 俺は君の殺戮の邪魔はしない、この街を恐怖に染め上げる為に良き関係を築けると思うんだ』

『……聞いて損した、私は私の思うままに存在する、誰かの意思には従わない』


『だが君はあの少年の意思に従っている。そもそも先程は何故、彼を助けたんだ?』


 大蜘蛛の純粋な疑問が、少女の足を止めた。

『――』

 言葉が喉元で詰まり、自信たっぷりな気迫に陰りが見える。

 どうして玲亜を助けた? ずっと自身の中で目を逸らし続けていた行動を理由を、よりにもよって敵に突きつけられてしまった。

『駐車場の一件、そして俺の館での件、そして今回も君はあの少年を助けに入った、わざわざそんな事をする理由がワカラナイ、人間を助けて君に何の得がアルンダ?』


 得……そんなものはあるわけ無い。セリエルにとって人間は憎むべき対象で、殺し尽くすべきウジ虫だ、玲亜を助けたのもあくまで彼が契約を結んだ相手であり、元の世界に帰る為に必要なパーツだからに過ぎない。

『あんな人間など見捨てて、俺ら霊同士で仲良くしようじゃナイカ、人間と組むよりずっと有益な、そう言うなればこれはだ』

 

 セリエルの耳には最早、大蜘蛛の声は届かない。

 聞こえるのは己自身の問い掛けと、彼方の小さなエンジン音だけ。

(私は元の世界に帰る、その為に玲亜を利用しているだけ、別に彼が死んでも大した問題じゃない……なのに)

 洋館から松原家に戻り玲亜が一人で学校に向かったと知った時、焦りが生じていなかったか? 最速で学校へ向かい、倒れ伏した彼を目の当たりにして、体の内から憤怒の火が灯されたではないか?


 あんなに人間を怨み、絶望の顔に染まる死体を見て笑っていた自分が、ソフィアと出会い玲亜と出会い、気づかない内に変わってしまった。今ここで足を止めてしまったのが良い証拠だ。

(私は――)

 冷酷な瞳が微かに潤み、年端も行かない悪霊少女はアイデンティティーの変質に戸惑い立ち尽くす、手応えを感じた蜘蛛は愉悦に顔を歪め、彼方のエンジン音は変わらず聞こえる。


 ……………………エンジン音?


『え、何?』

 気づいたら聞こえる不協和音に気付いたセリエルは音が聞こえる背後の、捻じれ廊下へ振り向いた。大蜘蛛も空間の先から轟く音が気になり笑みが消える。


 ――動作確認良好。

 ――大丈夫、何故か使い方は分かる頭に流れて来る。

 ――前面部のフロントハンドルをしっかり握り固定。

 ――そして右手でスターターハンドルを引いて、エンジンを更に目覚めさせる。


 行き止まりの空間の先からエンジンが爆発の雄たけびを上げる、悪霊二人が注目したその時、空間の斜め上から突然、火花が噴き出した。


 ――行くよ、ビームチェーンソー。


 エンジンの稼働と共に機体から生えた光の刃が激しく回転。行く手を遮る捻じれた空間を右斜め上むけて勢いよく振りかぶる。爆音を上げて刃は空間を袈裟懸けに切り裂く。

 飛び散る火花は削られた霊力の欠片、予想も出来なかった事態にセリエルが言葉を失っていると、刃は廊下を斜め一閃に切り終え、壊された空間が一気に広がり穴をあけた。


 熱された霊力の欠片が舞い散る中、穴の向こうに立っていたのは。

「随分と……好き勝手やってくれたね、この蜘蛛オタク」

 白銀に輝くチェーンソーを握る黒百合玲亜だった。


 猫のように細まった瞳孔、怒りの余り笑みを浮かべてしまう血の跡残る口元、そんな彼の体からは赤色の電流がバチッと音を鳴らして絶え間なく放出される。

「反撃開始、今度は僕がお前を恐怖に沈めてやるから」


 玲亜の体を流れる電流、『紅染の雷』に呼応してチェーンソーのエンジンは活気良く吼える。本来、金属の刃がある筈の部分が桃色に光るビームの刃に変わった不思議なチェーンソー、白銀の胴体部分は一般的な物と変わらずビームだけが異質に回転する。


