第28話 蜘蛛の館

「杏子君、どこだーい! もう集合だぞ、戻ってきたまえー!」

 美左が大声で呼ぶが返事は無く足音も聞こえない。いつもの杏子なら、『急かさないでください、すぐに戻りまーす!』と、ぶりっ子を演じた声で腕を可愛らしく振りながら戻って来るのに……。


 玲亜と鏡一郎も分かれて呼び掛けながら探す、乱雑に生えた草木で分かりにくいが廃洋館の周囲は意外と広く足場も悪いため、清掃中に足がもつれて転んで動けない可能性もある、細かく見張り斜面が急になる端まで探したが杏子の姿は見つからない。


 後方から美左が杏子のスマホに電話するが一向に繋がらず、マナーモードにしてるのか音も聞こえない。三人は一度、元居た集合場所に戻り話し合った。

「杏子ちゃん一人で先に帰った、ってのは考えにくいよね」

「流石にそんな事する奴じゃないだろ、仮に帰ったとしても一声言って来る筈だ」

「そもそも思い返せば掃除を始めて別れてから一度もあの子を見かけなかった、二人は見たかい?」

 そう言われればと玲亜は思い返す、清掃中、四人バラバラに分かれて、途中で部長に会って話しこみ、近くを通った鏡一郎に注意されたのは覚えているが、杏子の姿は一度も見なかった、鏡一郎も見ていないと首を横に振る。焦燥から不安がどんどん膨らみ、嫌な可能性ばかりが頭を過る。


「ここに居ないとすれば、まさか建物の中に入ったんじゃ」

 美左の言葉に釣られて奥に佇む廃洋館へ視線を向ける、周囲におらず、下山もしていないなら残りはあそこしか無い。立ち入り禁止の看板を彼女は通り過ぎたのだろうか?


(え――?)

 玲亜が眺めていると二階の中央から右側の窓に張られた板の隙間、紅葉色が混ざる茶髪の制服姿が通り過ぎるのを見た。

「もしかして杏子ちゃん? 今、二階に誰かいたよ」

「おいマジか、本当に入ってたらまずいだろ、と言うより空き家は脆くなって危険だ」 

「……うむ本来は立ち入り禁止だが、我々も入るしかあるまい、急いで彼女を見つけて連れ出し、山を下りよう」


 美左の判断に玲亜達は頷き、看板を越えて廃洋館へと進んだ。細い亀裂が入った玄関扉に着くと、扉は微かに開いていた。

「開いてる」

「捨てられたゴミを見る限り結構な人数が来たようだからな、何人かはここに侵入してたのだろうな」

「先頭は俺が行く、玲亜と部長はその後ろからついて来てくれ」

 前に出た鏡一郎が注意しながら扉に手を掛ける。年季の入った軋む音と共に扉は開き、埃と腐った木の混ざった匂いが微かに届いた。


 薄暗い廃洋館の玄関はグラッジ・ホワイトで見たセリエルの館よりは狭く、一般家庭の家より多少大きい程度、数歩中に踏み込んで感じたのは異様なまでの静けさ、外で聞こえた草木が擦れ合う音は遮断され、自分達の足音だけが嫌に響く廃れた空間、ここで起きた一家心中の話も加わり、館内に不気味な威圧感を感じてしまう。

「お前が見たのは二階だったな、念の為に一階から探すか」

「うん、入れ違いになったら困るもんね、このまま固まって探そう」

 玲亜達は手順を話し、美左は何度目かの電話を掛けながら館の捜索を始めた。


 館の外観は洋館形式だが内装には和の形式が組み込まれており、一階には広い応接間らしき部屋の他に、畳の和室などもあった。暖炉が添えつけられた応接間に残された来客用の古いソファーは錆びつき、クッションは裂かれ中身が飛び散っている。和室の畳も半分は無く、い草が解れてその有様が過ぎた歳月を悠然に物語っている。


 天井から剥がれた板が廊下に所々落ち、美左の言う通り遊び半分で侵入した人達が捨てたゴミも見つける、廊下の壁にスプレーで書かれた読めない文字を過ぎて、鏡一郎を先頭に杏子を探し、一階をぐるりと移動したが彼女は見つからなかった。


「次は二階だな、部長電話は?」

「駄目だな応答なし、着信音は続いてるから、マナーモードの振動が聞こえても良いはずだが」

 杏子の安否が気になり、三人は落ち着かない面持ちで言葉を投げ掛け合う。二階に繋がる九の字の階段に辿り着き、足元に気を付けながら上る。下から見る二階は更に薄暗く、玲亜はスマホのライトで先を照らした。


