第4話 敬語禁止令と女神さま

「ここまで来れば大丈夫かな……?」


「……ま、まあ、さすがにここまで来れば……」


 俺の手を引いて走った亜月さん。


 辿り着いた場所は、文化部棟にある最奥から三番目の地味な空き教室だ。


 ただの物置としてしか使われてないためか、室内には去年の文化祭か何かで使われていたであろう展示物が乱雑に置かれているだけ。


 身を隠したり、何か悪いことをするにはもってこいの場所だ。逆にここを使ってたら怪しまれないか心配でもあった。


「……けど、いきなり……て、手なんて引っ張ってここまで連れてきて……何をするつもりなんですか……? ……さ、さっき言いましたけど、俺は変態なんかじゃなく、それは誤解であって――」


「うん。それ」


「え?」


「その、暗田くんが変態じゃなくて、里佳子に痴漢したのも嘘だってこと、しっかり聞きたくて。初耳だったから」


 微かに心配するような色と、疑問を解消したい真剣な色を浮かべた亜月さんの表情を見て、俺は一瞬、ほんの一瞬だけだが、泣きそうになってしまった。


 ようやく話をしっかりと聞いてくれる人が現れたのかもしれない。


 あの朝、駅構内では駅員ですら俺に懐疑的な目を向け、何を言っても信じようとしてくれなかったのに。


 感動するのはそこまでにして、俺は重々しい感じで口を開いた。


「……話していいんですか? 正直に言っときますけど、亜月さんが仲良くしてる真中さんを悪く言うかもしれないですよ?」


「……それは……うん。いいよ。実際、本当に仲がいいのかもわかんないっていうか……むしろ……私は嫌われてる可能性すらあるし……」


「?」


「あ、う、ううん! 何でもない! 何でもないの! ごめんね、どうぞ! 話していただいて構いません!」


 慌てたようにそう言う亜月さんを見て、俺は若干首を捻った。


 実際~、からもごもご呟くように喋られ、何を言ってるのか上手く聞き取れなかったのだ。


 でも、まあいい。彼女、ああ言ってるし。


 俺は早いこと真実を告げたくて仕方なく、自分の喋りたい欲を優先することにした。「では、お話しします」と切り出す。二人きりだとはいえ、外に誰かがいるかもわからないから、あくまでも小さめの声で、だが。


「まず、俺が今、学校で死ぬほど嫌われてるのはわかりますよね?」


 亜月さんは若干申し訳なさそうにしつつ、頷きづらそうにしながらも、ゆっくりと視線を斜め上絵へやり、罰が悪そうに頭を縦に振った。構わない。事実なのだから。


「それは、俺たちの同じクラスメイトである真中さん……真中里佳子に、俺が朝の電車の中で痴漢をしたからってのが理由なんですが……」


「……それが、嘘。……なんだよね?」


 今度は俺が頭を縦に振る番だった。肯定する。


「ハッキリ言って、俺は痴漢なんてしてないんです。朝の電車内はサラリーマンの人たちも大勢いるから、ギュウギュウ詰めなのはギュウギュウ詰めなんですけど」


「でもそれ、何か証明できるものとか、あったりしないの? 映像とか」


「無理ですよ、撮影なんて。まさかこんなことが起きるなんて予想もしてなかったし、周りには人が密着し合ってるんです。その撮影行動自体が怪しまれたりもしますし」


「……そっか……。じゃあ、証明できるものは何もないけど、暗田くんはとにかく痴漢なんてしてないんだ……」


「です。まあ、それを主張したところで、元のカースト位置も位置ですから。クラスじゃ空気扱いされてましたし、そんな俺が今さら口だけでこの状況を打開できるはずなんてないんです。ムカつくし、腹も立つし、そもそも真中が何を考えて俺にこんなことをしてきたのかなんて、全く見当もつきませんけどね。ただのおふざけだったってことも全然考えられますから」


「…………ひどい話」


「はは……。同情してくれてありがとうございます。今の俺からしてみれば、そうやって疑わないで話を聞いてくれるだけで救いになりました。感謝してもしきれません」


 言って、俺は力なく呆れるように笑い、カクンと頭を下げて見せた。


 亜月さんは「ううん」と首を横に振った。こんな時まで謙遜か。いい人だな、ほんと。好かれる理由が外見以外にもあることがよくわかったよ。亜月陽菜はまさに女神さまだ。


「疑おうだなんて思わないよ。私、そもそも知ってるし。暗田くんがいい人だってこと」


「俺がいい人、ですか?」


 今まで絡んだことも無いのに、そんなことわかるのか?


