第16話 セリエルは笑う、優しく冷たく残酷に

 少女が何を言ったのか分からない、近くの街路樹が風にかすれてザワザワ騒ぎ心臓を冷やす、セリエルと出会って麻痺していた恐怖の感情がこんなときに活動再開する。


「ここに、何かいるの?」

 隣に立ち指先の震えを我慢しながら交差点を見渡す。

 掠れて剥がれた白線、苔の生えた石壁、朝と同じひしゃげたガードパイプ、暗くてはっきりと分からないが、おかしなモノは恐らく存在しない。

『そうアナタは見えないのね、私を見ていたから勘違いしていた……だったらこうする』

 セリエルは玲亜に迫り、その右手を顔に向けて添えた。急な接触を受けて反射的に離れようとしたが。


『動かない』

 

 ゾッとする抑揚のない声を受けて硬直、額と瞼に冷たい指先が触れて、掌から蒼色の光が玉の形で眼前に放たれた。

「うゎ、っっ」

 眩しさで目を瞑り身構えたが、数秒後に光は消えてセリエルは離れた。

「今、のは、」

『アナタの視界情報を少しいじった、短時間だけどこれで見えるようになった筈』 

 着物の袖で目元を拭きゆっくりと瞼を開ける、光の影響でぼやけた視界が少しずつ鮮明になり、目の前には変わらず少女の姿……その右手は交差点の中央を指さす。


 見えるって、何が?

 無意識につられて首を動かす、先の転びの交差点を捉えたその時、玲亜は見た、見てしまった。

「何――アレ?」

 視界に入るアレが何なのか理解できない、嫌だ、理解したくない。頭の中を巡る信号が視覚情報を拒絶する、しかし目が離せない、強烈すぎる異形を嫌でも認識してしまう。


 横断歩道に囲まれた道路中央を占拠する巨大な楕円形の物体。それはうごめらめき、活動している。


 物体は……恐らく顔、お面の形状をした三メートル程の顔面がアスファルトにへばり付き夜空を向く。

 その全体は薄い靄に包まれ、墓石のように色素が消えた灰の肌には幾つもの皺が彫られ、光を持たない黒一色の目はぎょろぎょろと眼球運動を続け、目尻からどろりとした黒汁を垂れ流す。頬から額にかけてボコボコと膨張、収縮を繰り返すグロテスクな光景が見る者の嫌悪感を加速させる。 


幽霊ゴースト、それも人間に危害を加える類の』

 閉じていた顔面のひび割れた口が大きく限界を超えて開いた。まるでトンネルの入り口だ、動けない玲亜が場違いな感想を抱いていると、微かに軋む音が鳴り、口から細く真っ白な腕が次々に生えた。

(うええ)

 玲亜の背丈よりも長い人間の腕の大群、空に伸びるモノもあれば、常識的な関節部分を無視して折れ曲がり地面に倒れ乱雑に動くモノもいる。


「あれが君と同じ幽霊だって言うの? あんな気持ち悪いのが……」

『幽霊としてのカテゴリーは近いけど、あんな醜い姿と同類と言われるのは不愉快』

 例えるなら口に挿された生け花? それともスーパーで安売りされたエノキか。ともかくこんな化け物が毎日通る交差点に存在していたなんて。


『じ、z&は8りじゃ■■#bkCな、b\^、』

 見えてしまったその次は聞こえてしまった。音響の悪いマイクで絞り出した低音に似た、あの顔面から発せられた唸り声が深夜の路上に響き渡る。

 

 かさかさかさかさ、声に反応して三十以上の腕はさらに成長して交差点を進む、上から下から放射状に幕を広げた。端まで伸びきった腕の中には近くの段さや道路標識の棒を掴むモノもおり、掴んで離し、掴んで揺さぶってとまるで遊んでいるようだ。


 その奇妙な行動が今朝の出来事を思い出させる。横断歩道を渡る最中、何かに足を掴まれた感触。

「もしかしてあれが、ここの事故を引き起こしてる原因?」

 何度も起きた転倒事故、そして先週の自動車事故もあの幽霊が引き起こした、あの腕が歩行者の足を掴み、走行中のタイヤに絡んだ。

 だとすればあれが、転びの交差点の元凶――。


『uえG&、?』

 その時、天を見ていた顔面の目が玲亜達へ向けられ、這いずっていた腕が一斉に動きを止める。


「……あのセリエルさん、僕の気のせいでしょうか? 幽霊がこっちを見てる気がするのですが?」

『ええ見てる、アナタが霊を見える影響で、霊もアナタをはっきりと認識できた、それにああいう質の悪い小者タイプは見える人間を積極的に狙う……アナタ、今とても危険な状況よ』

「それ見える前に言ってくれない!?」

 大声で突っ込んだ瞬間、顔面が激しく振動する。目元の黒汁がアスファルトに飛び散り香ばしく蒸発、散開してた腕が玲亜に狙いを定めて恐ろしい速度で向かって来た。

「っっっ!!??」

 迫りくる腕の大津波、逃げようと半歩後ろに足を動かすが間に合わない。

(襲われる、喰われる……死ぬ? こんな所で、簡単に終わる?)

