第5話 一階は平和、問題は二階
玲亜が居候するここは市内のとある住宅街に建つ二階建て4LDKの一軒家、父と母と子供達の数人で暮らす事を想定した台形のモダンハウス。家主のこだわりによりアンティークな小物と長持ちするドライフラワーで飾られた一階のリビングはお洒落な喫茶店に似た趣があり視覚からリラックス効果を得られた。
時刻は十九時目前、ほかほかな夕食タイム。
ゴマの風味漂う野菜たっぷりの豚肉サラダをメイン、青豆入りの玄米ご飯に小松菜とねぎのお味噌汁、小皿に添える作り置きの漬物、と和風中心のメニューがテーブルに並ぶ。席に着いた三人は手を合わせそれぞれ箸を手に取った。
夕食前にお風呂を済ませた玲亜の服装はハイカラ衣装からゆったりとした桜柄の寝巻の浴衣、花撫も白の半そでパジャマに着替えて互いに髪がしんなりと熱を帯びていた。
いつもなら今日一日の出来事を談話しながら、美味しいご飯に心身を満たす和やかな時間なのだが、部屋に残した特大の爆弾が気がかりで食が進まない。
「玲亜君どうしたの? さっきから全然食べないけど……もしかして食欲無かった?」
対面に座る三十代後半の女性、花撫の母親『
「い、いえっお腹ペコペコです、ではでは、モグモグ……ん、このサラダさっぱりしてておいしい! 梅のドレッシングが絡み合って良い酸味、花織さんの料理はやっぱり最高ですね」
玲亜の隣に座る花撫も視線を向けていたので、急いで夕食を口に運び大げさなリアクションを取る、パクパクと平らげる姿に花織は安心して首を傾け左右に広がるボブの髪が揺れる。
こちらがおかしいと悟られないよう冷静にお味噌汁を飲んで話題を変える。
「そう言えばさっきの雷近かったですね、この調子だと明日も一日中雨かな」
「天気予報では今日は晴れなのにね昔からそうだけど、この町は雨が突然やってくるから嫌になるわ」
「予報がよく外れるなって思ってたけど、やっぱりそうなんだ?」
「そう、花撫が生まれる前からずーっと! 天気予報は外れてばかり、常に傘を常備しなきゃ安心できなかったわ」
「僕も昔から雨に濡れたな、予報じゃ晴れだって言ってるのに外に出たら雲ばっかりで、この町の晴れほど信用できないものは無いよ」
気まぐれな雷雨に愛された不運な土地、それがだけが原因とは言い切れないが穂群市は年々、人口減少の一途を辿っている。
「今日も予報に逆らって午後から土砂降り、花撫ちゃんは降る前に帰れて良かったね、午後の部活は休みだったの?」
「はい、お母さんにも話したんですけど、実は学校の全ての部活がしばらくの期間短縮することになったんです」
「短縮?」
予想外の返答にお箸が止まる、同じく食を一時止めた母親が口を開いた。
「玲亜君も知ってるよね、この市でここ一月の間起きてるあの事件、その影響よ」
「ああ、あの殺人事件」
夕餉の湯気に似合わない言葉がリビングの空気をほんの僅かだけ冷やす。
二か月前、穂群市に関する一つのニュースが報道された。
市街地に近い町の路地裏にて男性の変死体を発見、他殺の可能性が高く警察による捜査が始まった、と。市の中で起きた殺人事件、しかし住民にとっては対岸の火事と同じでありそこまで大きな話題とはならない、筈だった。
一人目の変死体発見から四日後、市内の別の町で新たな変死体が見つかる。更に二日後別の町、更に五日後、更に、さらに。
立て続けに起こった猟奇事件、遺体の状況から警察は同一犯の犯行と捉え現在六人が犠牲となった連続殺人事件として公表された。同一犯だと結論付けた証拠である遺体の不可思議な状況は情報規制がされたのかニュースでは報道されなかった。
「事件が続けて起きたのはここから離れた場所だけど、流石に学校も警戒しちゃうか」
「私の中学は今月末まで短縮して様子を見るみたいです」
「となると僕の高校でも同じことになるかな、物騒な事になったなぁ」
しかし、何処からともなく流れて来た死体に関する『ある噂』が規制の網を潜り、人から人へ伝達され、ちょっとした都市伝説もどきを生み出した。
それは――。
「食事中に話す事でも無かったわね、そうだ花撫その漬物新作なんだけど、どう?」
「もぐ、れんこんの漬物……おいしいけど、ちょっと甘すぎる?」
「んふふ~~、だってさ玲亜君」
「むむむ砂糖の量を間違えたか、僕もまだまだ未熟っ」
「え、まさかこれ玲亜さんが!?」
事件の話題から離れ和やかな時間に戻る三人、玲亜は日常の一幕をしっかりと噛み締めながら玄米を頬張り、頭の片隅で自室の悪霊をどうするかぼんやりと考えた。
…………。
――何も思いつきませんでした。
気づけば夕食を終え、テーブルを拭きながら時間経過に大いに焦っていた。
(どうしようどうしようどうしよ!? 何とかしてあの子をテレビの中へ返却、もしくは成仏してもらわなきゃいけないのに、もしあの子が家の中で暴れ出したらっ)
映画の惨劇シーンを思い出し背筋が凍り付く、映画の中のセリエルは何処までも冷血に何処までも無慈悲に、命乞いにすら耳を傾けなかった。
内心切実な状態の彼に気付かず“母”花織はテキパキと食器を洗い“娘”花撫はソファーにくつろぎテレビを見る。自室よりも大きな画面ではバラエティ番組合間のCMが流れ、焦燥する耳に嫌に大きく届く。
『悪魔すら
それはアイスクリーム【ハーケングリム】のCM、少し値の張る高級アイスクリームだが濃厚な味わいが子供も大人も魅了する日本で大人気の商品である。玲亜もまた魅了された者の一人であり冷凍庫の中に買い溜めて……。
ピタッと拭いてる手が止まる。
(
天の啓示が魂に光指す。いけない! 少年は錯乱している!?
(ハーケングリムで、アイスクリームで釣ろう。餌付け大作戦だ!)
悪霊とは言え相手はまだ子供、美味しいお菓子で懐柔すればこっちの話を聞いてくれるかもしれない。傍から見れば無謀にもほどがある作戦だが他にいい手も浮かばない。
そうと決まればと玲亜はテーブル拭きを花織に預け素早く冷凍庫を開ける、中にあるハーケングリム六個入のアソートボックスを漁りフレーバーを選ぶ。
(ここは甘酸っぱいストロベリー? いや、まずはシンプルなバニラで攻めて行くか)
「やり残した課題があったので部屋に戻ります、これはお夜食って事で」
「はーい、余り勉強も遅くならないように」
「了解です、はい花撫ちゃんもお夜食どうぞ、クッキーで良かった?」
「ありがとうございます、それなら玲亜さんが好きな二十時からの番組録画しますね」
「あ、忘れてた」
スプーンを受け取り何気ない会話を紡ぎながらソファーの花撫にカップアイスを渡す、これもまたいつもの日常。
「玲亜さん、おやすみなさい」
「うんおやすみ……僕頑張るよ」
「?」
とても大切なこの一幕を壊させはしない、ここから戻るのは自室であり突然舞い降りた恐怖の非日常空間。勝敗を決する鍵は右手に握る小さなアイスクリーム。
決意を固め、少年は断崖の如く聳え立つ階段を上った。
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