19

【レプティリアンを許すなぁーっ!】


【人類を解放するぞおおおおお!】


【異星人の手先共がぁ!】


【……という具合に、血気盛んな者達が大勢押し寄せています。今はわーわー騒ぐだけですが、何時行動を起こすか分かりません】


「あらあら〜」


 トランシーバーを片手に持ちながら、詩子は暢気な声を漏らす。言葉は何時も通りのんびり冷静であるが、内心はほんの少し緊張を覚えていた。

 『ほんの少し』で済んでいる理由は、詩子がヒト以外に関心を持たないタイプだから。もしも普通の科学者なら、今頃心臓がバクバクと波打っているに違いない。


「ホゥ。オゴゥ?」


「ゴゥウゥゥ」


 暢気にトランシーバーを観察している鱗毛人一家が、皆殺しにされるかも知れないのだから。

 とはいえ緊張しても事態は改善に向かわない。むしろ遠ざかるぐらいだ。気を抜くのとは違うが、冷静さを保たねば出来て当然の事にも失敗するもの。

 冷静な詩子は、今の状況について考えを纏める。

 此処は鱗毛人達の寝床である、洞窟の内部。時刻は夜を迎え、一家全員がこの場所に集まっていた。詩子が持っているトランシーバーは自衛隊から提供されたもので、これで外にいる洋介と連絡を取り合っている。

 そして洞窟の外に広がる青木ヶ原樹海では、鱗毛人がレプティリアンであると主張するメンバー(陰謀論者と呼んでしまおう)と、自衛隊とのいざこざが起きていた。かなり洞窟に近い場所、目視で確認出来る位置まで押し寄せているらしい。

 陰謀論者達の主張は極めて簡単だ。そこに隠れている鱗毛人を引き渡せ、もしくは殺せ。要求に逆らうという事は、自衛隊はレプティリアンの手先だという証拠である――――敵対と同調以外の思考を考えていない時点で何もかも間違っているのだが、それを彼等に指摘しても認識出来ないので意味がない。

 今は自衛隊員が洞窟の入口に集まり、陰謀論者達を抑えている。自衛隊員達の不幸を願うようだが、陰謀論者達が暴力的行動を起こせばそれを名目に拘束する事が可能だ。しかしもしもそうした行動を起こさず、朝まで粘られたなら……鱗毛人達の活動時間になってしまう。


「(陰謀論者はそこまで考えない、と言いたいところですが……彼等は別段狂ってる訳でもありませんし)」


 陰謀論というのは、ヒトであれば多かれ少なかれ信じているものだ。ヒトというのは与えられた情報を元に真実を構築するものであり、一度定めた結論を中々間違いとは認められない生物だからである。陰謀論とは、勘違いや頑固さの延長線上と思えば良い。

 では勘違いの多い者や、頑固親父は論理性の欠片もない人間だろうか?

 否である。それは気質の問題であり、論理的に物事を構築する力が欠けている訳ではない。一方では欠けているように見えるだけで、別側面では極めて合理的な判断をする事は多々ある。

 此度集まっている陰謀論者達は過激な思想の持ち主だ。しかし過激派は、過激派なりに論理的な思考を持つ。暴力を振るえば自衛隊に名目を与えると、五百人のうち誰か一人が気付いていれば……暴力だけは使うなという指示が出ているかも知れない。

 勿論、容易に『殺せ駆除』という選択をする短絡的思考の持ち主だ。言われたところで我慢が利くとは、詩子には思えない。しかし思えないだけで確証はない。


「(万一に備えて、何か策でも練るべきでしょうか。しかしわたしに何が出来るのやら)」


 考えを巡らせても、妙案は浮かばず。切羽詰まっているとは思わないが、考え込んで顔を顰めてしまう。

 その顔から、詩子が緊張しているとでも思ったのだろうか。


「ウゴゥ。ホアアアォ」


 鱗毛人一家の息子が、詩子の背中を擦るように触りながら話し掛けてきた。

 励ましているのか。何かを伝えようとしているのか。鱗毛人の言葉が分からない詩子に、息子の真意は分からない。

 ただ、分からずとも答えは返せる。暗闇の中で感情が消えていた表情に、何時も通りの笑みを浮かべるという形で。


「ありがとうございます。一応、お礼はしておきますね〜」


 それと感謝の気持ちも。

 こちらの意図は通じたのだろうか。息子は突如鼻息を荒くし始め、何やら興奮状態に入る。あれ? 何かわたし失敗しましたか? と思ったのも束の間――――ごつんっ、と岩を叩き付けるような音が聞こえた。

