第33話 映画の結末
セリエルはとめどなく降る大雨の中を事もなげに飛ぶ、雨粒は透けた体を通り抜け濡らさず、眼下の街並みを眺めて移動する少女の頭の中で先程の玲亜の言葉が何度もリピートされた。
普通の女の子。自分の過去を知る彼は、その上で普通と言う耳を疑う答えを告げた、その迷い無き一途な姿はやはりあの女に……自分を二度も打倒して、そして最後には助けようとしたソフィアに似ていて、セリエルは既に自分が通り過ぎた過去を思い出す。
……。
…………。
端的に言えばグラッジ・ホワイト三部作は主人公ソフィア・ブラウンリードと悪霊セリエル・ホワイト、この二人を軸とした宿命の物語である。
一作目『悪魔の瞳の少女霊』でソフィアに頭蓋骨を割られて消滅したセリエルはその五年後、生前に母親からプレゼントされた宝物のオルゴールに残していた魂の欠片を触媒に再び現世に復活、都会に越したソフィアを追い、復讐心を宿しながら都市で新たなる無差別惨劇を起こしたのが二作目『食われる摩天楼』だ。
駅を交差点をビルをデパートを転々として繰り広げる攻防戦、この二作目で判明する情報だが、前作で教会から渡された聖なる短剣には実はセリエルを倒すほどの力は無く、事実、映画の後半、追跡劇の過程で聖なる短剣はあっさり折られてしまう。
ソフィアへの怒りで前作よりパワーアップしたセリエルを再び抑え込んだのは、短剣ではなくソフィア自身が生まれ持った膨大な霊的エネルギーだった。短剣はあくまで彼女の力を通すための触媒でしかなく、二作目のラストは追い詰められた市民プールの中心で自らの力を知ったソフィアが迫る悪霊少女を掴んで共に水の中に落ち、ありったけの霊的エネルギーを流し込んで消滅させた。
二度目の敗北を経てさらに劇中の三年後、グラッジ・ホワイト三作目完結編『少女霊の眠る日』で悪霊少女は再び復活した。
しかし完結編は過去二作と物語のテーマが変わっていた。今作で惨劇を起こすのはセリエルではなく、邪神信仰に憑りつかれたカルト教団と彼らが復活させた悍ましき邪神の雛だ。
邪神の雛に人間を喰わせ成長をさせながら、教団は同時に外なる邪神たちが住む世界と人間の世界を繋げようと暗躍する。赤ん坊が生まれ夫と共に穏やかな日常を送っていたソフィアと邪神のエネルギーに当てられた影響で三度目の復活を果たしたセリエルは、彼らの陰謀に巻き込まれ……意外にも共闘する事になる。
気色悪い教団との戦いを思い出し、雨の中の少女はきゅっとスカートを摘まむ。
自分達が崇める神こそ絶対の法であり節理なのだと、頑固にこびり付いた思考は、少女を処刑した当時の村人たちに似ていて不愉快極まりなかった。復活してすぐに自分に匹敵する力を持った邪神の雛に襲われ、セリエルは人間を殺す所ではなくなった。そして物語は進み邪神の世界への道を開く為、教団の魔の手がソフィアに迫る。
異世界への道を開く条件、それは強力な霊的エネルギーを持つ人間がその世界を観測する事、観測して生まれた小さな門に邪神への無垢なる魂を生贄に捧げることで二つの世界は完全に繋がる。
異世界を観測する役にソフィアが、そして生贄には力を色濃く継いだ彼女の赤ん坊が選ばれ、邪神の雛が町で殺戮を起こす最中に赤ん坊は教団に誘拐された。
嘆くソフィア夫婦の前に偶然にも邪神と交戦中のセリエルが姿を見せ、対面した宿敵にソフィアは意外過ぎる言葉を投げた。
――私達の子供を取り戻すために力を貸して欲しい……かわりに私の命をあげるから!