 間際に浮かんだ呆れに近い感情で波を見続ける、死の宣告が眼前に迫る。


 だが。

 鈍い衝突音がして腕たちの動きが止まった。指先は折れて曲がり玲亜には届かない。呆れから困惑に変わり一メートル前の腕をよく見ると、止まったのではなく進めないのだと気づいた。


『騒がないで。契約を結んでいる以上――アナタに終わりは訪れない』


 それは隣の少女の声、誰に語り掛けたものでもない鈴の音が玲亜の心を現実に引き上げる、見えない壁は彼女の力で作られた。

「セリエル……」

『確認、契約の内容で街の人間に危害を加えないと言われたけど、それはこの霊にも適応される?』

「え、どうだろう? アレは人間じゃない、その上わざと事故を起こしてるなら危ない幽霊だし……うん適応外かな」

『分かった、だったら私の好きにする』


 そうセリエルは告げて軽く指を鳴らした。直後バリィッと甲高い音と共に腕を防いでいた見えない壁に大きな亀裂が入る、何もない空間から出現した網目状のヒビに驚く玲亜を他所に、透明な壁は腕に向かって破裂した。月明りに反射してようやく見えた無数の破片が腕に突き刺さり、根元である顔面の口へ大きく後退させた。


『人間でも霊でもどちらでも構わない、魂を弄び、千切って砕いて燃やして、玩具のように捻り潰すあの感触。しばらく体験してなかったから……アナタで実感させて?』

 今まで聞いたことのない、いや映画の中では聞いたかもしれない、心を凍てつかせる冷徹な魔声、耳にしただけで今が真冬の夜だと錯覚しそうだ。


 フフ、クスクス。

 年相応な無邪気な笑い声、獲物を見つけた悪霊の赤い瞳が、暗く昏くどす黒く輝き、数歩歩み出た全身からエメラルドの粒子が木の枝のように溢れ出た。

『S%ぎお<pTび!?』

 横目で垣間見た巨大な顔面が更に激しく振動。

(もしかして、セリエルに怯えてる?)

 目の前で湧くエネルギーに圧倒され玲亜は街路樹側に下がり様子を見る。


『惨め、人間を傷つける事に味を占めて留まり続けた結果、ここに魂が縛られて逃げられなくなったのね』

 顔面の接着面をよく見ると、無数のぼやけた太い縄が痛々しく肌に癒着してアスファルトに根付いてる。

『窮屈? だったら剥がしてあげる』

 自身のエネルギーで服も髪も躍動して迫力が増したセリエルは、顔面に右手を向ける。瞳が煌めいた瞬間、空気が震え顔面に変化が起きる。


『GyあA%&っtuーーーー!!??』

 腕が密集する口から悲鳴が上がり、顔面はぶちぶち音を立てながら地面から離れる、抉れた傷から黒汁を流して浮き始めた対象に、セリエルは重力を感じない足取りでゆっくりと近づき見上げた。

『それにしても、世界が変わっても霊の形や波長は似ているのね、それを知れて少し安心した』


 上昇しながら悶える顔面は口をさらに開き腕を操作、眼下の少女へ襲い掛かる。

『単調、それしかできないの?』

 避けずに呟くと腕は再び動きを止められ、指先からべきべき音を立てて丸く畳まれた。

『――!!??』

 数十の腕が乱雑に折られて大口に詰め込まれる、セリエルは口一杯で声を奪われた顔面から目を離して周囲から利用できそうな道具を探す、視界に止まったのは点滅する街灯、笑みを深めると街灯の根元が綺麗に切断され、回転しながら浮き上がる。


 物壊すのやめてーー!? 遠くからハイカラ少年が抗議するが無視して己の悦楽に没頭する、回る街灯に人差し指を向けて水平に停止させ、顔面に向けて振り投げた。


 ポルターガイストで飛翔した街灯の根元が顔面の右眼球に突き刺さり、後頭部を貫通した。悲鳴の替わりに痙攣する顔面をよそに、街灯の灯りが火花を散らし炎を生み出した。しかし炎は相手を焼かず、火の線となって伸び、六つの輪っかに変質して顔面を軸に囲みながら回転し始めた。


『@aYぇ、う……』

『痛い? 苦しい? 助けて欲しい? でも私は楽しいからこのまま続けるね』

 一般的な交差点で舞い踊る炎の回転、怪奇的で幻想的な光景に玲亜は口を開けて注目するしかない、終始手玉に取られた顔面はもう何もできない、さえずりが辛うじて聞こえるだけの塊だ。


『Twinkle twinkle』

 向けた手を開き、清廉な歌を口ずさむ。顔面を包む火の輪はさらに速く回り、照らされた交差点が橙色に染まる。映画の中で披露されたVFX満載の殺害風景が今まさに現実で披露されている。

 そして悪霊少女はシュークリームを受け取った手のひらで顔面に狙いを定める。


『Little star』

 きゅっと手を握った瞬間。炎の輪がまとめて圧縮、締め上げられた顔面は一気に潰され――悲鳴を上げる間もなく爆散した。


 炎と骸の破片が混ざった雨が降り注ぐ、衝撃の風が全身に当たりながら、玲亜は少女を見続け、少女もまた彼を見た。


 燃え散った転びの交差点の悪霊を背景に、影に塗られる華奢で小さな体は陽炎のように揺らめく、それでもはっきり見えるのは映画で何度も見せた穏やかで残忍な微笑。

(ああ、この子は本当に……人の命を奪う悪霊なんだ)


 夢幻とも言えるセリエルの美しさに目が離せないまま、彼女の在り方を改めて実感した。

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