第30話 恐怖を教えてあげる

 Twinkle twinkle little star

 How i wonder what you are


 心安らぐオルゴールの音色が対立する両者に別々の感情を芽生えさせる。蜘蛛には困惑を、そして玲亜には安堵を。

 

 ――あの子が来た。

 玲亜の足元の影が前面に異様に伸びて、その中から美しい銀髪が浮上する。

『アナタが驚かす時間はお終い、今からは私を恐れ私に怯える、優雅なティータイムの始まり』

 赤色と桃色が混ざったグラデーションの毛先を手で解きながら、悪霊少女セリエル・ホワイトが優雅に顕現した。


「セリエル、良かった……でもどうして影の中から」

 目の前に立つ少女の背中を嬉しそうに見ながら玲亜は呼吸を整える、少女が現われた今もオルゴールのきらきら星は繰り返され、美麗な背景音楽を演出する。

『簡単な話、今日アナタが家を出てからずっとその影の中に隠れてた』

「え、ええー、もしかしてずっと傍にいたの? どうしてそんなこと」

『アナタ言ってたでしょ、あの時この霊がアナタを見て笑ったって、私の経験に従うなら、それは新しいターゲットを見つけた反応』

 セリエルは一歩近づき、蜘蛛は後退する。少女が左手を伸ばし拳を握ると、室内の壁がぐにゃりと波打ち、生まれた衝撃が蜘蛛を正面から叩き、鏡一郎達三人を縛る糸が弾け飛んだ。


「鏡ちゃん、皆!」

 玲亜は疲労が溜まる体を起こして崩れ落ちた鏡一郎に駆け寄り、着物の内からハンカチを取り出して頬から流れる血を拭く、幸いにも傷は浅く、ほっと胸を撫で下ろした。

『だからアナタの影に隠れて、ソイツが狙って来る瞬間を待ってたんだけど、まさかアナタ達が先に巣を見つけるなんて、流石に驚いた』

 壁に叩きつけられた蜘蛛にセリエルは容赦なく追撃する、ソファーを操り砲弾のように撃ち込んで動きを封じる。


「それなら、もっと早く出て来ても良かったのに」

『そのつもりだった、でもアナタのせいでタイミングがずれたの……さっきの力は何?』

「……力って?」

『気づいてないの?』

「??」

『ィ、SぃーーーーG!!』

 投げ掛けられた問いに心当たりがない玲亜が目を丸くしてると、潰れていた蜘蛛がソファーを手足で掴みセリエルに投げ返した。少女はそれを容易く空中で止め横に飛ばす、その隙を見て蜘蛛はドアに体当たりをして廊下に躍り出た。


「アイツまた逃げる気!?」

『問題ない、二度も同じ失敗はしない』

 蜘蛛が廊下を逃げる音を聞きながらセリエルは落ち着いたまま歩く、その瞳は自信に満ちて獣のように鋭い。

『アナタ達が巡ってる間に準備は済ませた、この館はもう私のテリトリー』

 

 いきなり現れた少女に恐れをなし逃走を図る蜘蛛は玄関に辿り着き、勢いよく突進する……しかしその巨体は扉の前の空間にぶつかって弾き返された。


『!? S、!!??』

 強固な壁の感触に戸惑いもう一度突進するが、やはり扉の数センチ手前の空間が鋼の如き堅牢さを発揮して蜘蛛を通さなかった。

『無駄、アナタはもうこの館から出られない、分かりやすく色を付けてあげる』

 蜘蛛の背後、廊下の曲がり角から半身を覗かせたセリエルが指を鳴らすと、館全体に変化が起きる、玄関の前、玲亜達がいる応接間の窓側一帯、館の外に繋がる全ての壁面の数センチ手前に霊的エネルギーで構成されたアメジストに輝く壁が、隙間なく張り巡らされていた。


「凄い、アイツが逃げない為の檻を作ったんだ」

 暖炉前で横たわる美左と杏子の安否を確かめて、玲亜もセリエルの後を追う。

 あの蜘蛛の悪霊が倒される瞬間をしっかり見なければ気が済まない、悪霊に対する怒りは未だ色濃く残っていた。


『ここはもうアナタが自由気ままに遊べる場所ではない、さあどうする?』

 クスクス、体と心の両方から蜘蛛を追い詰めセリエルは冷たく笑う、しかし醸し出す空気は駐車場の時より鋭く周囲の温度が下がる程だ。玄関前で向かい合う両者、応接間を出た玲亜は、蜘蛛の動きに注意する。


 ……先に動いたのは蜘蛛の方、六本の手足の先端がハサミのように開き、一斉に糸を吐き出した。縦横無尽に勢いよく噴射される大量の糸は、目の前のセリエルだけでなく玄関前の空間を瞬く間に埋め尽くした、それこそ離れた玲亜に飛び散るくらいに。


 着物の裾で顔を守った玲亜は糸に埋もれたセリエルを心配するが、すぐにそれが杞憂だと目の当たりにする。


 蜘蛛は糸を吐き続けるが、突然、繭となった塊の中心に紫色の小さな灯火が点き、そこを起点に紫炎しえんは一気に勢いを増して、蜘蛛の糸を悉く燃やし尽くした。

『本当につまらない演出』

 糸だけを燃やす幻想的な紫炎を着飾る泡沫の如き悪霊少女、霊的エネルギーによって発生する陽炎が圧倒的な映像美を見せつけ、玲亜を魅了する。

(燃やすの好きなのかな?)