 聖剣ビームチェーンソー。

 映画『ギャラクシー・シャークVSヤマタノオロチVS皇帝ペンギン』において、怪獣達の戦いから人類の窮地を救った世界樹の根っこ、聖竜バハムートの血が込められたこの武器は、怪獣も怨霊も、人類に仇なすあらゆる不浄を切断する、必殺の切り札だ。


 ……先週の土曜日、テレビから飛び出して来たのはセリエルだけでは無かった、グラッジ・ホワイトと共に玲亜はVSシリーズの予告編も観測していたのだ。開かれた門を通ってやって来たビームチェーンソーだが、この聖剣は求められた時だけしかその姿を現さない。

 瀕死の玲亜が初めて求めたあの瞬間まで、現代に招来したビームチェーンソーは姿を消しながら彼の傍に寄り添っていたのだ。


『なん、だ、何なのだ君はァ!?』

 ビームチェーンソーを両手に握り全身から紅染の雷を放ちながら歩く玲亜の姿に大蜘蛛は声を荒げる、獲物だった筈のか弱き人間が獰猛な牙を向けてきた事に動揺して後ずさる。

 同じく驚いたまま見つめるセリエルの隣まで、少年は辿り着き視線を交わした。


「セリエル、ここは譲って? ――アイツは僕がる」

 一体玲亜に何が起きたのか分からないが、悪霊に臆さない普段の彼らしさにセリエルは思わず笑いを漏らす。

 自分はうじうじと何を悩んでいたのだろう? チェーンソーを握り、生き生きとした目で己の道を進む彼を見ていると、悩んでいた自分が馬鹿らしくなってきた。


『ハーケングリム三個、それと新しいお菓子もプラス、それで許す』

「はは了解、交渉成立だね」

 立てた三本指を四つに増やしたセリエルに頷く玲亜、幾度かした掛け合い、遠慮のない軽口にお互い笑い、そして少年は大蜘蛛を睨みつけた。


『Siッ!?』

 追われていた時とは違う、獣のような瞳に射竦められ情けない声を出した大蜘蛛は、今まで以上に身の危険を感じ、無意味な逃走を図ろうとした。

「逃げる、なあ!!」

 大蜘蛛が背を見せると玲亜は大声で威嚇して、全身から電流を放出、刹那の速さで廊下を駆け巡る紅染の雷は大蜘蛛を囲み貫いた。

『ぎイィィい!? これはっ、この赤い光は!?』

 霊体を魂から痺れさせ動きを封じる雷の網、皮肉にも今まで多数の人間を糸で縛り付けていた大蜘蛛が今度は自分が絡め取られた。


『紅染の雷、ま、まさかお前も恩恵をその身に受けたのか!?』

 背向けて雷に炙られ続ける大蜘蛛は首を百八十度回転させて、放たれた雷に我が目を疑う、雷の主である玲亜は一歩、一歩と大蜘蛛に近づく、霊力が昂る薄緑の瞳は、映画の中で殺人を繰り返すセリエルに似た輝きを放っていた。

『雷に選ばれたのは俺ダケじゃ無かったのか! な、何なんだお前はァ!?』

「――お前に追い回されて殴られて、メチャクチャ頭に来てる、善良な一般市民だよ」


 ゆらりゆらりと距離を詰める少年が覗かせる笑みの奥に、燃え盛るような狂気を垣間見て八本足の悪霊は芯の底から怯えた。

『し、Siっ、この、捕食されるだけの餌の分際でエエ!!』

「うるさいよ、虫けらの分際で」

 大蜘蛛は余裕を失い薄汚く罵り体を動かすが、雷の網は決して剥がれず次の行動を許さない。


 そして玲亜は大蜘蛛の目の前に着き間合いに入った。

「お前のつまらない遊びも、皆を巻き込んだ事件も、ここで終わり……覚悟はいい?」

 後部のリアハンドルに備え付けられたトリガーを引くとビーム刃の回転率が増し、煌めきを増しながらエンジンが雄たけびを上げる。玲亜は力強くビームチェーンソーを振り上げ狙いを定める。


