第29話 絶体絶命

「…………うぅ、」

 朧げな思考が目覚めを促し、玲亜はゆっくりと意識を取り戻した。

(あれ……僕何してたんだっけ? 確か今日は土曜日で、山にオカルト調査に来て、館に入って)

 接触不良を起こす曖昧な記憶を一つ一つ思い出し、杏子を探して廃洋館に入り、そこで不可解な事態に巻き込まれたことを思い出した。


「そうだ、あの糸に引っ張られて、息が苦しくて目の前が真っ暗に……皆は!?」

 他の三人の安否が気になり体を動かそうとしたが、左腕と両足が辛うじて動く程度で終わり、自身の体が何かに押さえつけられてる事に気付いた。

「これはっ!?」

 胴体と左腕を中心に粘りつく白い蜘蛛の糸、玲亜は糸に半身を巻かれて部屋の壁に張り付けられていた。


「この前と同じ蜘蛛の糸、じゃあやっぱり近くにアイツが」

 木曜日未明に駐車場で襲って来た蜘蛛の悪霊、蜘蛛巻き事件の犯人の仕業だとすぐに思い至る。

(早く逃げないと、それにこの部屋は一階の応接間?)

 意識を失いどれくらい経ったのだろうか、窓を塞ぐ板の外は曇り模様となって光も消えた。この環境では外から中を窺う事も難しい。


 両足が地面につかない態勢で逃れようと力を入れながら、闇に慣れて来た視界で部屋を見渡し、あの悪霊を探すと窓側とは反対、玲亜から見て右側の壁に自分と同じく、拘束されてる親友を見つけた。


「鏡ちゃん!!??」

 胴体を糸で覆われぐったりと俯く姿に大声が出る。意識を失っている彼の名を何度も呼ぶと、他にも室内で拘束されてる人物が視界の端に映った。

「部長、杏子ちゃん!!」

 玲亜の対面、古い暖炉の口を塞ぐように、美左と杏子が寄り添いながら糸に巻かれていた、こちらも同じく意識が無く微動だにしない。

「お願い皆、目を覚まして!! このままじゃアイツが来る!」

 蜘蛛巻き事件で発見された遺体は例外なく、四肢の一部が捥げた無惨な姿で発見された。その報道を思い出し、玲亜の焦りは大きくなる。


 こんな蜘蛛糸、セリエルは容易く裂いていたのに。声を上げるしかできない自分が怨めしい、無力感に唇を噛みながらも、蜘蛛の悪霊が近づいて来ないか確かめる為に、霊視の力に意識を集中させた。


『――てくれ』

 集中力が高まった時、人とは違うノイズがかった低い声が聞こえた。慌てて目を開けると、窓側にあるソファーに灰色に透けた男性が一人座っていた。

(幽霊、まさか初めからここに居た?)


『すマなイ、ユルしテくれ……ゆるシてクレぇぇ』

 空洞のように光が消えた真黒な目をした中年男性の幽霊はノイズ交じりの濁った声で謝罪を繰り返してる。

 全身がぼやけて分かりにくいが恐らく昔の紳士服を着ていて、口元の大きな髭に玲亜は心当たりがあった。

「まさか、この家に住んでた主人?」

 美左が見せた写真に写ってる姿よりも痩せて様変わりしているが、間違いない。かつてこの館で妻と息子と共に暮らし、凄惨な一家心中を引き起こした父親の幽霊だ。


 玲亜が気づいた瞬間、謝っていた幽霊の動きに変化が起きた。

「ゆるシ、ユルし、して、て、テててテ」

 がくがくと体を揺らし、壊れた音楽のように言葉を連続させる、その異常な変化に玲亜が息を飲むと、透けた体の輪郭がはっきりと形を持ち……主人の体を突き破り六本の棘が生えた。


「っ!?」

『Sい、yUてeeえEエエーー!!』

 棘は伸びて折れ曲がり六本の手足に、服はどろどろと溶けて中から虫のように角ばった骨格が現われ、顔がボコボコと膨らみ変容すると大きく裂けた口から牙が生え揃い、顔の中央に六つのビー玉状の目玉が飛び出した。緑と灰が混ざり合った分厚い皮膚、玲亜も見覚えのある怪物が眼前で雄たけびを上げた。


