第25話 肉食性クモガタ類

 襲い掛かって来たソイツに向かって、セリエルは指を走らせる。圧縮されたポルターガイストの波動が側面に当たって巨体を容易く吹き飛ばした。

『――――』

 しかしソイツは空中で立て直し、何事も無く飛ばされた先の大きな看板の上に着地した。ビルの影から離れ、玲亜の目に襲撃者の姿が曝け出される。


「……化け物」

 ソイツは人間と蜘蛛が混ざり合った怪物そのものだった。

 鼠色ねずみいろ焦茶色こげちゃいろが混ざった肌、人間の体型で、人間の手足もあるのに、背中と腰とわき腹から昆虫の細い足が生えて、その切っ先は鋭利に尖る。服は着ておらず、胴体から下腹部は、人間の骨格をしておらず生殖器官は見当たらない、蜘蛛のお腹のように厚い皮が張られ、手足の付け根がボコりと膨らみ、その上を太い毛で覆っている。


 そして何より恐ろしいのはソイツの顔、大きな頭には人間の長い黒髪がまばらに生え、中心には鼻が無く、黒く丸い大きな目二つと小さな目四つがひし形に並び、裂かれた口の両左右から強靭な白い歯が曲線を描いて前に突き出ていた。


 視覚の全てを持って否定したい醜い権化、しかし現れた怪物を見て玲亜は確信した。

「アイツが、蜘蛛巻き事件の犯人」

 噂で聞いた蜘蛛の怪物と合致する、街で起きた連続殺人事件、セリエルが帰れない理由、その元凶が遂に現れたのだ。

『Sぃーー』

 怪物の牙の隙間から漏れる声とも息とも分からない音、看板の上でうねうねと動き続ける手足、ビー玉の目からは感情がまるで読み取れない、しかし再び襲って来ない所を見ると、セリエルを警戒してるのかもしれない。

「セリエル、アイツも人間じゃ無いよね」

『ええ、あの波長は変質した霊で間違いない……だからさっきの約束を守る必要は無いよね?』


 少し考えた後、玲亜が頷くと悪霊少女は冷酷に口を緩めた。


『それなら早々に……退場しろ』

 赤い瞳が煌めいたその時、蜘蛛が乗る看板がへこみ悲鳴を上げた。交差点の顔面と同じ方法で、周囲の空間ごと対象を潰そうとする。

『――!』

 しかし、気づいた蜘蛛は瞬時に跳躍して回避、残された看板だけが圧縮された。


(速い!)

 今の蜘蛛の回避に玲亜の目は追いつけなかった、駐車場に着地した蜘蛛は体を倒し、八本の手足を使い、人間と蜘蛛を逸脱した速度で蛇行しながらセリエルに向かう。距離が縮まった境で蜘蛛は勢い良く跳ねて、落下に合わせて手足をそれぞれ槍のように突き刺した。


 その場から動かず待ち構えたセリエルは、冷静に目の前にエネルギーの壁を張って手足を防ぐ、間近で見た蜘蛛の醜悪さに目を細めて指を鳴らすと、見えない衝撃がハンマーのように蜘蛛を吹き飛ばした。

『捕まえた』

 地面に転がり、平然と立ち上がった蜘蛛が突然動きを止める。セリエルのポルターガイストが今度こそ相手を捕縛したのだ。


『sいーー!』

『今回は余興無し、惨めに潰れて』

 セリエルが人差し指を上に向けると、蜘蛛の体が宙に浮きあがる。そして五メートルまで上がった時、少女は力強く指を振り下ろした。ゴシャッと鈍い音を上げて蜘蛛は地面に叩きつけられる、当然その一回で終わらず、再び浮かせて叩き落とす。


 何度も、何度も、掴まった蜘蛛から悲鳴は出ない、消滅するまで繰り返される無慈悲な鉄槌に、被害者の女性の傍で見守っていた玲亜は勝利を確信する。


 しかし、何度目に宙に浮いた蜘蛛が手足を震わせ始めた。

『S#いAoぎ』

『?』

『ーーーーぁあアああっッ!!』

 首を傾げるセリエルの目の前で蜘蛛は咆哮して拘束から抜け出した、そのまま地面に落ちて間髪入れずに少女に突進した。

『っ――』

 自分の力を破られて僅かに動揺するセリエルに襲い掛かる凶刃な牙、ここに来て初めて少女は横に躱すという回避行動をとった。蜘蛛の牙は空振り、そのまま玲亜達も無視して最初に居たビルの壁に飛び移った。

