第7話 しんしんと日曜日
全ての意識が閉じた世界に走る感触無き電流、まどろみから抜け出した瞼がゆっくりと開く。
「…………あさ」
目覚めた玲亜は見慣れた天井を見ながらゆっくりと酸素を取り込む。胴体から手足の先へ血が巡り息を吹き返す感覚、ひんやりとした温度を肌が捉え続いて聴覚が動き出す。
とくん。とくん。
規則的な心音が心地よく届けられた。
「うん……今日も生きてる」
閉められた星空が描かれたカーテンの向こうから聞こえる気まぐれな水音、灰色の室内、折角の日曜日も雨が続くようだ。
(いつ寝たのかな? 昨日何か大変な事があったような……)
目覚めてすぐで働かない思考、まぁいいか、と布団の温もりにさよならを決めてベッドから体を起こした。
『おはよう』
起きた眼前には逆さ向きの少女の顔、定規一つ分にも満たない距離で真っ赤な瞳が玲亜を見つめる。
「~~~~っっ!!??」
声にならない悲鳴が湿気香る早朝の片隅に
……。
…………。
「はぁはぁ、あ、朝から心臓に悪いから、そう言うのやめてよね!」
左胸を押さえベッドから非難の目を向ける、まどろみは明後日の方角に吹き飛び完全に目が覚めた、おはようございます。
重力に逆らい室内で逆さの体勢で浮いている悪霊少女セリエルは悪びれも無い表情で首を傾げた。
『? 別に驚かしたつもりは無い、アナタの寝顔を見てたら起きたから挨拶しただけ』
浮いた体が回転して正位置に、玲亜の足元数ミリで浮き続け彼女の赤い目が見下ろしてくる。
「挨拶は普通に! はぁ……それで朝になったけど落ち着いた?」
昨晩セリエルにテレビから飛び出したことを説明したが当然信じてもらえず、それでもラップ音響く中で根気強く続けると少しずつ理解を示し、示すほど白い顔が更に色素を失っていった。そしてこれ以上聞きたくないと首を振り、突然姿が透明になり見えなくなった。
恐らく成仏はしていない見えなくても部屋の中に居るとなんとなく感じた、少女の気持ちも考えずに正直に話し過ぎたと後悔が湧き上がる、その後呼びかけても反応は無く仕方ないと諦めそのまま就寝した。
『そうね、アナタが寝てる間にこの家の外を渡って、周りを観察して来た』
いつのまに――もしかして映画のように町で暴れたのではと悪い方向を考えたが。
『それで一応、頭は冷えた』
シャッとセリエルのポルターガイストで開かれたカーテンの先は昨日と変わらず灰色、そんな雨天を見つめる少女の顔は冷静さを取り戻していた。
「それなら良かった、けほけほっ」
胸にチクンといつもの痛み。咳き込んだ玲亜は特に気にせず伸びをして立ち上がった。
「ん-っと、それじゃあ僕は朝ごはん食べて来るね、君も食べる?」
朝食の誘いは当然ジョーク、同居人二人にセリエルの存在を知られてはまずい。
『幽霊が空腹になると思う?』
「思いません、とりあえず今日も休みだし、色々な事はそれから考えようか」
『待って』
ドアノブに手を掛けたと同時に後ろから制止の声、首を向けるとセリエルがそわそわ視線を泳がせてる。
『昨日のアレ、まだあるの?』
「アレ?」
『その、冷たくて甘かった……アレ』
その言葉で昨晩差し出した冷凍お菓子を思い出した。
「ハーケングリム? あるけど……幽霊に空腹は無いんじゃなかったの?」
『空腹と食欲は別問題、持ってきてね』
拒否権は無さそうだ、宙に浮きながら棚のファッション雑誌を引き寄せる彼女に思わず苦笑した。
★★★
「玲亜くーん? 朝からアイスはお腹冷やすよ?」
和風な朝食を終えて冷凍庫を漁っていると花織から注意され、慌てて返答を模索した。
「あはは見逃してください、今週は食べ盛りな気分なんですよ」
食後の痛み止めを飲んだばかりなので制止されるのは当然だが、身の安全のためにも玲亜は譲れない。
「私も食べ盛りかも玲亜さんお一つ下さい、課題の前に栄養補給です」
「もう花撫まで、だったらお母さんにも頂戴!」
結局、夜だろうと朝だろうと食後のアイスは美味しいのだ。戯れる二人を他所にそそくさと手早くハーケングリムを二つ隠し自室に戻る、起床時よりも強まる雨に昨日の出来事を思い出しながらドアを開けると、雑誌を読んでたはずのセリエルはその手に持つグラッジ・ホワイトをじっと見つめていた。
『まだアナタの話を信じたわけじゃ無い、私が映画の中から出て来たなんてありえない、だからこれを見て確かめる』
玲亜に振り向くことなく少女は喋り始め、パッケージを人差し指の上に浮かせた。
「そっか……そうだね手掛かりになるその映画を見れば何か分かるかもしれない」
それにまだ結末を見ていない。玲亜は歩み寄りハーケングリム、クリスチップチョコ味を手渡した。
『! 昨日と色が違う、香りも』
「チョコレート味、そっちも美味しいからとりあえず食べてみて。僕着替えるから映画はその後に見よ」
ドア側の壁に備え付けられたクローゼットを開け、防虫と湿気対策が徹底的になされたタンスから着物と袴をセットで取り出す、昨日と同じ白と紅の大正ロマン衣装。ネット通販で何着も買ったお気に入りの普段着だ。
(とりあえず僕が今日にでも殺されるって事態は無くなった、日曜日で良かったー、映画から何か分かると良いけど)
いそいそと寝巻を脱ぐと外気に晒される細い肩、脂肪の無いスリムなお腹に産毛も見えない綺麗なふくらはぎ、風通しの良いボクサーパンツ一枚の恰好で栗色のセミロングを掻き揚げて一息。
慎ましい香水の残滓が漂う椿の着物を両手で広げていると、横からセリエルからの視線を感じた。
「どうしたの?」
アイスの蓋を開けたのに食べようとせず少女は驚いたように目を開いてる。
「――アナタ、男だったの?」
アメリカでは見たことの無いが恐らくは女性が着るであろう東洋の服、あの女に似た色の長い髪、大きな目が特徴の可憐な顔立ち。初対面の人物なら間違えても仕方ない。
セリエルはつい数十秒前まで黒百合玲亜を年端も無い女子だと……勘違いしていたのだ。
下から上までじっくり眺められてる事に気付き、頬を染めながら着物を胸元に引き寄せる。
「見ないでよスケベ」
ベッドに置かれた雑誌が手裏剣の如く飛翔して玲亜の頬を掠めた、やはりポルターガイストは便利で恐ろしい。
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