第38話 保健室内でのやり取り

 いつもは生徒の声に満ち満ちている校内だが、さすがに今日は静かだ。


 俺は一人で廊下を歩きながら、いつもこんな感じならいいのに、とか考えてた。


 まあ、それは現実的にあり得ない話で、もっと言えば、別に完全に静かなわけじゃない。薄っすらとグラウンドからの声が聞こえてくるし、競技を盛り上げるために使われてるBGM曲も聞こえて来てた。


 そういうのを差し引いても、静かだな、と思ったってだけの話だ。


 俺からしてみれば、充分すぎるくらいの静けさ。


 というか、人がほぼ誰もいないっていうのが大きい。


 なんか、この校舎内全体が俺のフィールドだと思えるような、そんな錯覚に陥っていた。


「相変わらず悲劇に遭ってるのにな」


 呑気なもんだ。


 普通なら、キレたり泣いたりしてるところだろ。


 進藤が何かしらしてくるのかと思ってたら、まったく別のノーマークな人物に転倒させられるという現実。


 そりゃあね、学校全体からヘイト頂いてるからあり得ない話じゃないけどさ……。


 なんていうか、想定外だったよ。別に恨まれるようなこと、全員にしてるわけじゃないんだけどな。


 嫌われ者とは、得てしてそんなものか。


 俺が徒競走で上位に食い込みそうだった事実が気に食わなかったのかもしれない。


『お前は最下位がお似合いだよ! 引っ込んでろバカが!』


 みたいなところだろう。


 ったく。それなら口で言えよ、口で。上位くらいテキトーにくれてやるっつの。


「まあでも、あれはあれで亜月さんからのさりげない応援があったからなんだよな。俺、柄にもなく真剣に一位取りに行っちゃってたよ」


 保健室に辿り着き、扉を開けようと手を掛け、なおかつ独り言を呟いていると、だ。


「じゃあ、暗田君がこけちゃったのは私のせいでもあるってこと?」


「――!?」


 心底びっくり。


 背後から急に声がしたので、体をビクつかせて振り返ると、そこには亜月さんが立っていた。


「え!? ちょ、いつの間に!?」


「いつの間にって。ずっとうしろいたよ? 跡つけてた」


「う、嘘……。全然気付かなかった……」


「ステルス能力、私そんなに高くないんだけどー?」


 顎元に人差し指をやって、「うーん」と首を捻る仕草をする亜月さん。


 充分すぎるくらいのステルス能力持ちだと思いましたけど。物音に敏感な俺が気付かなかったくらいだし。


 まあいい。


 ゴホンと咳払いをして、俺は尋ねる。


「それで亜月さん。どうしたんだ? 俺の跡つけてきて」


「『どうしたんだ?』じゃないよ。わかってるくせに。怪我したでしょ? 心配して身に来てあげたんじゃん。暗田君の味方、この学校で私くらいしかいないし」


「……一応、上利先輩もいるし……」


「でも、こういう時真っ先に来るって言ったら私くらいのもんでしょ? 事実、今ここには私しかいないんだし」


「っ……。ま、まあ、そうですけど……」


 恥ずかしい話だが、亜月さんが心配して来てくれたという事実だけで、幸福度が上がった気がした。


 誰かに心配されるって、なんか幸福になれるよな。それがまた、学内で一、二を争う美少女と来たもんだから、なおのこと、な。


「とりあえず中入ろうよ。こんなところでボーっとしてても時間の無駄だし、ゆっくりしてたら傷口に菌が入っちゃうよ?」


「ん……。あ、あぁ、そうだな……って言いたいところだけど、大丈夫。簡単な応急処置はさっきした。傷口水で洗ったし」


「洗うのもいいけど、しっかり消毒液も使わなきゃね。入るよ」


「……はいよ」


 言われ、俺たちは保健室内へと入った。


 中には誰もいない。


 それもそうだ。


 たぶん、保険医の先生はグラウンドに出て、体育祭の運営手伝いとか、救急テントとかで他の奴の傷の手当とかしてるんだろ。


 俺はそこに頼らず、一人で保健室まで来たんだけどな。


「しかし、皆酷いよね。暗田君を転ばせた人はもちろん、先生も一人で保健室行けとか、そんなの無くないかなって思うよ。痛そうなのに」


「……まあ、それ相応のことをしたと思われてるからな」


「……まったく。事実じゃないのに」


 松本先輩からもらった件の証拠動画。


 あれを生徒、教師問わず見せてやれば、きっと状況は少しくらい良くなるんだろう。


 けど、それだけじゃ足りないんだ。


 俺の求めてる結果はそんなところに無い。


 本当に痛い目に遭わせなきゃいけないのは、俺からすればたった一人なんだから。


「……もしかしたら、俺はある意味優しい人間なのかもしれないな……」


「え……? 今、何か言った?」


「いや、何も」


 消毒液とガーゼとバンソウコウを棚から取り出してくれてる亜月さんに向かって、俺は首を横に振って否定の意を示した。


「嘘。絶対今何か言ってた。何て言ったの?」


「何も言ってないって」


「正直に話さないと、これ渡してあげない」


「…………じゃあ」


 観念したように、けれども冗談っぽく視線を別の方へやって答える。


「……その、亜月さん、体操服姿もよく似合ってるな、と……」


「へ……!?」


 ゴトンッと消毒液の入ったボトルを床に落とす亜月さん。


 俺は思わず冗談でもマズいことを言ったか、と焦り気味に取り繕ってしまう。


「あ、いや、ちょっと待って。今の無し。冗談。冗談だから、そんな変質者を見るような目で見ないでくれ」


「……変質者を見るような目では見てないけどさー」


「けど、気持ち悪いな、とは思ったと?」


「それも違うー」


「え。じゃあ、ゴミを見る目?」


「違うよ。変態を見る目。暗田君、体操服趣味?」


「違うわ。いや、違わないこともないけど……少なくとも、現代の体操服には興味ないよ。興味あるとしたら、一昔前のブルマ型体操服だから。ブルマ信者だから。どっちかって言うと」


「……なら、私がブルマ履いてたら襲ってたってことですか?」


「襲ってないよ。そんな状況も考えないようなことしないから俺。あと、なんでここに来て急に敬語なんだよ? 距離感じるじゃん」


「だって普通に距離感じたんだもん。私が男の子だったら、絶対に今の体操服の方が好きだから。やっぱりズボン型の体操服の方が萌えるよ。これを思い切り脱がせるのがいいんじゃん」


「いや、形勢逆転みたいに突然性癖披露するの止めてもらっていいですか? そういうの、今俺求めてなかったし。何なら、俺が気持ち悪がられたってのに」


「だから、気持ち悪がってないって。単純に体操服趣味だけは解せないなぁって思っただけ。体操服なんて、どっちかっていうと幼い子が身に付けるものだし。幼い子は私、興味ないし」


「擁護してくれてるように見せかけて、暗に俺をロリコン野郎扱いするのもやめてってば。体操服なんて大人が来てもエッチだろ普通に。何も幼い子だけが身に付けるものじゃないよ。そこら辺、勘違いしないでよ」


 ――とまあ、バカバカしい話もここまでにしておこう。


 俺はいったん「はぁ」と一息つき、とりあえず亜月さんが手に持ってる治療道具たちをもらい、適当な椅子に腰掛けた。


 彼女は「私が治療してあげるって」と言いながら、こちらへ駆け寄って来てくれるが、俺は構わずに消毒液を傷口へぶっかける。


「いってぇぇぇ……!」


 悶絶。


 歯を食いしばってるうちに、俺の手に握られているバンソウコウたちを再び奪い取って来る亜月さん。


「こういうのって自分でやるより、他の人にやってもらった方が痛みが和らぐんだよ。自分でやるからそうなるの」


「……っ~! ……ぜ、絶対そんなことない……! てか……逆……! 自分で治療した方が痛みもマシになる……!」


「そんなすごく痛がりながら言っても説得力全然ないよ。いいから、私に任せて」


 言って、ガーゼに消毒液を浸して、優しく膝の傷口に当ててくれる亜月さん。


「っ……!」


 痛くない……こともなかったが、確かにさっきよりかはマシな気がした。


 さっき、俺はかける消毒液の量を間違えてたんだ。早いところ消毒したいからって、多量にかけすぎた。


「そりゃね、自分が一番傷の深さとか、感覚とか理解してるはずだから、自分でやるのが一番って言いたくなる気持ちもわかるんだけどね」


「……だろ……?」


「でも、それって自分以上に自分を理解してくれる他人が居たら、もっと痛くなくなることだなってことにならない?」


「……まあ、理論上そんな人が存在するなら確かにそうだけど……」


「ん。ん。ん」


「……? え?」


 謎に自分を指差し、亜月さんはアピールしてくる。


「暗田君には私がいるよ。たぶん、暗田君以上に暗田君のこと、理解してる」


「……さすがにそれはないんじゃ?」


「でも、かけるべきアルコール量は私の方が正解だったよね?」


「…………ま、まあ」


 俺が苦し紛れに頷くと、亜月さんは得意げに胸を張り、


「そういうことなんだよ。私、暗田君のことすごくよくわかってるんだー」


 えへへ、と笑顔で言われてもだ。


 こっちはこっちでかなり恥ずかしくなってしまう。


 それってもう、捉え方を変えれば俺のことすごい好きって意味になるような気もする……。


「だから、ね。あんまり、無理だけはしないで? 怪我したのもそうだけど、暗田君が誰かに傷付けられてるところ、私はもうあんまり見たくないの」


「……」


「程々。ほんと、程々でいいから。何かをするってのも、もう」


「……だったら、俺は……」


「へ?」


「俺は、亜月さんが苦しい目に遭ってるところをもう見たくない。見たくないから、行動するんだ」


「……暗田君……」


「行動して、それで君が笑ってられるような環境を作る。今の俺の願いの半分はそれだよ」


 じゃあ、もう半分は?


 そう聞きたさそうな顔で、亜月さんは俺を至近距離から見つめてきた。


 俺も目を逸らさない。


 逸らさないで、ジッと彼女を見つめる。


 そこにあるのは強い意志だけだ。


 全部を根本から変えたいっていう、本当に強い意志。

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