(あの動き、まさか)

「セリエル、アイツ逃げる気だ!」

 玲亜の言葉通り、蜘蛛は脇目も振らずに壁を登っていき、屋上に辿り着いた。蜘蛛は首だけを異様に回して、セリエルではなく玲亜を見た。

「え?」

 六つの目と視線が合う、困惑する玲亜に蜘蛛の口が歪んだ。

 ……まるで笑っているように。


『逃がさない』

 相手の逃避を理解して、明確に怒りの感情を瞳に宿したセリエルはすぐに追おうとしたが、それを目の一つで確認した蜘蛛が手足を引っ張るように動かすと、駐車場の端から何かが擦れる音がして、同時に周囲から一斉に蜘蛛の糸がセリエルに被さった。

「セリエル!?」

 強固な膜に全身を覆われた少女に玲亜は動揺するが、数秒も立たずに中から膜を引き裂いて容易く脱出した。ほっと玲亜は安心するが、セリエルの表情は険しい。恐らく玲亜達が来る前から駐車場の周りに糸が張り巡らされ、偶々足止めとして使われた。


 数秒足止めしただけで充分、蜘蛛はこの場から完全に姿をくらまして逃走した。

『気配はもう無い……っ!』

 僅かな油断から絶好の好機を逃してしまい、セリエルは怒りに沈黙する、震わせた拳を空に振るうと、先のフェンスが音を立ててひしゃげた。掛ける言葉が見つからずに玲亜が見つめていると、少女は拳を開いて大きく息を吐いた。

『仕方ない、逃がしたのは私のミス』

 冷静に自分に言い聞かせ、玲亜の方へ向くと軽く指を動かして、被害者の女性の糸を弾けさせて解放した。


「セリエル、その……平気?」

『ええ、油断した、あの霊は人間の恐怖を食べて予想以上に力を付けていた』

「うん、アイツは何か今までと違う感じがした、幽霊って強くなることもできるの?」

『霊にとって人間が持つ恐怖はそれだけでご馳走になる、地縛霊になるリスクはあるけど、噂が恐怖となって広がるだけ対象の霊は力が増幅する』

 未だ気を失っている女性の呼吸を確認して横に寝かせる、あの蜘蛛の悪霊は顔面や小人と違い、存在がはっきりしているように見えた。


『霊が見えない人間でも視認できるレベルのエネルギーを蓄え、自らの意思で殺人を繰り返す存在、その蜘蛛の糸だって本物の糸を使ってる』

「え? あ、本当だ」

 足元に散らばった糸を持ち上げると、消えずに確かな感触がある。実物の物を使うのはセリエルのポルターガイストに似ている。 

「気持ち悪い奴だね、何かこっちを見て笑ってたし」

『笑ってた? まさか……ともかく、今のぶつかり合いでアイツの気配は覚えた、今度は逃がさない』

「うん、蜘蛛巻き事件の犯人なら絶対に倒さないと……そうだ、救急車呼ばないと」

 まだ暗いが空は青みがかって来た、女性の体調も心配な玲亜はスマホを取り出し救急を呼ぼうとしたが、ボタンの前で指が止まった。


「これって向こうに履歴が残るんだよね、偶々散歩中に発見しましたって説明しても、この時間だと色々無理があるよね、どうしよう」

 未明の四時半過ぎに高校生が何をしていたのか? 追及されるのは目に見えてる上、もしかしたら蜘蛛巻き事件の容疑者にされかねない。


 うんうん唸りながら、近くに公衆電話が無いか見渡していると、セリエルが近づいて来た。

『はい』

 そして右手を握り親指と小指だけを伸ばした、受話器の形で差し出した。

「え?」

『だから、はい。向こうに繋げたから後はアナタが説明して』

 意味が分からないまま、玲亜は恐る恐る右手に耳を近づけた。


『――――はい、119番消防署です、火事ですか救急ですか』

 少女の右手が近くの消防署に繋がった。

「君、本当に凄いね」

『当然』

 その後、スマホで現在位置を確認しながら名前を隠して通報した玲亜は女性の傍で待ち、救急車が到着したタイミングでセリエルの力で姿をくらまし、誰にも目撃されないまま帰宅した。


 蜘蛛巻き事件の犯人、その悪霊との対面、誰も知らない所で綴られるハイカラ少年と悪霊少女の怪異譚は、静かに佳境を迎えようとしていた。

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