第15話 静かな夜、少年と幽霊と。

 人も家も寝静まった真夜中のとばり、海中の如き静けさで刻み続ける時計の針は間もなく深夜の一時を向かえる。


 暗い室内で規則的に動いていた呼吸が止まる。

「――」

 連動して玲亜は瞼を開ける、あやふやな意識は瞬く間に覚醒して暗闇を見渡す。

「ああ、この日か」

 一言呟いた後、再び睡眠に戻ろうとせずにベッドから起き上がりそっとドアを開ける。


 向かい側の和室に入ると湿気取りの為に干してあった着物を取って着替える。灯りも点けず音も抑えながら身支度を済ませると、隣で眠る花撫と一階で同じく眠る花織を起こさないよう注意を払いながら玄関に向かい、視界が頼りにならない中、慣れた手つきでブーツを履いて外に出た。


 深夜外出の際、最も気を張るのが鍵の開け閉め、松原家で暮らし始めた時に貰った鍵を慎重に回し施錠を完了する。夕方よりも冷たくなった風が今は心地よい、家の前で空を見上げると半月が叢雲に隠れ残念な気分になる。

「まぁ、その内顔を出すか」

 月がもっと綺麗に見える場所に移動しようかな、と眠りに落ちた住宅街へ足を踏み出した。


『こんな時間にお出かけ?』


 完全に意識外、背後からの問いかけに背筋が凍る、驚いて振り返るとセリエルが後ろで手を組みながら立っていた。

「びっくりした君か、本当に驚かすのが好きだね」

『別に驚かすつもりなんてなかった、今回は本当、アナタがいきなり起きて家を出たから追って来たのよ』

「あーそっか、それなら悪いのは僕だ起こしてごめん」 

『いい、私は人間と違って睡眠をとらなくても支障は無い、それで? 質問の続き、睡眠を必要とする人間のアナタはここで何をしてるの?』 

 言葉にいつもの棘は無い、幼い表情から玲亜の行動が素直に気になるのが窺える。


「何か目的がある訳じゃないんだけど……散歩かな、うん夜の散歩」

『散歩?』

「君も来る? 今日は退屈してたでしょ暇つぶしには丁度いいかもしれないよ」


 玲亜はしっとりとした雰囲気で危ない行為へと誘い路上を歩き始める、その背を眺めてたセリエルは僅かに逡巡した後、浮遊して追いかけた。


 ……。

 …………。

 各家庭の灯りは消えて点々と並ぶ街灯が頼りの路上は、市街地に比べて闇が広がり、世界から孤立したと錯覚しそうな静けさを全身で感じながら二人は歩く。

「……時々、週に二、三回くらい、こうやって真夜中に目が覚める時があるんだ」

 歩き始めて数分、互いに言葉は無く通り過ぎる住宅の外観を眺めてたセリエルにぽつりと語り始める。

「そうやって起きるともう駄目、もう一度眠ろうとしても全然眠気が来ない、そのまま朝まで起きてるけど流石に暇だからさ、こうして外出するようになった」

『悪い人、こんな遅くまで起きていても朝が疲れるだけ、人間の体力は有限よ』

「それがどうしてか、眠れない日の方が体の調子が良いんだよね、疲れにくいし眠気も来なくてお目目もパッチリ、こうお腹から元気が湧いてくるって表現が近いかも」

『それは、』

 

 小さな酒屋店の自動販売機を通りかかった時、話を聞いていたセリエルが正面に周り込み玲亜をじっと見た。

「どうしたの?」

 困惑する声に返答はない、つま先から頭部に向かって観察する少女の透けた体が明りに照らされ、綺麗な銀髪がガラス細工のように煌めき、それでも瞳のルビーは主張を止めない。自室とは一味違う幻想的な佇まいに声が詰まり、そのまま見られ続けてると彼女は小さく息を吐いた。


『――……こんな所も似てるなんて』

「??」

『気にしないで、あの女の事を思い出しただけ』

 とーっても気になるのですが? そんな心中も気にせず今度はセリエルが先へ進む、今の会話はこれで終了らしい。散歩を続け朝に通った街路樹が囲む歩道に突入すると、落ち葉を踏む音が大きく聞こえた、玲亜はこの音が好きでここを通る時は落ち葉を踏む癖がある。


「そうだ寝る前に話した情報について、何か分かった?」

 就寝前に学校で得た情報を話したことを思い出し改めて聞く、先程話した時は『少し考える』と言われ一旦お開き、情報の精査を行なっていなかった。 

『雷と殺人事件の事? ここで起きてる殺人事件は分からない、そんな珍しくもない事件が関係あるとは考えづらいけど』

「僕にとっては珍しい事態だよ、部活は短くなった上に、何か町全体の空気が重くなった気分になるし」

『空気……まぁいい、それよりも雷の情報は重要かもしれない』

「やっぱり?」

『ええ、アナタは映画を見てる最中でその赤色の雷が落ちたと言った、それを聞いて私も思い出した、あの女……ソフィアに接近したあの瞬間、館の中で私は雷を目撃した』

「っ、本当!? あれ、でもあの場面で雷なんか落ちてなかったよ?」


 セリエルも紅染めの雷を認識していた事実に後ろを歩きながら驚く、しかしそれは映画の内容と矛盾する。

『ええ私の記憶でも、あの瞬間に雷は落ちていなかった……きっと私は私の世界から通じて、アナタの世界に落ちた雷を見たのよ』

 不思議な説明に理解が追いつかない、映画の中から現実世界に落ちた紅染の雷を視認した、ということだろうか?


 セリエルは目線を合わせず前を浮きながら、ひらりと落ちる葉を掴み取った。

『見えたのなら既に道は開いてたと言う事、あの雷が道を開けた原因? でもタイミングが……そもそも酷似してるあの映画は何? 私はどうしてテレビから……』

「んーー……とりあえず、考えがまとまったら教えてください」

 聞いたタイミングが悪かった、ぶつぶつと自問自答する背に玲亜はとりあえず匙を投げて本来の目的だった夜の散歩に興じる。部屋の中にいるより考察が進むことが分かったので今後も少女を誘おうかなと思案していると、暗い街路樹を抜けた二人に雲から顔を覗かせた月光が降り注いだ。


「セリエル、ストップ」

 肩を軽く叩かれセリエルは考察を止める、松原家から出発して遠回りしながら学校までのルートを歩いていた二人は広めの交差点に到達した。

「一度戻ってルートを変えよう、ここは曰く付きの場所だから」

『曰く付き?』

「うん、通称『転びの交差点』、歩行中の人の転倒や自動車事故が次々に起きてる不可解な場所なんだ、僕も今朝は転びそうになったし踏み込まない方がいいかもしれない」

 

 十数メートル先の十字路に備え付けられた外灯は寿命なのか濁った光で点滅を繰り返し、朝よりも薄気味悪い雰囲気が漂っている。

『ふーん事故の多い場所、転びの交差点ね……』

 そんな空気など意に返さず交差点を眺める少女は今は頼もしい、明日から通学ルートの変更を検討しようと考えながら玲亜は踵を返す。

「今度は家から逆方向に行ってみよう? さっきの自販機で飲み物でも買って、」


『――まぁ、、事故が起きるのは当然ね』

 ……少女の声は本当に、今日もいい天気と述べるかのように平坦だった。

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