21

 詩子の下に自衛隊の救助がやってきたのは、詩子が目を覚ました後から(時計がないので感覚であるが)一日後の事だった。


「一二三教授! ご無事だったのですね!」


 一番に地下の亀裂へと降り立ったのは、洋介だった。

 心底心配した様子の洋介に対し、救助される側である詩子はキョトンとしてしまう。続々と防護服+暗視ゴーグル姿の自衛隊員が断崖絶壁の上から下りてきた時には、こちらの方が驚いてしまったぐらいだ。

 何しろ


「……あ! そうでした! わたし地震の時の崩落で此処に落ちたんでしたっけ」


「なっ。まさか記憶が……急いで担架を持ってきます。すぐに病院に行きましょう」


「いえいえ、お気になさらず〜。素で忘れていただけですから〜」


 キビキビと救助の準備を進める洋介達自衛隊員に対し、詩子はのんびりとした答えを返す。

 詩子の暢気さ(ひいては無関心さ)は重々承知している自衛隊員達であるが、それを差し引いても詩子の危機感のなさに違和感を覚えたのだろう。誰もが互いに顔を見合わせたり、不思議そうに首を傾げたりしている。

 詩子も、普通に遭難したのであればこんなのんびりとはしていない。病院に行くべきなのも理解している。

 しかし今はそれ以上に、此処に留まりたいと考えていた。

 何故なら此処で、詩子は鱗毛人の研究を進めていたのだから。むしろしばらく留まりたいぐらいで、今は助けてもらわない方が好都合とすら考えている。尤も、拒んだところで自衛隊員達はお構いなしに助けるだろうが。

 だからそれは仕方ない。故に、大事な情報を先に伝える。


「えー、二点お伝えしたい事があります〜」


「伝えたい事、ですか?」


「はい〜。一つは、此処が鱗毛人達の暮らしていた土地だと思われる事〜」


 最初に明かした情報で、直接話しをしている洋介のみならず他の自衛隊員もざわめく。一人、その手に持っていた銃を構えようとして、他の隊員に諌められていた。新人か、或いは増援として送られてきた人員なのだろう。

 なんにせよ驚きから全員の救助の手が止まった。そして言葉も失っている。

 話の主導権を握ろうという気はないが、救助される前に伝えておくには好都合。詩子はすぐに次の、それでいて自衛隊が最も知りたいであろう情報を出す。


「それと、特殊殺傷性菌類の治療薬になりそうなものも幾つか発見しました」


「なっ……!? そ、それは確かなのですか!?」


「確か、とは言い難いですが。でもわたし、昨日吐血したんですけど、それらを食べてからは健康そのもので〜。特殊殺傷性菌類の症状が収まったと思えば、可能性は高そうですね〜」


「っ……申し訳ありません。それを聞いては、まずはサンプル採取を優先する事になります。教授の救助も可能ならば行いますが、サンプルの量が多くなった場合は……」


「元より、それを期待して言ってますから大丈夫ですよ〜。あ、食べ物とかも心配いりませんよ。だって」


 彼が持ってきてくれますから。

 そう言おうとした時、鱗毛人の息子が奥へと続く道からひょっこりと現れた。

 突如現れた鱗毛人に、やはり新人なのだろうか、一人の自衛隊員がまた銃を構えようとする。それをベテランらしき隊員に抑えられている中、息子はじぃっと隊員達を一望。見知った顔である洋介を見付けたのか、彼をじっと見る。

 すると、ニチャァという汚い擬音が聞こえてきそうな笑みを浮かべた。

 浮かべている笑みに邪悪さはないのだが、一般的には腹が立ちそうな表情。洋介が怪訝な表情を浮かべるのも無理ない。しかし息子は気にもせず洋介に歩み寄ると、興奮した……というべきか、奇怪な声を上げる。


「……教授。なんか彼、やたらと鬱陶しいのですが」


「うーん、良い事あったからじゃないですかね〜? わたしも昨日から良い事尽くめでにやにやが止まりませんし」


 えへへーと詩子は笑みを浮かべてみせる。

 そう、昨日一日だけでも良い事は山程あった。特殊殺傷性菌類の特効薬が見付かった事……ではない。詩子が興味を持つのはヒトについてのみ。

 そのヒトの歴史を幾つも塗り替えるであろう大発見こそが、詩子を喜ばせている。


「案内しましょう。あなたも一緒に来てくれますか〜?」


「ウゴ? ゴウゥー?」


 詩子が尋ねると、息子は唸るような声で鳴く。言葉の意味は分かっていないようだが……詩子が何処かに行こうとしているのは察したらしい。ぴたりと傍に寄り添う。

 ちょっと歩き辛いが、一緒に来てくれるならそれで良い。


「じゃあ、行きましょう。件の治療薬候補が生えている場所に」


 詩子はそう言って、自衛隊員達を先導するように歩き出す。

 向かうは洞窟の奥。本来ならばどんどん暗くなる筈の場所が、明るさを増してきた事に洋介達自衛隊員も気付いた。詩子の背後にいる気配が動揺を増す。

 やがて詩子が案内したのは、昨日鱗毛人の息子に連れられた広間。数多のキノコの生える光景に、自衛隊員達も驚いた様子を見せた。


「これが……すぐに採取を行います。とりあえず二人帰還させて……」


 キノコを見た洋介は、早速サンプルの採取を始めようとする。とはいえ元々の目的が詩子の救助のため、サンプル採取用の道具は持ってきていない。だから隊員を何人か返し、道具を取りに行かせようとする。


