第五章

第31話 続く雨の日曜日

 廃洋館で蜘蛛巻き事件の悪霊に襲われ、そしてセリエルが退治した日から、およそ一日経った日曜の午後十五時過ぎ、松原家に帰宅した玲亜は軽快な足取りで自室のドアを開けた。


「ただいま、セリエルお菓子買って来たよー」

 ニコニコと朗らかな笑顔で袋を見せる、宙から現れたセリエルはゆったりベッドに腰掛ける。

『何時もより元気ね』

「そりゃあもう、事件も解決したし鏡ちゃん達も何ともなかったし、良いことづくめで元気も出るよ、はい好きなの食べて良いよ、昨日のお礼」

『おぉ』

 少女は袋を受け取り、中に詰まったお菓子類に目を輝かせる。


 玲亜はつい先ほどまで市街地に建つ大きな病院に入院した、鏡一郎達三人のお見舞いに出向いていた。搬送された三人は軽度の貧血と脱水症状が見られたが、それ以外に重い怪我や病気は見つからず、清掃作業によって体温が上がって起きた季節外れの熱中症と診断され、経過を見る為に数日間入院する事となった。

 唯一平気だった玲亜は病院に来た顧問の斎藤と、迎えに来た花撫からお𠮟りを受け、一先ず今回の件は終息した。


 玲亜がお見舞いに来た時には三人共、普段通りの快活さを取り戻し会話もできた、美左からは申し訳ないと何度も頭を下げられ、気にしないで下さいと手を振り、お互いに譲り合う堂々巡りが起きた。

 三人は廃洋館に入った後のことは何も覚えておらず、朦朧とした意識の中で玲亜が外に運んだ事だけを辛うじて覚えてるくらいだった、セリエルや蜘蛛を見てない事に内心安堵して話を合わせる。


 それからしばらく談笑して、玲亜は準備していたタオルをカバンから取り出すと。

「鏡ちゃん汗かいてない? かいてるよね? まだ体も本調子じゃ無いから、僕が体を拭いてあげるよ――さあ、今すぐ全部脱いで!!」


 そう力強く宣言して、病室を追い出された。


「何が駄目だったんだろう? やっぱり鞄のスマホを撮影モードにしてたのがバレたのかな?」

『アナタって常識ぶってる癖に、致命的にずれてるわね』

 追い出された時を思い出し唸る玲亜の心を少し読んだセリエルは、心底呆れた表情をしながら、濃厚な卵の黄身とほろ苦いカラメルソースが絶妙にマッチした本格プリンをの蓋を開けた。


 昨日予測した通り、外は朝から雨模様。玲亜が帰る間はパラパラとした小雨だったが、少しずつ音が大きくなってきたかもしれない。勉強机の椅子に座ってベッド側の小窓をぼんやりと眺め、視線を下ろすと無邪気にプリンを頬張る悪霊少女の姿があり、自然と笑みが零れた。

『何?』

 笑みの吐息に気付いたセリエルは普段の無表情に戻り、これまた普段の冷ややかな視線で刺す。

「ううん、本当に美味しそうに食べるなーって、見てたら何かこっちも嬉しくなっちゃって」

『嬉しいって……仕方ないでしょ、生きてた頃はこんなお菓子を食べた事なんか一度も無かったんだから』

「一度も無いって、どうして?」


 セリエルの口から飛び出た意外な情報に目を丸くする、少女はスプーンで欠けたプリンを突きながら返答する。

『映画でアナタも知ったでしょ、生前の私が町の人間からどう言われていたのか?』

「それは……」

 悪魔の子。

 反射的に答えようとしたが、そうせずに口をつぐむ。どうしてかその言葉を少女の前で言ってはいけない気がした、そんな玲亜の気持ちをどう受け取った分からないままセリエルは続ける。


『悪魔は堕落の象徴、少しでも贅沢な生活をすれば、それは堕落と見なされ、私は悪魔なのだと証明する事になる、そう頭のおかしい人間達は考えた、だから私は悪魔であることを否定する為に質素な生活を強要された、食事は毎回一切れのパンと薄いスープだけ、何も食べられない日もあった』

 セリエルが語る過去に言葉が出ない、悪魔の子、堕落の象徴、生まれた時に人と少し異なる外見をしてるだけで、他人が他人をそこまで糾弾するのか? 現代の日本で生きる玲亜には到底理解できない価値観だった。