 疑問符が浮かぶ。


 亜月さんは大きく頷き、嬉々として語り出した。まるで誰も知らない秘密を誰かに教えるように。


「うん。日直当番の時、もう一人の当番の人が最後の黒板拭きとか、諸々の掃除を全部ほったらかして帰ったのに、文句の一つも言わずに黙々と丁寧に掃除してたところ見たし」


「あぁ……。まあ、あれは波風立てずに済ませようと思ったが故の行動ですしね。サッカー部の秋山くん……かな? 色んな人に押し付けられたからもうわからんです。とにかく、どの人も友達と遊びたさそうにしてたし、俺は友達いないから、放課後も暇なんで」


「んぬぬ……! なんか本人からそういう行動理由聞いてたら、私がムカムカしてきた。しかも何回もって……ひどすぎじゃんみんな」


「あはは……。何度も言いますけど、俺友達いないし、空気ですから。押し付けやすいんだと思います。暗田送助って名前ですけど、『安打』じゃなくて『バント』しながら生きてますって感じですよ。送りバントして、助ける、みたいな」


「そんなのダメ! ちゃんと自分でもヒットどころか、ホームラン打たなきゃ! その方が絶対楽しいと思うし!」


「楽しいのは楽しいでしょうけど……、たぶん性に合ってないと思います。人には向き不向きもあると思うんで」


「そんなことないよ! もう! てか、まずは敬語からやめてみてよ! 同級生だし、クラスメイトでもあるんだからさ! 対等でしょ、私たち!」


「……まあ」


 対等なのは学年と生まれた年だけ、だけどな。


 カースト位置は女王様と貧民くらい違います。


「そこだよ、暗田くん。そういうところから雰囲気づくりをしていかなきゃ。敬語キャラが崇められるのは無口な高身長イケメンと、黒髪美少女だけ。わかった?」


「なんでs……」


 言いかけたところで、むぎゅ、と亜月さんに口を手で押さえられる。


 無言の圧というやつなのだろうか。「今、敬語ダメって言ったばかりだよね」とでも言いたげな顔をされた。


 仕方ない。


 恥ずかしかったけど、頭をポリポリ掻いてから、ぎこちなく言い直すことにした。


「何……なんだよ、その偏見。偏りが凄すぎるし……」


「ふふふっ。本当に? 嬉しい」


 彼女はニパっと笑みながら言った。


 いや、会話のキャッチボールが上手いこといってないでしょうよ。偏見が凄いって言われて、嬉しいってどういうことだよ。


 ツッコみかけたが、やめておく。なんかまた亜月さんがニコニコしながら訳の分かんないことを言ってきそうだ。


 俺はまんざらでもない風にしつつ、ため息をわざとらしくついた。


 ――話を戻す。


「まあ、いいや。それで、俺の話は終わりなわけだけど、亜月さんはなんで俺にあんな爆弾発言的お願いをしてきたんだ?」


「あっ……。そ、そういえば、そのことについて……まだお話してなかったですね……」


「うん。なんでそっちが今度は敬語に?」


「し、仕方ないじゃん! 私、てっきり暗田くんが鬼をも恐れぬ鬼畜変態マシンだと思ってて、意を決してお願いしに行ったんだから!」


「変態マシンて……」


「そうだよ。なんだったら……その場で……お……お……お……犯される覚悟も決まってたというか……なんと言うか……」


「はい?」


 俺が首を捻ると、亜月さんは綺麗な茶褐色の髪の毛をフワっと舞わせ、首を横に振った。さっきと似たようなシーンである。


「い、いやっ、ちがくてっ! そうじゃなくてっ! も、もうっ! な、何ゆえ私を動揺させるかぁっ! ここは確かに密室で二人きりでありますけどもぉっ!」


「……。よくわからんけども、とりあえず今の発言は聞こえたし、亜月さんは今のままで充分変態だと思いました」


「んにゃっ!? そ、そそっ、そんなことないしっ! 絶対に違うしっ!」


「じゃあ、それが違うって証明するためにも、なんでそんなこと言ったのか教えてよ」


「……ンムムム……! まあ、それは……お安い御用だけど……! 御用だけどぉ……!」


 変態認定されたのが心の底から気に食わないらしい亜月さん。


 けど、充分変態で間違いないと思う。なんだよ、犯されに来る覚悟を持ちながら変態にしてくださいって言いに来る気持ち。エロ漫画展開じゃん。タイトルは『女神が堕ちるとき』とかそんなんだろ絶対。俺も俺で何考えてんだって話だけど。ちょっと読んでみたいって思ったのはここだけの話だけど。


「……まあ、その話はあとでゆっくりしようね。私がまだ変態じゃないってことは、これからする話の中で出てくるから」


「……? うん」


 そう切り出し、亜月さんは自分のことを語り始めた。

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