知り合いを教師を友人を、身近な人を殺めたセリエルに対する怨みを胸に押し込めて、我が子を救うために己の命を対価に協力を申し出た。
(あの時ソフィアに手を貸す理由なんて無かった、あの場で夫婦諸共八つ裂きにしても良かった、のに)
けれど、我が子の為になりふり構わず頭を下げるその姿は、どこか……。
(お母さんに似ていた……)
そして事が片付いたらソフィアを殺す事を条件にセリエルは夫婦に手を貸し、そこから教団との戦いが始まる。
赤ん坊の救出と市民を喰らい続け成長した邪神との激戦。その道中で語り合い僅かながらの相互理解を得る主人公と悪霊少女。
セリエルは人間を許せず、ソフィアもまた少女を許せない。
しかしそれでも、少女の憎悪を、彼女の純真さを、共闘する中で知り二人の心の距離は近づいた。
その後、紆余曲折を経て教団のアジトである地下教会に乗り込み、リーダーの教主と邪神の雛と対峙する夫婦とセリエル。そこで教会に空いた邪神の世界への穴をソフィアは観測してしまい、結果二つの世界が繋ぐ門が開かれた。
死闘の末、セリエルは邪神の雛を滅ぼしソフィアの夫が教主を殴り倒す。
しかし教主は最後に足搔き、開いた異世界への門へ赤ん坊を放り投げた、悲鳴を上げながら門に飛び込もうとしたソフィアを弾き飛ばし、代わりに赤ん坊を助けに向かったのは……人間の敵である筈のセリエルだった。
どうしてあんな行動を起こしたのか今でも分からない、勝手に体が動いて、赤ん坊を抱き留めて母親に送り返し、邪神側の世界から残る力を使って門を破壊。
薄汚い世界と理解不能な行動をした自分を卑下しながら門が閉じるのを諦めの笑みで眺めていたら、収縮する穴にソフィアが上半身を突っ込み手を伸ばした。
――手を取って、セリエル!!
救済の手を見て思考が止まる、どうして助けようとする? 自分は憎き敵なのに……。
早く! と縮まる門から彼女は叫び目一杯体を伸ばす姿に、セリエルは唖然と口を開けながら、恐る恐る彼女の手を取ると、そのまま思いっきり現世に引っ張り上げられた。
助け出された瞬間、門は完全に閉じ教団の野望はここに潰えた。
残ったソフィアとセリエルは距離を開き視線をぶつけ、約束通りソフィアは自分の命を差し出すと告げた。夫が必死に止めるが彼女の決意は固く、我が子を託しセリエルに近づいた。
……しかし、少女は彼女の命を奪わなかった。あんなに滾っていた憎悪はいつの間にか身を顰め、もう人間を殺したいとも思えなかった。
別に改心した訳で無ければ、今までの殺人を悔いた訳でも無い。自分の行いが間違いだと思う事は決してありえない、今でも人間は嫌いなままだ。
ただ、ソフィアと赤ん坊を見ていたら、『もう、いい』と雫のような感想が魂に零れ落ちた、言い方を変えれば思う存分殺したので気は済んだということ。
身勝手な所は変わらず、二度人間に敗れたセリエルは三度目の今回、自らの手で消え去ることを選んだ。
夫の腕に抱かれる赤ん坊に近づきそっと頭を撫でると、その子は無邪気に笑い、少女も今まで見せなかった穏やかな笑みを見せる。
そして――。
『もう、私を起こさないで』
その言葉を最後に
……。
…………。
(そして消えた筈の私は世界の壁を越えて玲亜の部屋に飛び出した、それはきっとソフィアに匹敵する強力な霊的エネルギーを持つ彼が映画を通して私の世界を観測したから)
深夜の散歩のときにセリエルは少年が体の内に宿す、歪で膨大な光に驚愕した。
プラスとマイナス、陰と陽、その両極端な力の波動が玲亜の体内で絶え間なく躍動している、自分を倒したソフィアと肩を並べるレベルの質と量の霊力の持ち主、彼が深夜に目覚めてしまうのはプラスのエネルギーによって心身が超回復を起こし、短時間の睡眠で全快したことが理由だろう。
そんな力の持ち主が映画のように異世界を観測したからこそ、門が開いてしまった、あの瞬間に玲亜が見た事が重要だったのだ。
『でも霊的エネルギーに病を完治させる力はない、中途半端に治すせいで、かえって彼を苦しませてる』
彼の体内で渦巻のように流転する回復と崩壊、プラスは病を癒しマイナスは病を成長させる、そんなことが繰り返されれば肉体に軋みが生まれるのは当然、皮肉にも彼の才能とも言える霊的エネルギーが、病を治療不可能な段階まで変質させてしまった。
『……』
黒百合玲亜。この異世界で契約を持ち出した変な人間。
哀の抜けた喜怒楽にテンションがころころ変わる少年、生前でも悪霊人生でも目撃した事の無いノンロジカルヒューマン……だが彼の生き様、彼の笑顔は、どこか全てを諦めたような自暴自棄の果ての仕草に見えて、苛立ちを覚える。
(「うん、死ぬまで思いっきり楽しみたいんだ」)
あの夜の公園で玲亜は自らの運命をそう結論付けた。
『嘘つき、本当は楽しめていないくせに』
吐き捨てた声は雨音に掻き消され、誰にも届かずに済む。
想起から戻ると眼下の景色が街から山中の木々に移り変わり、赤い瞳が昨日蜘蛛を撃退した廃洋館を見据えた。
セリエルは目的地の上空に到着して停まる、右手を軽く上げて見つめると、その手首の部分には未だ地縛霊の縄が巻き付いていた……つまり。
『事件はまだ終わっていない』
それを確かめる為、少女は手入れ皆無の庭に降り立ち廃洋館に入った。
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