「してなくても、斬るけどね」

『ま、待て!』

 そして少年は制止を聞かず、力いっぱいビーム刃を振り下ろした。


 首の付け根に落ちた刃はそのまま斜め下へと大蜘蛛の体を切り裂く。映画において伝説と謡われた武器の一撃、それは只の一悪霊が対抗できるものではない。

『ギギアアアあアあッっっ!!??』

「はああああっっ!!!!」

 邪悪な霊体の肉を甲皮を削ぎながらビーム刃は進む、飛び散る黒い返り血を浴びながら玲亜はハンドルを掴む手を緩めない。聖剣の切れ味は見惚れるばかりで、後方から眺めるセリエルもその威力に感嘆する。


『Si、が、あ』

 そして刃は腰元を貫通して、大蜘蛛は真っ二つに両断された。


 力なく声を漏らして床に落ちた上半身と立ったままの下半身、振り切った遠心力でよろめいた玲亜が何とか立ち直すと、大蜘蛛の両半身はボコボコと泡立って、液状に一気に崩れた。


 崩壊した霊体の後に残るのは煙を上げる黒い水たまり、チェーンソーを構えたまま玲亜がじっと見ていると、水たまりの中が揺らめき、足の長い小さな一匹の女郎蜘蛛が這い出て来た。

「ぁ」

『マダ、まだ、まだ、消えたくない……俺はここで終わるような、存在では』 

 玲亜の足元を通り過ぎ必死に逃げようとする大蜘蛛、それは館の息子の本来の姿。

 紅染の雷を浴びる前の小さな蜘蛛に戻った彼は、がむしゃらに廊下を動く。すると複数の目に傷の無い黒のパンプスが映った。


 蜘蛛が見上げると目の前に、白いボールを持ったセリエルが無表情で見下ろしていた。

『き、君か、た、助けてくれないか!? あんな人間の好き勝手にさせてはいけない、ここは霊同士、手を組んで、』

『アナタの言う通り』

 必死に助けを求めるちっぽけな蜘蛛を遮り、セリエルはしんとした声で語り始める。

『私が人間を助ける理由はない、私は人間が嫌い、何度殺しても足りないくらい、心から許せないって……いつもそう思ってる』

『そうだろう、そうだとも! 俺達は同じ想いだ、きっと良好な関係を築ける! だからこそ俺を助けて、あの人間をギュペッ!?』


 ぶちっ。セリエルが落としたボールが蜘蛛を容赦なく叩き潰した。

『そして――アナタの事も嫌い』

 

 絶対零度の声で悪霊少女は言い放ち、今度こそ蜘蛛巻き事件の真犯人は魂ごと潰されて、消滅した。


 戦いが終わり、セリエルが作った捻じれた廊下は回転して元の形に戻る。蜘蛛の糸は次々に剥がれて宙に消え、残るのは戦いの余波で壊れた地面や割れた窓の数々。外は変わらず大雨真っ最中だが、今はもう雷の気配は感じない。


「ふぅー、これでようやく終わったんだね、いたた何か体中痛い」

 大蜘蛛の消滅を見て安堵した玲亜の体から紅染の雷が消え、チェーンソーのトリガーから指を話すと、エンジン音が弱まりビーム刃が機体に引っ込んだ。


『変な人にしても度が過ぎてる、それ何?』

 ボールを消したセリエルがビームチェーンソーを訝し気に見つめ、近づいてくる。

「ん-ー、人類に委ねられた神様からのギフト? もしくは星の涙の具現だってさ」

『…………意味が分からない』

「ははは、あー疲れたーーーー!」

 頭に?マークを浮かべるセリエルを他所に、機体を床に置き、玲亜は大の字で寝転んだ。


 静まり返った校舎の中に聞こえる雨音が今は心地いい、何時もより軽くなった体をうんと伸ばし大きく息を吐く。

 

 ……それから二分後、小さな寝息を立て始めた少年に悪霊少女は呆れながらも口元を綻ばせ、起こさないように隣に座り、しばらくの間、彼の寝顔を観察する事にした。

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