 二階に着いて左右に伸びる廊下に首を動かして杏子を呼ぶ、ここに来ても返事は無い。

「杏子ちゃんが見えたのはこっちだよ、でもどうしてこんな所に……」

「それは本人に聞くしか無いな」

「んー杏子君、頼むから出てくれ」

 そうして二階右側の廊下を歩き、一番手前の部屋の閉じた扉に差し掛かったその時。


 ヴイーー。

 扉を隔てて奥から何かの振動音が聞こえた。


「今の音、もしかしてスマホの?」

 最初に気付いた玲亜はドアノブに手を掛ける、錆びついたノブは簡単に回りそのまま開けると、他と同じ板で塞がれた暗い室内が広がり、板の隙間から射す木漏れ日が照らす床に、震えるスマホを握った杏子が倒れていた。

「杏子ちゃん!?」

 三人は慌てて駆け寄り声を掛ける、しかし彼女は規則的な呼吸をするだけで、完全に意識を失っていた。家の間取りからして外から彼女を見たのは丁度この部屋の辺りだ。


「駄目だ起きない、怪我はしてないみたいだが」

「待ってくれ、今救急車を呼ぶ……むう今度はこちらが繋がらない、電波は通っているぞ?」

 玲亜は杏子の肩を抱き上げ名前を呼び続ける。館を探索中に転んで頭を打ったのか、怪我を確認していると、暗くて気づかなかったが彼女の首に細い紐上の物体が巻き付いてるのが見えた、そっと指で掴むとその感触に覚えがあった。

「これって、まさか蜘蛛の糸?」

 粘着性のある糸を首から千切って木漏れ日に照らすと糸は白く反射する。

 とくんとくん、ずっと渦巻いていた不安が鼓動を速くさせた。


(『玲亜、注意して』)


「セリエル?」

「どうした、玲亜?」

 ここに居ない筈の悪霊少女の声が微かに聞こえた……気がする。鏡一郎に何でもないと首を横に振り、杏子を一度床に寝かせて立ち上がる。傍で電話に必死に耳を押し付ける美左を通り過ぎてドアの付近から顔だけを廊下に覗かせた。


 空に広がる雲の量が増えたのか、木漏れ日は弱まり、闇が館内を支配し始める。何も見えない、何も居ない……はずだ。


「鏡ちゃん、部長、杏子ちゃんを連れて外に出よう、ここに留まるのはよくな――」

 館その物に危機感を感じ、玲亜は振り向く……手首に何かが巻き付いた。

「何?」

 ゆっくり見下ろすと手首にはまとまった白い糸が張り付いている、その瞬間、糸が腕ごと玲亜の全身を引っ張って廊下に投げ出した。


「くあっ!?」

 壁に背中からぶつかり声を上げる、何が起きたのか分からず、視線を上げると驚いて玲亜を見ていた二人の前のドアがひとりでに閉まった。

「待って!? 鏡ちゃん、部長!!」

 急いで起きてドアノブを掴むが、さっきとは違いノブはビクとも動かない、何度も力を入れるが効果は無く、ドアを叩いて必死に中の二人を呼んだ。


 しかし、声は返ってこない。

 おかしい、薄いドアを越えて間違いなく声は届いてるのに、室内からは一切の音が聞こえない。しばらくドアを叩いた玲亜は、意を決してドアを破ろうと試みた。


 その時、今度は首に違和感を感じた。

 ハッと気づいて首元に触れると、白い糸が巻き付き、間髪入れず玲亜は引っ張られ地面に叩きつけられた。

「ぐっ、こ、の!」

 糸を千切ろうとするが、頑丈な繊維は弾力性を持って少し伸びるだけ、首を絞める圧迫感に襲われながら、反対側の廊下に引きずられる。


 首の糸は廊下の先へ伸び続け、その先は闇に覆われている。この糸の正体と持ち主に心当たりがある少年は引きずられながら必死にもがき、階段前の壁の折り目に手をかけて体を止めた。

「ぐ、うぁ」

 片腕に力を込めて耐えるが、そのせいでより強く首は絞めつけられ、上手く酸素を取り入れることが出来ない、意識が散乱し始めて壁を掴む指から徐々に力が抜ける。


「せ、セリ、エ」

 ここには居ない少女を思い浮かべた時、指が離れ、そのまま玲亜の体は廊下の奥へと無力に消えて行った。


 そして、館は何時もの静寂さを取り戻し、開いていた玄関扉は誰となく閉められた。

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