第34話 蜘蛛に魅入られたのは

 一日ぶりに訪れた廃洋館の玄関には昨日と違い、立ち入り禁止のテープが貼られ部外者の侵入を拒んでいた。玲亜が届けた落とし物が蜘蛛巻き事件の被害者の遺留品と分かり、午前中に警察が訪れて館内と周辺をくまなく調べていた跡がちらほら見える。

 雨がひどくなり捜査を一時中断したのか今は人の姿は見えず、好都合とセリエルはテープを遠慮なく斬り裂いて館に押し入った。廊下を進み、着いたのは玲亜達が捕らわれた応接間、その入り口から室内をぐるりと見渡し、窓側に座するソファーへ向けて目を光らせると、その中央の空間がぶれて何かの輪郭が浮かび上がった。


『すま、ない……ゆるして、ゆるしてくれ』

 そこに現れたのは少女が自ら鉄槌を下した筈の男性、館主人の霊だった。彼は元の人間の姿で腰掛けたまま、変わらず何かに謝り続けている。

『アナタを消滅させずに、魂の欠片だけをこの世に留めたのは確かめたいことがあるから、私の声聞こえてるでしょ?』

『すまない、私が、悪いんだ』

 主人は返答せずにひたすら謝罪を繰り返すが、セリエルは構わず言葉を続ける。

『昨日、アナタに触れた瞬間に感じたエネルギーは、駐車場でじゃれ合った時と質が違った……つまり、蜘蛛はいる』


 ぴたっ、と主人の謝罪が止まった。抱えていた頭を上げ、少女に漆黒の目を向ける。

『当たりね、事の原因は多分ここで起きた一家心中、そこから蜘蛛の悪霊は生まれた』

『それ、は』

『アナタは話さなくていい、勝手に見るから』

 主人に歩み寄り額に人差し指を当てて、霊魂に残る生前の記憶を探る。指先が蛍火の輝きを見せると、釣り上げた記憶がセリエルの頭に流れ込んだ。


 そこから見えたのは廃へと朽ちる前の洋館。一家三人が暮らしていた数十年前当時の光景であり、惨劇が起きた夜の一幕である。

「ああ、あなた、どうすればいいの、あの子は今日もお部屋から出てこない、もう一月よ一月も籠ったまま!!」

「落ち着け、落ち着くんだ」

 高級な絨毯にカーテン、暖炉の火が灯された応接間で二人の男女が口々に言い合っている姿が見える。片方は生前の館主人、そしてもう片方の着物の女性が彼の奥方であろう。

「あいつは変わってしまったんだ、初めは私の標本に興味を示してくれたのは嬉しかったが、その中の蜘蛛の標本を見てから、あいつは蜘蛛に異常に執着してしまった」

「どうしてそこまで、二階はもう蜘蛛の籠で一杯よ、カサカサってずっと音が聞こえて頭がおかしくなりそう」

「まだ遅くない、あいつと話し合おう、きっと蜘蛛に嵌まったのも子供ながらの一過性のものだ、しっかり話せば以前の息子に戻ってくれる」


 主人は顔を両手で覆う妻を抱き留めながら優しく諭している、そこで記憶の場面が早送りのように移り替わり、ランプに照らされた一階の階段前が広がった。


 その時、重い発砲音が館内に響き渡り、階段から奥方が転げ落ちて壁に叩きつけられる様子が映される。胸から真っ赤な血を咲かした彼女は既に生命活動を終え、空虚な瞳で床に崩れ落ちた。

「あ、あああ、何てことを……お前は何をしたのか分かってるのか!?」

 二階側の階段の真ん中付近で妻が殺された瞬間を見てしまった主人は、その下で殺した張本人――彼の息子を激しく糾弾した。


「仕方ないじゃないか父さん、あの人が俺の美しい蜘蛛たちを床にぶちまけたんだから、そんな事されたら……もう殺すしかないだろ?」

 銃口から立ちのぼる煙、焦げたような火薬のにおい。猟銃を持ちながら七三分けにまとめた髪型の少年は、怖気の走る笑みを父親に向ける。

「おまえ、は」

 母親を殺して平然と笑う息子に主人の顔は青く染まる、自分の子供が理解不能な別の生き物に見え恐怖で足が震える。


 息子の足元には口論の際に奥方が叩きつけた蜘蛛の籠が口を開き、足の長い女郎蜘蛛が床を這い寄り、幾つものビー玉の目が怯える主人を眺める。


「さぁ、もう邪魔しないでくれるか? 蜘蛛の生態は奥深くて観察しがいがある、こんな事で無駄な時間を使いたくないんだ……それとも父さんもここで死んだ方がいいかな?」

 息子はぶつぶつ一人喋りながら、今度は銃口を父親に向ける。標的にされ腰が抜けそうな主人を面白おかしく笑っていると、息子の足から上って来た女郎蜘蛛が肩に辿り着き、息子の視線がそちらに逸れた。

「っっ! うわああああ!!」

 その隙を見て主人は彼の元へ駆け降り、猟銃を掴んで天井へ向けた。

「ちっ、この!?」

 息子は反撃に驚きながら猟銃を強く握り主人を引きはがそうとした。無我夢中に猟銃を奪い合う父と子、狭い空間で取っ組み合いが続き、体格の大きい主人が力の限り息子を壁に叩きつける、偶然にも反動で銃身が息子の顎元に向けられた。


 かち。息子の親指が誤って引き金に掛り――弾が発射された。


 ……これが洋館でひっそりと起きた悲劇の顛末、信じたくない惨劇の詳細。


 蜘蛛に執着するあまり暴走した息子に殺害された母親と、揉み合いの末に頭が吹き飛んだ息子の遺体の前で主人は泣き崩れ慟哭する。やがて猟銃を持った彼はふらふらと力の入らない足で応接間に向かいソファーに座る。 


「すまない、止められなかった私が全て悪いんだ……許してくれ」

 さめざめと涙を流し、ゆっくりと猟銃の銃口を喉元に当てた彼は、家族に謝罪しながら親指で引き金を引いた。


 誰も喋らなくなった洋館は夜の森に存在し続ける中、息子の遺体の胸で女郎蜘蛛が滴る血をじっと見つめていた。


 ……。

 …………。

『……そう言う事』

 一家心中の真相を見たセリエルは目の前の主人を見据える、彼は疲れ切った顔で床を見ている。

『アナタは只の手足でしかなかった、死んだ後に魂を捕らわれ、本当の犯人に利用され続けた哀れな操り人形』

『私ではあの子を止められない、あぁ、許してくれ』

『知りたいことは知れた、もう眠っていい』

 パチン、セリエルが指を鳴らすと主人の魂の欠片が砕け、今度こそ成仏が始まる。

『どうか、どうか、誰か……もう終わらせて……』

 最後の言葉を告げて現世から消え去った主人を無表情で眺めた後、セリエルは無音の部屋から踵を返す。


『蜘蛛に魅入られたのは父親では無く……だとすれば蜘蛛巻き事件の本当の犯人は』

 確信を得た悪霊少女は来た時よりも速く松原家に向かって飛翔した。家で待つ契約者にここで得た真実を伝え、対策を語り合う為に。

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