『このドレスはお母さんが私にくれた物だけど、これを着て外を出歩くことは許されなかった、あくまで家の中の一目の付かない所でしか着れなかった、この靴もそう』

 スカートを摘まむセリエルの表情は変わらず、しかしその眼はどこか諦めたようにも感じられた。

「だからアイスをあんなに喜んだのか、軽々しく聞いてごめん」

『いい、とうの昔に終わった話だから』

「そっか……まあ昔は兎も角、ここにはお菓子を食べて責める人は居ないから、じっくり味わいなよ、食べてる君は何処にでもいる普通の女の子らしくて良いと思うよ」

 そう玲亜が何気なく言うと、再び食べようとしたスプーンが止まり、セリエルは若干顔を俯けた。


「せ、セリエル」

(アレ? 何か不味い事言ったかな?)

 困惑して黙っていると室内で小さなラップ音が鳴り、セリエルの底冷えする笑い声が届いた。

『フフ、フフフ、普通の女の子、私が? 映画を見たのに、そんな事言うのねアナタは』

 前髪に隠れた赤い瞳が玲亜を射抜く、影に覆われた微笑はついさっきまでの少女ではなく、映画の中で見せた悪霊の顔だった。

『アナタも知ってる筈、私が私の世界でどれだけの人間を殺したのか』

「それは」

『霊として目覚めてから視界に入った人間はこの手で殺し尽くした、子供も大人も老人も例外なく全て、あの蜘蛛の霊も殺人鬼だったけど、私はアレ以上の殺人鬼、殺した人数なんて比べる必要もないくらいに……そんな私が普通の女の子でいられると、本気で思ってる?』

 出会って初めて聞いたかもしれない、それはきっとセリエルの内に宿った慟哭だ。少女は人間に殺され、人間を憎み、そして人間を殺した。立場で言えばあの蜘蛛と大差のない猟奇殺人者、玲亜自身も本来ならいつ殺されてもおかしくない立場にいる。


 セリエルがどんな感情で今の言葉をぶつけたのかは分からない、普通と言う決して手に入れる事の出来ないモノへの、可能性への切望か絶望か。


「……そうだね君は普通とは違う、どんな理由であれ多くの人の命を奪った、許されない存在で、どうしようもない悪霊だ」

 はっきりと玲亜に告げられ、少女は刹那の瞬間だけ眉を下げ、乾いた笑みを浮かべ顔を逸らした。

「でも僕が知ってるもう一人のセリエルは、この街で起きた事件を解決してくれた恩人で、我が物顔でアイスを貪る、ちょっとだけ凄い所のある――普通の女の子だよ」

 その言葉に、目を見開き驚いた表情でセリエルが振り向く。


 普段の無表情な顔、アイスを間近にして喜ぶ顔、悪霊を弄び笑う冷酷な顔。少女の色んな顔を見て、その本質はどれなのか何度か考えたが、結局は普通と言う答えに辿り着く。

 それがこの九日間でセリエルに対して抱いた、玲亜の素直な感想だった。


「まあ、出会っていきなり殺されかけたけどね、でもこっちの世界では君は誰も殺してない、君に対する罪とか罰とか僕にはよく分からない」

 異なる世界で少女が犯した無差別大量殺人の罪科は確かに重い、しかしそれを別世界の人間が糾弾するのは正しいのだろうかと玲亜は考えていた。

 もしセリエルがこちら側の人間を殺め、それも玲亜の近しい人間を手に掛けたのなら、きっと彼は許さない。全力で少女を追い、ありったけの憎しみを込めて復讐する道を望むだろう。


 しかしセリエルはこちらの世界では人間の命は奪っていないどころか、この街が抱える問題を解決してくれて感謝しかない。

(この子に恩を感じてる僕が糾弾する権利は多分無い、その権利を持つのはきっとセリエルの世界で生きる人間だけだ)

 この考えが人として倫理的に正しいのか分からない……恐らく間違っているのだろう。それでも玲亜に目の前の悪霊少女の在り方を否定する気は無い。


「だからさ、こっちの世界に居る間くらいは、普通の女の子でいられる時間もあっていいんじゃないかな? そう言うスタンスで行く方が、きっと楽しいよ」

『……』

 そう玲亜は優しい声で締めくくり笑う、少しして、自分はとっても恥ずかしいことを喋ったのではと? 顔を真っ赤にしていると、セリエルは何事も無くプリンを口に含んで飲み込んだ。


『……アナタって本当に、変な人』

 ラップ音が消え普段の空気が戻り、冷たい言葉を投げるセリエルに玲亜は安心して笑うと、それを見た少女は、ほんの小さく微笑んだ。

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