「いえいえ、まだですよ〜」


 しかしそんな彼等を詩子は引き止めた。

 そしてキノコを踏まないようにしながら、更に奥へと進んでいく。呆気に取られた様子の自衛隊員達は、我を取り戻すや駆け足で詩子達の後を追う。

 広間には幾つもの脇道がある。その中の一つに入り、詩子はどんどん奥へと進む。道は地下へと向かうものであるため、どんどん地上から遠ざかっていく。

 地下に進むほどに、気温が高くなってきた。防護服姿の自衛隊員達には辛いもののようで、少し息が乱れている。されど誰も弱音を吐かず、詩子と共に深部へと潜る。

 増していたのは気温だけではない。

 周りの明るさも少しずつだが増加している。最初の広間では辛うじて自分の手が見える程度の明るさしかなかったが、今ではほんの少し離れた位置の岩ぐらいは見える。足下はハッキリと視認出来、水やキノコで滑りやすそうな場所も一目で把握出来た。足取りはどんどん早まっていく。

 お陰で、詩子が本当に連れてきたかった場所まで辿り着くのに、十分も掛からなかった。


「こ、此処は……!?」


「まさか、こんな場所が……」


 自衛隊員達の驚きが、声として出てくる。それも無理ない事だろう。

 詩子だって目の前の光景――――広さ数百メートルはある大空洞を初めて見た時には、同じような声を出したのだから。

 詩子達が立つのは、空洞の中で最も高い場所。見晴らしが良く、遠くまで眺める事が出来た。

 天井から垂れ下がる無数の鍾乳石。山のように隆起した岩に、谷のように広がる亀裂もある。何処からか染み出した水が川を作り、亀裂へと流れて滝を形作っていた。

 周りの岩は明るく輝き、この場をほんのりと青い光で満たす。その青い光で育つ植物のようなもの、キノコのようなものが無数に生えていた。鍾乳石や大岩はそれら生物に覆われ、相当に長い期間この環境が保たれていた事が分かる。


「まだまだ奥はありますが、一旦此処までで良いでしょうかね〜。ほら、色んなキノコや植物が生えているでしょう? わたしはこれらを食べさせられて、回復しました……多分ですけど」


「成程……かなりの種類がありますね……」


「ただ、採取をする時は慎重にした方が良いですよ〜。ほら、あんな生き物がいますから〜」


 詩子は眼科に広がる広間の一角を指差す。

 目を向ければ、そこにはもぞもぞと蠢く生物の姿が確認出来るだろう。

 体長は二メートル近くあり、巨大なナメクジを彷彿とさせる見た目だ。ナメクジとの違いを挙げるとすれば、筋肉質なのようめ遠目にも身体の張りが凄まじい事か。

 軟体動物と油断して近寄れば、かなり酷い目に遭うだろう。近寄りたくないと思っても、軟体動物は背丈が低い。大きな植物体やキノコの影に隠れていて気付かないのも十分に有り得る。

 果たしてあれが危険な生物なのか、という根本的な疑問はあるが……きっと大丈夫と思うには、些か大き過ぎるだろう。自衛隊であれば銃を装備しているとはいえ、不意打ちを受ければ被害が出てしまう可能性はある。

 生物は一種類だけではない。小さなコウモリのような種や、ヒトほどに巨大なカニのような甲殻類も見られる。いずれも攻撃的かどうかは分からないが、穏やかで安全とも限らない。

 そして、その中には詩子達がよく知る生物種もいた。


「た、隊長! 鱗毛人です! 鱗毛人がいます!」


 隊員の一人が叫んだ通り、鱗毛人がいるのだ。

 その人物は詩子達の存在に気付いた様子もなく、地面に生えているキノコを取っている。食べるつもりなのか、大量に摘んでいた。

 大きさは遠目で見る限り、ヒトの子供ほどの大きさしかない。身体付きは細く、あまり屈強には見えないだろう。まだまだ若い個体だ。遠目からでは詳細な容姿は判別が困難であるが……しかし詩子や自衛隊員達は、『彼』の姿をしつこいほどに見てきている。