 どうやら母親が息子の頭にゲンコツを喰らわせたらしい。理由は、詩子には分からないが。


「(まぁ、多分真面目にやれ、的な何かっぽいですけど)」


 鱗毛人の母親は、外で何かしらの異常が起きている事に勘付いている様子だ。小さな姉妹を常に抱き寄せている事から、胸中で渦巻く不安な気持ちが窺い知れる。

 或いは息子も、何か異変を覚えているのかも知れない。母親の緊張を解そうとしてふざけて、それでゲンコツをもらったのか。

 微笑ましいと見るべきか、何をやっているんだと呆れるべきか。恐らく、どちらでも息子は満足するだろう。

 詩子も、少し考えが凝り固まっていたかも知れないと思う。深く息を吐き、一度感覚をリセット。新鮮な気持ちでトランシーバーから流れてくる『音声』に耳を傾けつつ、詩子は外について再び思考を巡らせる。

 集まってきた陰謀論者は推定五百人。

 冷やかしや付き合いなどで参加している者も少なくないだろう。元々過激な面子は半分以下と見做して良い筈である。しかし人間というのは空気に飲まれる生き物だ。誰かが過激な行動を起こせば、大半はそれに釣られる形で同調する。向こう方の『戦力』は五百人と考えるべきだ。

 対して此処に配備された自衛隊員の数は、ざっと五十人。

 自衛隊員は訓練された戦闘のプロフェッショナルである。相手が一般人、それも陰謀論にうつつを抜かすお世辞にも屈強ではないと思われる相手なら、一対一は勿論、二対一ぐらいならなんとかするだろう。しかし十対一はいくらなんでも辛い。銃が使えればなんとか出来るだろうが、いくら陰謀論者とはいえ国民に銃口を向ける事は出来ない。

 果たして自衛隊員は、陰謀論者達を抑え込めるのか?

 詩子は少なからず心配していたが……すぐに、それが杞憂であると分かる。


【その道を開けろぉ!】


 一人の陰謀論者が、ついに暴力行為に出たらしい――――勇ましい掛け声と共に、ぼこんっと何かを叩くような音が、トランシーバーから聞こえた。


【公務執行妨害確認ッ! 任務に対する障害と判断し捕縛する!】


【うおおおおおおおおおおおおおっ!】


 次いで指示を出す司令塔らしき隊員の声と、他大勢の自衛隊員達の雄叫びがトランシーバーから響いた。

 良い作戦だ、と詩子は思った。確かに人数差は圧倒的で、一斉に襲われたなら極めて不利な状況である。しかし言い換えれば、一斉に襲われなければなんという事はない。

 一人が明確な行動を起こした瞬間、即座に自衛隊員達は対処を行った。これにより陰謀論者達に状況の急変という『想定外』を与え、考える時間を奪う。更に大声による威嚇で萎縮させ、徒党を組んだ暴力行為という選択肢を選ばせない。

 考える時間がなく、攻撃もしたくない。そうなると選べる行動は、『逃げる』ぐらいなものだ。そして誰かがそれを選べば、周りの有象無象は同じく従う。


【ぅ、うぅ……】


【お、おい。これ、捕まったら前科とか……】


【ば、馬鹿。警察じゃないんだから前科なんて付く訳が……】


 目論見通り、日和見だった参加者達に不安が広がり始めている事が、トランシーバー越しの音声から窺い知れた。

 これは好機である。狂信的な陰謀論者は兎も角、軽い気持ちでやってきた面々にとって警察のお世話になるという状況は大きな負担だ。『遊び』のつもりだろうと警察沙汰となれば、躊躇するのは必然である。ましてや前科が付けば、将来に大きな禍根を残す。履歴書に十年ぐらい空きがあるような面々なら兎も角、若いフリーターや学生にとっては無視出来ない。


【警告する! これ以上の立ち入りは任務の妨害と判断し、束縛後警察組織に引き渡す!】


 そこに付け込むように、指揮官が大声で警告を発する。

 別段嘘は吐いていない。警察に引き渡された後、暴力を行ったものは何かしらの処分がある筈。ただそれだけだ。有罪になるだの、量刑がどうたらだの、そういった具体的な話は何も言っていない。

 しかし陰謀論者という『想像力豊か』な者達の恐怖心を煽るには十分。

 トランシーバー越しの音声から判断するに、まだ彼等は洞窟の前から退いていない。されど心は十分にへし折った。今は陰謀論者同士の同調圧力があるから走り出さないだけで、内心は逃げたくて堪らない筈である。自衛隊員達が圧を加えていけば、いずれ同調圧力よりも『本心』が上回るだろう。