「お前が、蜘蛛巻き事件の犯人」

 穂群市で起こり続けた連続殺人の犯人は、ここで無理心中した家族の主人だった。生前、蜘蛛に取りつかれた男は、愛するあまり蜘蛛の悪霊に成り果ててしまったと言うのか。

(最悪だ、ここはアイツの巣だったんだ、そんな所に僕達は来てしまった、杏子ちゃんが居なくなったのも、きっとコイツが仕掛けた罠に違いない)

 清掃中に一人になった杏子を先に攫い、玲亜達を館におびき寄せる為の餌として利用した。こちらの恐怖を煽るような悪趣味な手口に、沸々と怒りが灯る。


『――Sぃーー』

 そう睨んでいると主人の蜘蛛は玲亜の方へ向き視線がぶつかる、獲物として選ばれたと思い必死に身じろぎするが、蜘蛛はすぐに目を逸らし、ソファーから真正面で拘束された鏡一郎をじっと見た。

「え、待って、まさか……鏡ちゃん、鏡ちゃん起きて!!」

 ビー玉の目が鏡一郎を捉えた事に気付いた玲亜の背中にかつてない恐怖が駆け巡り、悲鳴に似た声で彼を呼ぶ。

 最初に誰を殺すのか、分かってしまった。


 蜘蛛はカサカサと手足を鳴らして鏡一郎に近づく、一歩一歩距離が縮まるごとに玲亜の心臓は張り裂けそうだった。

「やめて、鏡ちゃんに手を出すな! 殺すなら僕を殺せ、皆は解放して!!」

 鬼気迫る表情で蜘蛛を煽るが、相手は全く意に返さずに進み続け、とうとう鏡一郎の間近に追い迫った。

『Si、テーー」

 蜘蛛はじっくりと目玉を近づけて、目物を見定め、腕の一本が彼の髪を掴んで持ち上げる、その様はまさに巣に絡め取られた蝶を狙う肉食類、人間に寄り抵抗など全く意味をなさない。


「鏡ちゃん逃げて、鏡ちゃん!!」

 大切な人を失うかも知れない恐怖で、玲亜はパニックに陥る。そして鏡一郎が目覚めないまま、蜘蛛の足の一本がひゅっと彼の顔を掠めた。

「――――」

 玲亜から声が消えた。蜘蛛の鋭利な足の先端が彼の頬を薄皮一枚切り、一筋の切り傷から血が流れ出す。蜘蛛は更に傷をつけようとそれぞれの手足を伸ばす。


 ――――――――。

 ――――――――。

 

 傷つけられた、大事な人が傷を負わされた。

 世界から色が消える、音の全てが彼方に遠ざかる。

 心臓の高鳴りを抑えられない、抑える気もない。

 あった筈の恐怖を怒りが塗りつぶす、胸の奥から溢れる憤怒はまるで電流の様。

 目の前の虫けら同然の塊に、果ての無い殺意をぶつけよう。


「鏡一郎に、触るなああああーーーー!!!!」


 咆哮に合わせて体内から溢れだした、枝木の如き赤い電流。

 それは縛っていた蜘蛛の膜を貫き瞬く間に焼き払う、突如、獲物から放たれた鋭い光に驚き蜘蛛は動きを止める。拘束から抜け出した玲亜は床に崩れかけた体を何とか抑える。


「はぁはぁ、離れろ化け物、お前だけは絶対に許さないから」

 床に右手をつき蜘蛛を睨む、体内から発生した電流は既に消え、そもそも彼自身何が起きたのか理解できていないが、それでも薄緑の瞳が発する威圧に蜘蛛はひるみ後ずさる。このまま、玲亜の方から殴り掛かりそうな雰囲気が漂い始めた緊迫の応接間。


 ♪♪~♫~~。

 張り詰めた空気を溶かすように、どこからともなくオルゴールの音が小さくなり始めた。


 奏でる楽曲は子供寝る前に母親が聞かせてくれた童謡『きらきら星』。

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