scean&timing
無事に彼女との小さな家も決めて、僕たちは僕たちのささやかな生活を初めて1ヶ月ほど経った。
彼女の顔の傷跡も多少良くなり、親に見つかることを恐れて外に出ることもやや怯えていた彼女はアルバイトもしてみようかななど言い始めるくらいには元気を取り戻していった。
そんな時。
彼女と公園の近くのスーパーに買い物に出掛けていた。すると、4歳年上の兄がベンチで煙草をふかしているのを見た。
「あれ?兄ちゃんだよな」
「おう」
「ひさびさじゃん。てか兄ちゃんってアークロイヤル吸うんだ」
「なんでわかんだよ。お前煙草吸わなかっただろ、歌うのにのどがやられるってよ」
「ギターなんかとうに辞めて会社員3年やってるよ。」
「はー。なんか、お前は真っ当だよなぁ」
「そうでもないよ。最近は歳下の子に恋してる。その子が黒い箱の煙草吸うからさ、片っ端から探したりしちゃった」
「黒い箱の煙草…?お前そいつの名前なんてんだ」
何か嫌な予感がした。
兄ちゃんはしょっちゅう遊び歩いては最近も何をしているかわからないと母は嘆いていた。そんな兄ちゃんが声色を変えて黒い箱の煙草の少女の名を尋ねた。
「名前は…花だけど。」
兄弟間、さほど仲良くなくてよかったと思った。僕の声の微妙な震えがきっと伝わらなかっただろう。
「そうだよなー、簡単に見つかんないよな」
「探してる人がいるの?」
「そ、俺の新しい娘、雪ってんだ。綺麗な子だからよ、母親心配してるからよ、見かけたら教えてくれ」
伝えたのは全く別の名だ。ただ、あと数十秒もすれば僕の名を呼ぶ屈託のない声が公園に響き渡るんだと思った。
その瞬間。
「涼くーん」
柔らかな天使のような声が響き渡って、男は顔面に冷たい水をかけられたような顔をした。そして、その男は勢いのあまり立ち上がって、それに気づいた彼女は恐れ慄き、僕の背後に回って「お父さん…!」と小さく叫んだ。
ショックのあまり頭に激痛が走ったが、「アイツならやりかねない!」という兄に対し哀しい呆れで泣きそうになりながら僕は彼女の手を取りまたこの暗い公園を走る。走る。
「雪ぃ………………!雪ぃ…………………!」
後ろから叫ばれる自分の名。
彼女は両耳で塞ぎながら明るいコンビニを抜けていく。
僕たちの家は公園を抜けて10分ほどのところにある。下手したらもう家を特定されているのかもしれない。だから兄はあの公園にいたのかもしれない。そして本当は彼女が1人だったらきっと口説き落として連れて帰っていたのかもしれない。そんなことを考えていると僕の足は早まるばかりで、雪は転んでしまった。ごめんね、と駆け寄ると、
「流れとタイミング…ってお父さんとお母さんが言ったの!どうして結婚するの?って聞いたら全ては流れとタイミングなのよって。私がお父さんに触られるのも、お母さんが私をぶったり煙草押し付けてくるのも、流れだから全てをゆるしてきた!涼ちゃんにはさ、わかんないよね!?私、それで納得できちゃうんだよ!愛しているとかわからないよ、私、涼ちゃんのこと好きかもわからない、でも、涼ちゃんは私に居場所をくれた、そういう流れだと思った、あ、今日はこの人なんだって思った、あ、これからはこの人なんだって思った、ただそれだけかもしれない、それでも、それでもよかったかなぁ」
雪はアスファルトをたくさん濡らしてうずくまる。僕は何を言えるかずっと考えていた。
僕自身だってただ純粋善良な心で雪に近づいたわけではなかっただろう。だって雪と初めて出会った頃の僕は虚無感に浸る毎日を送っていた。
「そういう流れとタイミングだったよ、雪。僕はちゃんと君を好きだし愛してるよ。ねえ、雪、明日、東北に部屋を探しに行こうか」
夏の夜 ぽぽ @inudesu
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