「もしかして、あれは動画で撮影された……!?」


 鱗毛人の存在が世界に知れ渡った切っ掛け。その動画に映った人物であると察するのは、難しくなかった。


「恐らくですけど、そうだと思いますよ〜。多分何処かに地上と此処を行き来する道があるかと〜」


「だとすると此処が、鱗毛人の故郷なのか……ですが何故、彼等は地上に?」


 洋介が当然の疑問を漏らす。

 樹海奥深くの地下……此処が彼等の住処であれば、今までヒトと接触がなかった事は説明出来る。しかし『今』になって現れた事には別の説明が必要だ。

 詩子の頭の中には、一つの仮説がある。


「うーん。現時点ではまだ推測の域を出ませんけど〜、わたしの考えではこうですね〜」


 鱗毛人達の生活する地下空洞に、ある日なんらかの地殻変動が起きた。

 富士山は何時噴火するかも分からない火山だ。地下でマグマなどの活動が活発になれば、地盤の隆起など大地の変化が起きてもおかしくない。この空洞も一部が隆起し、多くの鱗毛人は更に奥深くへと『脱出』したため無事だったが……とある一家だけは(子供がいたからか間や場所が悪かったのか)逃げ遅れた。必死になって逃げ、命からがら洞窟まで辿り着いた。

 その洞窟こそが青木ヶ原樹海にあった、彼等の住処である空洞なのだろう。ごく最近崩落したと思われる痕跡があったのも、この推測を裏付ける。地上まで道が通じたのは、あくまでも偶然だろう。


「……そんな偶然が、起こるものでしょうか?」


「全ての事に意味があると思うのは、ヒトの悪い癖ですよ〜。彼等はきっと、ずっと此処にいたのでしょうね〜。今までは地上への道がなかっただけで」


「……この時代が初遭遇でなければ、また違った出会いになったのでしょうか」


「あ。少なくとも初遭遇ではないと思いますよ〜」


 洋介が漏らした疑問の言葉を、詩子は根本から否定する。

 続いて、とある場所を指差す。

 それはこの空洞へとつながる道の一つ……の近くにある壁面。自然の岩壁であるが、注意深く観察すれば『不自然さ』に気付くのは難しくない。

 岩肌を削り描かれた白い線。その白い線は、様々な形を作っていた。

 子供の落書きのように雑なそれは、描き手の正確な意図を探るのは困難であるが……此度に関しては、誰もが察した事だろう。

 ヒトと、鱗毛人を描いたものだと。大勢のヒトと鱗毛人が、共に走っている姿のように詩子には見えた。恐らく、他の自衛隊員達も似たような印象を抱いた筈である。


「これは……壁画……!?」


「古代に、鱗毛人とヒトが接触していた証拠かも知れませんね〜」


 或いは今キノコ狩りをしている少年が、溢れ出るインスピレーションのままに落書きしたものかも知れないが。

 正確な正体は専門家の調査を待たねばならない。だが、この壁画がもしも本当に古代の一品であるなら、ヒトと鱗毛人の付き合いは想像以上に古い事となる。

 或いは、この地に流れ着いたヒトの一部が鱗毛人となったのか。この絵は進化途上の『ヒト』か、それとも鱗毛人なのか。鱗毛人とヒトが共に生きていたなら、それは何時なのか。

 此処には、その謎を解くヒントがあるかも知れない。ヒトの『根源』に到れるかも知れない。

 これほどのものを前にして、おちおち病院で寝てなどいられるものか。


「そーいう訳で、わたしはまだ当分ここで研究を続けたいのですよ〜。救助されて病院に行く時間が勿体ないですから〜」


「……本来ならなんと言おうと問答無用で救助するのですが、今回は治療薬となり得るサンプルがあります。望むのであればこちらの採取を優先しますが、本当にそれで構いませんね?」


 念押ししてくる洋介。だが、彼の目はとっくに諦めている。今やそれなりの付き合いだ。詩子がどんな考え方をする人間なのかは分かっているだろう。


「ええ、勿論。先に人類でも救っといてください〜」


 詩子が本心のままに答えても、洋介は微かに笑みを浮かべるだけだった。


「……了解しました。可能な限り多くのサンプルを回収していきます」


「あ、量はそこそこの方が良いですよ。もしかすると生息数が少ないかも知れなくて、乱獲すると絶滅する可能性もありますから〜。あともう一つお伝えしたい事がありまして」


「はい? 何かありましたか?」


 てっきり話はこれで終わりだと思っていたようで、洋介は首を傾げる。

 実際、特殊殺傷性菌類に関する話はこれで終わりだ。洞窟内に広がるヒトの痕跡についても粗方話した。

 今から話そうとしているのは、不確実にして個人的な事。


「半年から一年後ぐらいに、世界が驚くような事が起きるかも知れませんよ〜うふふふ」


 だからこそ詩子はいたずらを企む、少女のような笑みと共にそう伝える。

 果たして洋介達自衛隊員のうち、一人でも詩子の真意に気付いただろうか。詩子の見立てでは、ゼロだ。何しろ全員首を傾げている。

 そして誰もが、詩子の言葉の意味を大して気にもしていない。加えて世界が驚くと言っても、特殊殺傷性菌類の治療薬以上の驚きなどないと思っているのだろう。

 そう、この時は。

 詩子の言葉が事実だと、詩子自身でさえも確信に至れたのは、宣言通り半年以上先の話だった――――

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