第11話 蜘蛛巻き事件

 玲亜が通う大津美おおつみ高等学校は普通科、商業科を主軸として半世紀以上の歴史を持つ。後に地域へ貢献する事も考えられた学業と突飛な雨にもへこたれない盛んなクラブ活動に励み、少しばかり古臭さの残る、良く言えば親しみのある日常を生徒達は謳歌していた。

 玲亜と恭一郎は他愛もない雑誌の話題を語らいながらいつも通りの廊下を歩き、ざわざわと賑やかな喧騒をすり抜け自身のクラス二年A組に到着した。


 五月後半の冷えが残る時期、教室内の制服の輪に侵入したハイカラ衣装は珍妙な意味で目立つはずなのに生徒達は気にする事無く彼と軽い挨拶を交わした。

「はろはろ~。はーここに来ると安心するな、いつも通りが帰ってきた感じ」

「大げさだな、土日でなんかあったのか? 交差点の時もだがちょっと様子変だぞ」

「え!? ううん何もなかったよ、ただこんな日常も大事なんだなって再確認しただけ」

「何だそりゃ?」

「学校生活サイコーって意味♪」


 窓際後方にある玲亜の席に向かうとその近くで今流行りの髪型をした女子三人が談話していた。

「あっ、ユリユリに阿流守君おはよ!」

「ユリユリもう体調平気なの?」

「ああ、おはよ」

「おはよー、こっちはもう元気百パーセントだよ」

 鏡一郎は挨拶を返して斜め前の席にバッグを置き、その背中を見ながら玲亜も机に座り彼女達の会話に加わった。


 ユリユリと愛称で呼ぶ今風の少女達とは不思議と会話が弾む、玲亜の恰好から余り男子と意識されないことが原因の一つかもしれない、かと言って男子達と疎遠という訳でも無く、玲亜のコミュニケーションの波はクラス内に大きく広がっている。

「そうだユリユリ見て新しく買ったマニキュア、今日初めて塗って来たんだ」

「わぁ可愛い色、もしくはピンクネイルの最新版?」

「当たり~サイトで見つけてさ、もう一目で惚れて即買いしちゃった」

「即決パヤイね、この薄めの赤は肌の色とも相性良いかも、僕もそろそろ新しいの買おうかな?」

「あれ? そう言えばユリユリ今日は塗ってないよね、先週はラメ入りだったじゃん?」

「あはは今朝はちょっとバタバタしてて忘れてました」

 四人で爪を見せあいながら話していると、教科書を取り出し終えた鏡一郎が近づいた。


「玲亜伝えるの忘れてた、部活の事だが今日から全部早めに切り上げろって決まった、放課後長居すんなってさ」

「部活の短縮? やっぱりこっちもそうなったかー」

「そうそう、ユリユリが休んだ日に全校集会があってそこで言ってたし」

「そっか中学が短縮になったって聞いたからもしかしてって思ったけど……あの事件がそれだけ深刻だって事だよね」

「【蜘蛛巻くもまき事件】でしょ、私達もさっきその話してたしてた」 

「部活以外にも夜出歩くのもなるべく控えて、学校の帰りも人通りの多い所を通れって校長言ってた」

「犯人まだ捕まってないんでしょ、私怖ーい」

 女子達が互いに怖いと話題する横で玲亜は神妙な表情を浮かべる。


「どうした玲亜?」

「鏡ちゃん蜘蛛巻き事件って言われるようになった原因って、死体があり得ない状況で見つかったからだよね?」

「確か噂ではにされてたとか、ああそうだ、それと事件現場の近くで怪物を見たんだったか? そっちはデタラメ臭いけどな」

(ぐるぐる巻き、怪物、それって見方を変えるとオカルト……怪奇現象みたいなものだよね?)

 家で待つ少女を思い出す、二日前にこちら側にやって来たセリエルと噂の事件は無関係だと思うが、ありえない出来事と言う点では共通してる。

(帰ったらセリエルに話してみよう、何が関係してるか分からないもんね)

 黙り込んだ姿を鏡一郎が不思議そうに見る、それに気づき慌てて取り繕った笑顔を見せると、窓の外から重みのある音が響いた。


 パトカーのサイレン音。

 

 緊急事態を知らせるその音は学校の近くから聞こえる、音が耳に入った途端教室内の会話が一斉に止まりみんな顔を強張らせ窓の外を見た。鳴りやまないサイレンに嫌な悪寒が駆け巡る、連日ニュースや新聞で報道されるあの事件を連想してしまう。今までは幾つも離れた町で起きたのに、

 ――まさかこんな近くで?


(嫌な感じ……また何か起きたの?)

 雲の少ない晴れやかな天気にそぐわない音に玲亜の不安は膨らむばかりだった。



 ★★★



 大津美高等学校から僅か一キロ半ばかりに位置する街中に建つ小さな廃墟、昔に倒産した会社の跡地の前には赤いランプを光らせる数台の警察車両。入り口に貼られた立ち入り禁止の黄色いテープと大きなブルーシートがこの中で何かが起きたことを証明している。


 廃墟の中では既に青い制服の鑑識官が忙しなく動き現場を調べている、小さなシャッター音が聞こえる空間でスーツ姿に身を包む男性刑事数人が手袋をはめて三階の最も広い一室に入った。


「……ひでえな、こりゃ」

 刑事たちの中で最年長、白髪が目立つ四十代後半の男性が目の前に広がる凄惨な光景に眉をひそめた。錆びれた一室に充満する血と肉の匂い、後ろの刑事たちも言葉を失い、最も若い青年に至っては胃の中の朝食を今にも吐き出しそうだ。

「これで七件目、この現場から見ても同一犯の犯行と考えて間違いないかと」

「断言はしたくねえが、こんな真似できる奴が何人もいるって想像したくねえな」

 最年長の刑事が両手を合わせ、後ろもそれに続く。


 今朝、廃ビルの中に放置された死体を見つけたと巡回中の警察官より通報があり穂群市中央警察署から担当する刑事たちが出動。二か月前から立て続けに起こった連続殺人、その新たなる犠牲者が出てしまった。


「それに今度は三人いっぺんにだ、犯人の野郎、殺しを楽しんでやがる」

 歩くたびに頭や足にかかる白い糸を払いのけ、苦虫を潰した表情で室内に三人の遺体を見つめた、事件が始まって以来初の複数の犠牲者に刑事も鑑識も皆が怒りの感情を心に湧き上がらせる。

「蜘蛛巻き事件」

「え?」

「娘が言ってたんだよ、学校でこの事件がそう呼ばれてるって、真夜中にでけえ蜘蛛のバケモン見たとか被害者がソイツに襲われたんだって、何処から広まったか分からねえが遺体の状況も知れ渡ってるらしい」

「こちらに集められた情報の中にもありましたね、巨大な蜘蛛の影がビルの屋上にいたとか、事件に便乗した作り話だと普段なら思いますが……今はそう思える自信がありません」

「だなぁ」

 

 連続殺人事件に関するある噂。殺された人たちは全身数か所を鋭い牙の様な物で噛みちぎられており……そして。

「だがそれでも……一刻でも早く、見つけねえとな」


 一人は左の壁、一人は窓枠、そしてもう一人は天井に。大量の白に滲む鮮血のグラデーション。

 それは美術館に展示された絵画のように。


 嚙み千切られそれぞれ四肢の一部を失った遺体が、室内を染め上げる程の大量の蜘蛛の糸によってがんじがらめに巻かれて、他者に見せつけるかの如くはりつけにされていた。

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