seeing again
ひと月も経った頃だったと思う。ようやく彼女の煙草は、黒い箱のココナッツの香りがするものだとわかった。
流れとタイミング。彼女はそう言った。
それがくることをまるで祈るように僕はひたすらに彼女と出会ったベンチでその煙草を吸った。
今日もそんな夏の夜を過ごしていた。その時、突然僕は後ろからそっと抱きしめられ、先端の燃える煙草を口に当てられた。
「あ、おんなじの吸ってるね。」
顔が見えない。距離の近さで彼女の髪が濡れていないことだけはわかる。
ひとしきり彼女の手によって煙草を吸って、フィルターが熱くなって、彼女がアチチと言って、彼女はその吸い殻を捨てて、僕のことを目隠しして上を向かせた。そして唇が逆さまのキスをした。
目隠しはまだとられない。
僕はもう泣きそうになりながらそのまま彼女の頭を抱きしめた。
どうしたの?
もう会えないかと思ってた。
また会えたね。
明日のきみの居場所、僕につくらせて。
ありがとう。
まるでとんとん拍子という言葉が似合うくらいに僕たちの行動は先が約束されていた。
と思ったが。
今日はダメ、と彼女は言った。
どうして、と目隠しの手を取ろうとすると彼女は僕から逃げるように「見ないで!!」と叫んだ。
黒い桜の木の麓にうずくまった彼女は決して僕に顔を見せようとしなかった。
ねえどうして君はそんなに大人びたようでまだ10代なの?君はいったい何から逃げているの?僕がいなかった時はほかの場所に逃げていたの?
僕の中で溢れる感情が、いったい口に出されているのか否かすらわからない。ただもうこの子をもう手放したくない、守りたいという思いで25歳の僕はぼろぼろ泣いた。
あなたは優しい人なんだね。私わかるんだ、大人が泣く時ってね、自分のわがままをどうしてもどうしても叶えたいからなの。あなたは…
どうしても君を守りたいよ!!!!!!!!
彼女は顔を上げた。
そこには…透き通る肌にはあまりにも似合わない、赤や黒を帯びた凹みが…無数にあった。いや、美しい顔には多すぎるというだけかもしれないが。一体どうしてこんなに傷だらけなんだろう。
お母さんに煙草押し付けられちゃった。
と彼女は言った。
僕は涙が止まらなくなって、公園のトイレでこれでもかというほど泡まみれに手を洗い、再び戻っては彼女を抱きしめて、その傷だらけの顔面を優しく包んだ。
もう大丈夫だよ。一緒に逃げよう。
声にならないような嗚咽を漏らした彼女は僕の肩にもたれかかり、助けてくださいと言った。
趣味も、愛情を向ける先も、まだ何も持っていなくて本当に良かったと思った。
僕は彼女の手をとり、暗い公園を抜けて、明るいコンビニを走り抜ける。アイスは買わないで、ただただ走ってまた1泊9800円のホテルに入った。
私今日お金持ってない。
本当に何も気にしないで、僕に全部任せて。
煙草ね、お母さんのやつなの。
私が吸ってるの、お母さんのやつなの。
私、お母さんすきなの。こんなことされてもね、きらいになれないの。
お父さんのことは嫌い。大嫌いなの。
だって、お父さん…
彼女はベッドの中で泣きじゃくる。
そんな彼女の頭をひたすら撫でて、撫でて、包むように抱きしめた。
明日、一緒に部屋を探しに行こう。
彼女は驚いて僕から離れて目を見開き、しばらくして右目から一筋の涙を流して小さくありがとう、と言って僕に寄り添って眠った。深く、深く眠った。
彼女はゆっくり眠っているけど僕はなかなか寝付けなくて、ひたすら彼女の顔の根性焼きを見ていた。治りかけなのが顎の下に。新しくてじくじくと痛そうなのが眼尻の横に。その傷口に涙が通ってあまりにもその傷が目立つように感じた。それ以外はやっぱり赤や黒でまちまちだった。マスクをしていたら見えないだろう、眼尻の横以外のものは。
彼女の言う「流れとタイミングなの、全て」という言葉が頭の中で渦巻いていた。僕は彼女とタイミングよく出会い寂しいふたりが人肌を求め合う流れだった、そうだった、そうだったと思う。きっと今回だってそうだ。彼女はおそらく彼女の家庭のなかでひどく傷つき、居場所がなくて逃げてきたんだろう。ただわからない、まるで1ヶ月かけてひとつふたつと増えたであろうこの傷跡。この1ヶ月の中で何があった?
おはよう、朝だよ。
ラブホテルにしては珍しく小さな窓が付いているそこから光が差して、彼女はにっこり笑った。
お風呂入ろ。
彼女の頭をシャンプーしながら「よく眠れた?」と聞いた。僕が眠れなかったことは言わずに。
うん、もうとっても!温かかったから。
あのね、お母さん何回もお父さん変えてさ、もう慣れちゃってはいたんだけどさ、先月くらいかなあ、新しいお父さんが来てね、すっごく優しくてさ。優しくてさ…
僕は彼女の髪を乾かしながら次の言葉を待つ。
なんでも買ってくれるしなんでもするの、そう、なんでも、だから私ね、私がね、いけなかったんだと思う、私が悪かったんだと思う、思うんだけど、お母さんがいないときに…
そこまで言って彼女が言葉をつぐんだ。
もう何も言わなくて…
あのね、お父さん、私にお母さんのことも私のことも欲しいって言ったんだ。
僕は強く、本当に強く強く彼女を抱きしめた。あまりにも気持ちが悪くて、一体僕に彼女を守り切れるかわからないくらいだったけれど僕は言った。
今日、一緒に部屋を探しに行こう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます