第11話 あーんと危機到来

「はい、あーんだよ暗田くん。あーん」


「……いや、あの、ちょ、ちょまっ……!」


「もー、なに? あーんして? あーんしてくれないとお昼ご飯食べられないよ?」


「な、なんでだよ……。あ、あーん……とか……しなくても……一人で食べられ」


「もしかして、私のお弁当が不味そうだから……? うぅぅっ……ご、ごめんね? 味だけじゃなくて、もう少し見栄えもしっかり研究します……」


「ち、違うから! そうじゃなくて、し、シンプルに一人で食べさせて欲しいって話! 見栄えもめちゃくちゃいいし、美味しそうだから!」


 テニスコートから少し離れた場所にある、木陰のベンチにて。


 俺と亜月さんは隣り合ってそこへ座り、お弁当を食べさせるだのどうだのという話題でワーワー騒いでいた。


「まったく。暗田くんは素直じゃないなぁ。よく、男子は女子にあーんしてもらいたいものだってヨーツーブの動画で見るのに」


「そ、それは間違ってないと思うけど……。実際問題いきなりやられたら反射的に断ってしまうのもまた男心ってものなんだよ……」


 俺が言うと、亜月さんはぷくっと頬を膨らませた。


「何それ、意味わかんない。……私だって、誰にでもこういうことするわけじゃないのに……」


「え? 今、なんて?」


「何でもないっ。ほんとに。まったくまったく。……美味しい?」


「うん。美味しい。びっくりするくらい美味しい」


「……っ。ま、また作ってほしいですか?」


 なんで敬語? と思ったけど、俺は亜月さんの方を見ず、弁当の中身へ視線を落としたまま、かぼちゃの煮物をもぐもぐしながら頷いた。


「作っていただけるなら作って欲しいよ。普通に泣いて喜ぶし、正直今だって夢か何かかと思ってる。現実だよね、ここ?」


「げ、現実だよっ。現実に決まってるじゃんっ。……でもそっか。ふ、ふーん……つ、作って欲しいんだねぇ~。へぇ~」


 彼女の言葉に俺は再度頷きつつ、お次はタコ型になってるウインナーを口に運んだ。美味い。


「でもさ、俺はいいけど、亜月さんはお昼どうするんだ? 弁当、見たところ一つしかないみたいだけど?」


「一つじゃないよ。ちゃんと自分用にも作ってる。前、一回ここに来た時、テニスコートの周辺には何もなかったから」


「そうなんだ。ならよかった」


 と、言いながら咀嚼してる最中、俺の脳内に一つの推測が思い浮かぶ。


 気付けば俺は、そのことを瞬間的に聞いてしまっていた。


「っと思ったけど、それってまさか、進藤のテニスの応援に過去行ったことがあるってことだよね……?」


「うん。そうだよ。さっき言わなかったっけ?」


「言った気はする……けど、それはそれ、これはこれ……といいますか……」


「?」


 何を言ってるんだ、とばかりに不思議そうに小首を傾げる亜月さん。


 俺は、言いづらいものの、しかし気になりすぎるので、浮かんだ疑問を勢いでぶつけてみることにした。


 ぎこちなく、おずおずと問う。


「つまり……こういうお弁当……し、進藤にも作ってあげたこと、あるんだろうか……と思いまして……」


「え、歩くんに?」


「は、はい……」


「無いよ。無い無い。そんな経験ありませんとも」


 笑みながら手を横に振って否定する亜月さん。


 俺は心の中で謎の安堵をし、大きく息を吐いた。


「となると、お弁当を作った人って、俺のほかには……?」


「いませんっ。今のところ作ってあげたのは暗田くんただ一人だよ。第一号です!」


 それを聞いて、俺はさらにまた大きく心の中で息を吐く。


 こんなうれしいことが現実で起きるとは。俺、もう学校中の奴に嫌われようが何されようが、関係ないっす。亜月さんのお弁当だけで生きていけます。不老不死になれそうっす。


「でも、どうしてそんなことを? ……まさか、私と歩くんの間でそういういかがわしい仲ができちゃってるんじゃないかって疑ってる?」


「い、いやいや! そういうわけでは! ただ単純に気になっただけで、思い付きの質問だよ! 特に深い意味はない!」


「そう? ならいいんだけど」


 そう言い、亜月さんは「はぁーあ」と一つため息のようなものをついてみせる。


「人間関係ってつくづく面倒だなって思うよね」


「いきなりですな」


「いきなりだよ。暗田くんはもっと別の視点からさっきの歩くんの試合見てたと思うんだけど、私はあのテニスの試合一つとってもそう思っちゃったくらいだもん。重症だよ」


「具体的にあのテニスの試合のどこを見てそう思ったんだ?」


「試合に負けた人をメンバーの誰かが慰める時とか、掛け声の違いとか、挙げ始めたらキリがないけど、そういうところから。この人はあの人のことを好ましく思ってて、この人はあの人を嫌ってるんだって、仕草とか目とか見たらすぐわかった」


「……プロだな」


「プロだよ。今までずっと人の目を気にして生きてきたし、今だってそうだもん。里佳子たちのことを気にして、暗田くんにもわけわかんないことお願いしてるくらいだし」


 自虐的に言う亜月さん。


「わけわかんないこともないと思うが? 普通だろ。俺だって他人の目めちゃくちゃ気にしてるし」


 むしろ、気にしないなんてことは相当な訓練がないとできない。人の目というのは、自分に向けられてるものが気になるのはもちろん、誰かが誰かを見てる目というのも自然と気になってしまうものだ。仕方のないことだと思う。


「……色々難しいね。人と人同士で生活するのって、本当に大変。自分を顧みてもそう思うけど、暗田くんの傍にいて、暗田くんの境遇を見ても改めてそう思う」


「今日はえらく考え込むんだね。発言が哲学チックだ」


「だってそうじゃん。今日のストーキング行為の主な目的は、歩くんの人間性観察でしょ? そりゃ、私もちょっとは真面目になるよ。いつも真面目だけど」


「真面目かぁ。うん、そうだね。あと、ストーキングって言うのそろそろやめてもらっていいですか? 間違って誰かに聞かれでもしたら大変なんで」


「……あ、里佳子」


「そうそう。里佳子。真中里佳子とかがいて、聞かれでもしたらそれはまた――って、え?」


 目の前の亜月さんを見ると、彼女の視線が俺の方ではなく、さらに向こうの方へやられていた。


 俺もそちらへすぐさま視線を向ける。


「あ……」


 そこには真中里佳子御一行様が仲良さげに私服姿でいたのだった。


 絶対絶命だった。俺と亜月さんの座ってるベンチから、距離で言うとほんの十メートル程度離れてるくらい。


 俺は生唾を飲み込み、どうしたものかと考えながら、とにかくひとまずは下を向く。


 ――が。


「あれ、もしかして陽菜じゃない?」

「あ、ほんとじゃん。陽菜? なんか変わった恰好してるけど」

「てか、横にいる奴誰? おーい、陽菜―」


 体中から急速に浮かび上がる冷や汗。


 やばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばい!


 頭の中は真っ白になり、考えることすらできない。


 パニック状態の中、俺はひたすらに、ただただ引き続き下を向くのだった。

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