 糸も通じず追いやられた蜘蛛は跳躍して天井に張り付き脱出を試みる、セリエルの頭上を通り過ぎるが、少女は見上げるだけで追撃はしない。そのまま階段に飛び移り二階へと駆け上がった。


「セリエル、いいの行かせて?」

『何をどうしてもアレはここから逃げられない、私にも獲物を追い詰める際の手順と演出があるの……恐怖はしっかり育てないと、摘み取る瞬間の悦楽が味わえない』

「まあ君がそう言うのに拘ってるのは、今まで一緒にいて分かったけど」

 ホラー映画で言うなら場面は終盤、館で追われる主人公とそれを追い詰める悪霊と言った所だろうか、自分が悪霊側についてる事実に玲亜は内心で苦笑いする。

 

『アナタも来て、アレが消滅する瞬間を見てくれないと私の呪縛が消えない――さあ、ここからが狩りのクライマックス、どうか見届けて契約者さん』 

 オルゴールの音は止まず館を支配する、後の無い獲物を追い二人は階段を上った。


 ……。

 …………。


 二階に逃げた蜘蛛は玲亜を引きずった、左側の端の空き室に逃げ込み、窓の前に存在する紫の壁に手足を必死にぶつけていた。

『ゆるシ……マない、Sぃーー、すまナ』

 理解できない単語を発しながらやがて頭を抱え、乱暴に体を振り回す。

『yuRU、Sぃ、ギ、GGGイイィィーー!!』

 耳障りな奇声を発し、爪で全身を掻き毟る殺人犯。そんな奇妙な光景が続くと、突然、天井からポツポツと液体が零れ、ビー玉の目に落ちた。

『ーー??』


 一滴一滴、顔も濡らす赤い液体、やがて滴る量は増え、鼻を衝く血の雨が室内に降り注いだ。誰かも分からない血に全身を染め上げ、人々を脅かしていた悪霊は理解を超えた現象に恐怖する。


 コンコンコンコン。

『もーいーかーい』

 ドアの向こうからノックが四回、少女のこもった声が聞こえたその時、床を満たす血が形を変え、西洋装飾の槍となって地面から生えて、次々と蜘蛛の体を突き刺した。

『ーーーーッッ!!??』

 腹や両腕、喉に切れ味の良い赤い刃が貫通して、六本の手足の内、二本が切断された。ドアが開きセリエルが礼儀正しく入室、血の海に波紋を広げながら蜘蛛に歩み寄る、玲亜は廊下から残酷な童話の一幕を眼に焼き付け、そして間もなく訪れるだろう蜘蛛巻き事件の終幕をしっかりと見守る。


『追われる恐怖、理解できない恐怖、少しは堪能できた?』

 セリエルは両手を後ろに組み、上目使いで蜘蛛に問いかける、クスリと少女が笑うたびに刺さった槍が深く食い込み、傷から黒い泥が流れ続ける。

『スマな、い、ユルシて、クレ』

『謝らないで、私は楽しくてやってるだけだから、許しを請う必要は無い』

 

 姿勢を正したセリエルは右腕を上げ、小指から一つ一つ折り曲げて拳を作る。身に漂うエネルギーが拳に集まり、強大な力場を生み出す。それは玲亜も見覚えのある少女の必殺技、あの時よりもエネルギー更に集まり、館全体が小刻みに震えた。

 そして少女は大きく腕を引いて獲物を見据える。

『バイバイ、つまらない殺人鬼さん』

『ーーーー』


悪霊セリエルパンチ』


 テンション下げ目の声で放たれた必殺の拳、その凄まじいエネルギーの塊が蜘蛛の腹に触れ、一瞬のうちに全身が粉々に砕け散った。蜘蛛の血と破片が部屋一面に飛び散り驚いた玲亜は体を隠す。

「わわっ、粉みじん、あのパンチこんなに凄かったんだ」

『……?』

 散った破片はすぐに霧状に消滅、拳を打ち抜いた体勢のセリエルは僅かに眉を潜ませ、蜘蛛を破砕した右手を見つめた。

「セリエル、倒したの?」

『……ええ倒した』

 少女は顔を上げて部屋一杯の血を指の一振りで消す、戦いの痕跡が消え、後に残るのは何もない暗い空室だった。


「そっか、蜘蛛巻き事件はこれで終わったんだね、警察には説明できないけど、もう被害者が増えることは無い、はぁ良かった」

 結局、最後までセリエルが圧倒し続けた悪霊同士の戦い、終わりはあっけないものだったが、蜘蛛巻き事件の犯人が倒れた事実をその眼で観測した玲亜は、ここしばらく胸に留まっていた、漠然とした不安が抜けた気がして安堵の息を吐いた。


「君もお疲れ様……それと事件を解決してくれてありがとう」

『別に、私は自分の為だけに動いただけ』

「はは、それでもありがとう、これで君も呪縛が無くなって元の世界に帰れるね、うん、色々あったけど全部解決だ」

『ええ……そうね』

(折角帰れるのに、こんな時でもクールだなぁ)


 そう考えながらスマホの時刻を確認すると、時刻は十八時に迫っており玲亜は慌てて応接間の三人の所に戻り、必死に起こすとそれぞれ目を覚ました。しかし三人共立ち上がれない程、疲弊していて意識も定かではなく、玲亜は今週二度目の救急車を呼び、到着までの間に一人ずつセリエルの力も借りて外に運び、館に入った事実を隠す。


 巻き込まれた形になったが蜘蛛巻き事件はこれで終わりを迎えた、人々がその事実を知ることは無いが、やがて市内にいつもの平穏が戻るだろう。


 セリエルはそんな様子を見ながら、誰もいなくなった応接間のソファーを元の位置に戻し、何か考える視線を投げた後、そっと姿を透過させて廃洋館を後にした。

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