第16話 トイレの救世主語る

 正樹は前日ベッドに倒れこんでそのまま寝てしまっていた。目を覚まし正樹はベッドからもぞもぞと起き上がり朝食を作る。


 ご飯と納豆だった。 納豆をぐるぐるとかき回しねばねばと糸をひいたら醤油とからしとネギをきざんだのをいれてかき回す。


 そして前日の残りのご飯をレンジにかけ熱々のご飯と共に一口。うまい。安心したのもあって納豆ご飯の味は格別だった。


 大学につくとマスコミが大勢きていた。早坂のことを教えてくれと色んな人にに話しかけているようだった。


 正樹はマスコミから逃げるように大学の裏門を通った。


 3限目の授業は101号室でトイレの救世主とあだ名をつけられた佐原教授の美術史だった。101号室は真ん中が木製の長い机と7人ほどが座れる椅子がずらっと並び100人以上の人が入れる程の大きな教室だった。


 佐原教授は授業を開始していたが、どうもあちこちでおしゃべりをしている学生がいるようでざわざわとして落ち着きがなかった。そのため佐原教授は


「何か質問があれば聞くが何かあるかね?」


と佐原教授は聞いた。その質問に一人の学生が手を挙げた。


「芸術と贋作について聞きたいです。」


と質問をした。まさに早坂の贋作事件がありどう答えるのか?今の学生が聞きたいところだった。


 佐原教授は迷いつつ考えて言葉を選びこんなことを話し始めた。


「ピカソがピカソたるその所以は3本の線を描いただけでピカソが描いたと分かるところにあります。たった3本の線を描いて億のお金をもらえるっていいなぁと美術館に見に行った時、正直私も幼い頃思った。皆もそうではなかったかね?あんなでたらめに描いたと思われる作品に破格の値段がついてしまう。これはなんでなんだろうか?とね。」


 口ひげをさわりつつ学生の反応を見ながら話しているようだった。


「だが本質はまったく違う。例えばこんな命題がでたとしよう。『3本の線を引き自分の絵だと分かるように描け。』これがどれほど難しいかお分かりいただけるだろうか?本来あるはずの線を極端に少なくし無駄なものを削りに削りそしてこれだけは描かなくては自分の絵だと認識できなくなってしまう。そのぎりぎりの境界線を描いているのがピカソの絵なのだ。そして見事にピカソ自身の絵だと認識させることに成功している。だからピカソは天才だと言われるのであります。」


 水を飲み一息いれて続ける佐原教授。


「かといって私は君たちにピカソになれと言っているわけではない。芸術は何かと言われれば私は個性であると答える。これぞと思った師に絵を習いにいき師の指導を受け腕を磨いていく。これはいいことだと思う。だがしかしだ。師の絵を真似ているだけではダメだ。自分の絵で生きていこうと思うならば、基礎を学んだらそこから先は自分の絵が他人からみて自分の絵だと分かることが一番重要なのです。基礎ができていれば他人から見て下手だろうがうまかろうがそれはたいした問題ではない。」


 ズバリで言った教授を学生が見つめる。


 先ほどの質問をした学生が何かを言いたそうにしてるのをみつけ


「何かあるかね?」


と教授はその学生に発言をうながした。学生は立ち上がり、


「うまい絵の方が良くはありませんか?師に教わった方が上達も早いと思うのですが。」


 教授は少し考えをめぐらせてこう言った。


「問題は何かというと自分の絵を見た人に○○先生の絵に似てますね。と評価されることなのだ。自分が描いたとはっきりと他人が見て判断できること。君たちが自分自身の個性をみつけること。これこそが絵を描くうえで重要なのだ。」


 教授は生徒の顔を見回す。ひげをなで一呼吸おいた。


「ピカソはそれこそ殺人者だとすら言われている。幾人もの画家がピカソの絵を見て命を絶っているからだ。それは自分と一緒に隣に座って絵を描いている人物が将来、億の値段がつく絵を描くことになると知っていれば死ななかった者も多数いたのではないかと私は思う。だがそんな未来の話は分からない。隣の学生一人にすら勝てない自分がこの先成功するとは思えない。そう思い込んでしまった人達もいただろうと思う。だから努力して頑張ってそれでもダメで絶望し死んでしまう者もいる。」


 長い口ひげをゆっくりなでながら、学生の自分なりの考えを聞けることを歓迎しているようだった。


「幸いなことに私は絵を見て絶望し死ぬほど追い詰められはしなかったしピカソが実際に何を描きたかったか絵だけをみると判断できないものもある。ここだけの話ですがな。」


とふぉっふぉっふぉと笑ってみせた。


「しかしだね。ピカソが描いたってことは子供から大人まで分かるのだ。この強烈なまでの個性がすごいのであります。」


 教授は饒舌になり話を続ける。


「たとえば誰かが3本線を描いて完成と言えば『それピカソ?』と揶揄される。また適当に絵を描いても『これピカソピカソ。』とごまかして笑ってすませられることもある。これこそがピカソの恐怖だと言える。真似だと判断される時点でその作品を描いた者ではなくピカソの評価になってしまう。線を数本描いただけ、でたらめに描いたような絵はすべてピカソの真似になってしまうのだから。」


 佐原教授はしゃべり続けてカラカラになった喉を水で潤した。

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