 誰か一人が逃げ出せば、後は鳥の群れが如く一斉に散る。とびきり正義感を燃やしている輩は残るかも知れないが、そんなのは全体からすればごく一部だ。それこそ、五十人の自衛隊員で制圧可能な程度の戦力と見込める。

 まだ何も終わっていないが、されど『結末』についてはもう心配ないだろう。


「(ひとまず一難は去った、と言えるでしょうか)」


 あれこれ考える必要がなくなり、詩子はため息を吐く。

 勿論これは一時凌ぎに過ぎない。自衛隊への暴行で捕縛されたところで、陰謀論者達は恐らく大きな罰も受けず(重くとも公務執行妨害程度。恐らく厳重注意で終わるだろう)釈放される筈だ。ある意味これも陰謀がない証拠なのだが、そういう事には目を瞑るのが陰謀論者。すぐにまた、同じ活動をするに違いない。

 二回三回とやれば罪も重くなり、執行猶予も付くだろう。しかし相手も人間で、学習するものだ。仮に学習しなくとも、すぐに暴力に訴える輩は法的に集団から『排除』されていく。さながら自然淘汰のように集団は段々と精練されたものへと変わり、より理知的な組織へと変化する。法と権力を利用するようになった者達を抑え込むのは困難だ。

 治療薬開発には長い時間が掛かる。果たして次、そのまた次の襲撃も追い払えるだろうか。そもそも政府は何時まで鱗毛人を守ってくれるのか――――

 危機はまたすぐに訪れる。だからこそ次の動きを考えようとしていた。

 ただ、それが本当に今すぐ、数秒と経たずに訪れるとは思わなかったが。


「…………クオォォォ」


 ましてや、突如として立ち上がった息子が洞窟の入口に向かおうとする、という形になるとは予想もしていなかった。


「……待ってください! 今外に出るのは不味いです!」


 これには流石の詩子も慌てて息子の前に立ち、引き留めようとする。ヒト研究の道筋を失う訳にはいかない。だが息子は止まろうとしない。

 それどころか母親や姉妹も立ち上がり、洞窟の入口へ向かおうとする。そして息子は詩子の腕を掴み、ずるずると引きずっていく。

 一家は何処かに行こうとしているらしい。


「もしもし! 今、一家が外に出ようとしてます!」


 咄嗟に、詩子はトランシーバーで洋介に連絡する。陰謀論者達に聞かれる恐れもあったが、情報共有を優先した。

 詩子が連絡を入れると、トランシーバーからすぐに返事がきた。少し狼狽えたような、洋介の声だ。


【な、なんですって? 何故ですか?】


「理由は分かりません! ですがこのままでは……ただちにそこから陰謀論者達を退かしてください!」


【了解! 対策を考えますから、少しでも時間を稼いで……】


 洋介からの指示。だが詩子はこれを最後まで聞き取る事が出来なかった。

 突如、大地が揺れ始めたのだから。


「なっ、地震……きゃっ!?」


 ただの揺れかと思ったのも束の間、急に揺れ方が激しくなる。今までの人生で詩子は何度も地震を経験しているが、ここまで激しい揺れは初めてだ。

 加えて、普通の揺れ方ではない。上下に突き上げるような、不可思議な揺れ方である。おまけにガラガラと崩れるような音が聞こえて――――


「あ、これはヤバ……」


 嫌な予感がした。しかしその時にはもう、何もかもが手遅れ。

 詩子の足元にある大地が、大きく凹んだ。いや、凹んだのではない。

 崩落しているのだ。


「ホ、ホゥオオッ!」


「ホキャァッ!?」


 母親は姉妹を抱え、大きく跳躍。細身の身体であるが人間より身体能力は上のようで、軽々と洞窟の外に向けて進む。

 息子の方も詩子を抱え直すと、大きく膝を曲げた。母親のように跳躍して此処から逃げるつもりなのだろう。この状況下で外に出るなと詩子も言うつもりはない。しっかりと彼の身体にしがみついた

 瞬間、がこんっと音を立てて詩子と息子のいた足場が崩れ落ちる。


「……あらあら〜」


「ホァッ!?」


 跳ぼうとしたところでの足場喪失。行き場をなくした力は空気を蹴るが、流石に空中ジャンプが出来るほどではなく。

 息子共々、詩子は崩れ落ちた洞窟の下へと落ちていった。自由落下の猛烈な慣性で意識が遠退き、達観を抱く間もない。

 ただ一つ、疑問の念を抱く。

 何故自分達の落ちている先、地下深くがと――――

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