第10話 堪忍袋の緒が切れる

 翌朝、正樹のご飯は目玉焼き。


 1パック10個入り100円の特売卵を消費しなければならないので2日続きで卵料理だった。しかし手早くできるし正樹自身も卵は好きだったので気にならなかった。


 出来上がった目玉焼きの半熟の黄身をつぶし、そこに醤油をたらして熱々のご飯と共にいただく。


「うーん。うまい!我ながらシンプルだけどたまらない。」


と一人頷きつつ、とろとろの半熟卵に絡むご飯をかっと口の中に押し込み噛みしめ租借し飲み干す。


 心地よい半熟卵の味と熱々のご飯に満足した。


 しかし早坂達に文句を言われるかもと思うと大学に行くのは億劫だった。だが絵が好きで入った大学だったし明美の励ましもあったので気合を入れなおしアパートを出て大学に向かった。



 空は入道雲ができていて大雨が降っていた。雷が落ちてもおかしくない真っ黒な雲がでていた。


 ひまわりは大雨と風にうたれこうべを垂れていた。



 大学では1階の105号室で油絵の授業があった。木製イーゼルにキャンパスをおいて油絵の制作にとりかかる。


 キャンパスに色を塗っていくのは楽しかった。


 だが油絵を描いていると、またいけすかない早坂を筆頭に汗ふき佐久間とひょろひょろ加賀下がやってくる。早坂は開口一番こういった。


「相変わらず構図がなってないな。線に勢いもない。」


「「まったくだ、早坂さんの言うとおりだぜ。」」


と佐久間と加賀下は同調する。


 正樹は聞かない振りをして絵に集中しようとする。


 早坂は正樹の周りをぐるぐる見回してここだと言わんばかりに指をさし


「この絵からは人物の動いている脈動感も自然の雄大さも感じない。同じ絵の中にあるのになぜか違和感を感じる。遠近感もどうもオカシイ。」


「「まったくもってその通り。」」


 佐久間と加賀下の声はシンクロする。


「ただ絵を描いただけ。せっかく同じ絵の中に存在するのに一体感がなくバラバラに存在するかのようだ。色彩感覚もオカシイんじゃないの?」


 馬鹿にしたように嘲笑する。


 正樹はまったく言い返せなかった。確かに正樹が見てもそういうところは自分の絵の中にあるかもしれないと思ったからだ。


 文句をいうのも注文をつけるのもいいのだが、言い方ってものがあるだろうと思った。そう思った途端にニヤニヤしている早坂達に腹が立った。


 何故自分だけがこんなことを言われないといけないのか?


 どこまで我慢しなくてはいけないのか?難癖つけられるのは終わりがないように思われた。


 この時間は一生続くのではないかと思った。


 早坂は調子に乗ってしゃべり続ける。


「黙り続けて巨匠を気取っているのかい?エコの時代は資源は大切にしないといけないんだからお前は絵を描くなよ。まったくなんだろうこれは?『この耳はないだろう。』」


「「まったくだ、『この耳はないよなぁ』」」


と早坂達3人は大声をあげて笑い出した。


 その馬鹿にされた笑い声と「この耳はないだろう。」という早坂達の言葉がゴーギャンの言葉に重なり怒りを覚えた。


 ゴッホが耳を切ったのは自分の作品を馬鹿にされたからだ。本当に切りたかったのはゴーギャンの耳だったろう。それをしなかったのはゴッホの優しさだ。


 そう思った。


 正樹は描いていた自分のキャンパスに思いっきり筆を突き立てた。キャンパスには穴があき真っ二つに割れ筆は折れ、絵を支えていた


 木製イーゼルは木っ端微塵に砕け散った。雨の勢いはいよいよひどくなり正樹の怒りに連動するかのように雷がカッと光り凄まじい音をたてて落ちた。

 

 ばらばらになった木製イーゼルやキャンパスを踏みつけ正樹は早坂達に近づいた。


 正樹は一歩一歩ゆっくりと歩み寄り射竦めるような目で早坂達をにらみつけ


「次はお前だ!」


と腹の底から声を出し怒鳴りつけた。佐久間と加賀下は


「「ひぃぃぃ。」」


と怯えた声をだして座り込んでしまった。


 残った早坂は今まで一度も反抗してこなかった正樹の行動に対応できないでいた。


 そんな早坂の気の動転など意に介さず正樹は早坂の襟元をぐっとつかみ折れてささくれだった筆を早坂の顔面に今にも突き立てようとしていた。


「はいはい、そこまで。それ以上続けると犯罪になっちゃうからね。」


と手をぱんぱんとたたきながら周りが正樹の行動にびっくりする中2人の男が入ってきた。そして警察手帳を取り出して見せて呑気な声をだして


「おしまいおしまい。筆こっちに渡してね。」


と仲裁に入ったのは50歳くらいの背は低いが、がっしりしている楠田正次郎くすだしょうじろう刑事と新米刑事の江口陽七郎えぐちようしちろうだった。

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