18

 その『問題』が起きたのは、間もなく正午を迎えようとした時の事だった。


「一二三教授! 大変です!」


 詩子の下に駆け付けてきたのは洋介。横目で見た防護服越しの顔はよく見えないが、狼狽えている事は声だけでありありと伝わってきた。

 鱗毛人の食事風景(お昼前に帰ってきた息子が仕留めてきたと思われるイノシシ。それを解体して食べている)を間近で観察していた詩子は、邪魔をするように割り込む洋介の声にちょっとばかり不満を抱く。

 しかしこのタイミングで声を掛けてくるからには、何かしらの『問題』が起きたのだろう。詩子は顔を上げ、やってきた洋介に尋ねる。


「はい、どうしましたか〜?」


「……昨晩総理が行った、鱗毛人と伝染病の関係に関する発表。その民間への影響が、出始めています」


「あら、そうなのですか? まぁ、そのぐらいが頃合いかとは思っていましたけど〜」


 洋介からの報告に、詩子は特段驚いた様子もなく反応を返す。

 元々詩子は『ヒト』以外に興味がないから、というのもあるが……今朝見た総理の発表が民間人に影響を与え、それが今ぐらいの時間になって表に出てくるのは予想通りだ。

 SNSの発展により情報伝達が高速化したと言っても、結局のところ情報を広めたり受け取ったりするのは人間だ。所謂『廃人』と呼ばれる層を除けば、四六時中SNSを覗いている者などそうはいない。一般的には余裕のある時間に書き込み、または拡散を行う。

 統計的に見た場合、拡散が多い時間は八時・十二時・十四時・十六時と言われている。特に十二時が突出して多い。今はまだお昼前とはいえ、そろそろ昨晩行われた投稿に対する反応が本格化する頃だろう。

 つまり重要なのは情報の拡散速度ではなく、反応の内容そのものだ。洋介の今の話は前振りでしかなく、驚くのはまだ早い。


「それで、どんな感じなのですか〜? わたしの予想では、好意的なものや擁護はほぼ見られないと思うのですが〜」


「ご想像の通りです。鱗毛人に対する反発はかなり強く、退治しろという意見もあります。少数ですが自分が退治に出向くという発言も確認されました」


「でしょうね〜」


 現時点で、人類にとって鱗毛人は病原体の発生源という『害獣』でしかない。形態的にヒトと然程似てない事も、駆除という選択肢へのハードルを下げる一因だろう。政府にこれを求めるのは勿論、「誰かを守るため」という正義感に燃えて自ら行おうという考えの者が現れるのも不思議ではない。

 とはいえ、流石にその意見の通りに行動するのは好ましくない。正義感に燃える者達が抱く、誰かを守るためにも。

 何故なら鱗毛人が特殊殺傷性菌類の宿主であるなら、彼等の身体または生活習慣に病を抑える方法がある筈なのだ。あらゆる薬が効かない、おまけに感染力の強い菌類相手に、薬頼りの人類文明は相性が悪い。鱗毛人から治療のヒントを得られなければ、自力でこれを見付けなければならないのである。そして見付かる保証は、ない。

 鱗毛人を退治すれば、最悪を回避するための知見が失われる。自分達の手で破滅への道を歩む事になるのだ。詩子としては正直人類文明の壊滅も、鱗毛人の虐殺もあまり関心はないのだが……どちらが起きても『ヒト』を知るための道筋が途絶えてしまう。防ぐために尽力するのはやぶさかでない。

 しかし、そもそもそんな心配や努力が必要なのか、という疑問もあるのだが。


「ですけど、鱗毛人の正確な生息域は公表されていませんよね? 動画で語られた富士の樹海というだけでは、流石に此処まで辿り着けないと思いますが〜」


 富士の樹海こと青木ヶ原樹海は面積にして約三十平方キロ。杉並区より少し小さい程度であり、一人の人間が歩き回るにはあまりにも広い。

 何より青木ヶ原樹海は人間の手で整備されていない原生林。岩だらけ虫だらけ根だらけの環境を探索し、鱗毛人の姿を見付けるのは至難の業だ。

 正義感だけで行動する『阿呆』が来たところで、遭難して警察のお世話になるだけ。大体そういう発言をしたところで、九割の人間はやりもしないものである。

 無論一割の『特級』なお馬鹿はいて、彼等が幸運に恵まれる可能性はゼロではない。故に対策をしないのも愚策であるが……警察が巡回していれば大半は防げるだろう。

 仮に鱗毛人と出会ったところで、彼等は急所にさえ当たらなければ銃さえも効かない身体を持つ。一般人の武装程度では駆除するどころか返り討ちだ。むしろ今はそちらの心配をすべきである。死んだところで自業自得と切り捨てられるのがオチだろうが、インフルエンサーなど『信者』が多ければ世論が攻撃的なものに変わりかねない――――

 詩子の考えはこうだった。合理的で論理的、ヒトの意識と習性を読んだもの。百パーセント当たるとは限らないが、余程のイレギュラーがなければ大きく外れるものではない。


「いいえ。このままでは、鱗毛人達は殺される恐れがあります」


 その筈の意見を、洋介はハッキリと否定した。

 詩子はパチパチと目を瞬かせる。まさか反論があるとは、夢にも思わなかったがために。

 そしてその言葉の強さから考えるに、洋介には確信があるらしい。


「……何か、あったのですか〜?」


「はい。まず、鱗毛人の生息地はかなり絞られています。午前中のバラエティ番組で、鱗毛人の生息域が全国に報道されました。それも動画投稿者を襲った個体ではなく、現在我々が研究している家族のです」


「……はい?」


「どうやら鱗毛人の生息域を漏らした官僚、または政治家がいたようです。しかも別個体群という情報まで付け加えて」


 訊いてみれば、返ってきたのは情報漏洩について。

 この状況で大事な話を漏らしたのかと、その漏洩者に対し詩子も少なからず呆れる。或いは漏らしたのか。政治家や官僚にも鱗毛人に人権を認めない者達はいる。彼等からすれば、諸悪の根源を隠そうとする政府に苛立ちを覚えたかも知れない。

 真意はどうであれ、大まかな居場所が一般にバレた事は確からしい。樹海ではコンパスが効かないだのなんだのが迷信である以上、目的地が定められた状況では彼等を見付けるのは格段に容易となる。

 とはいえ、これだけならまだ問題にはならない。居場所が分かったところで、意気揚々と乗り込む輩などごく一部だ。むしろ場所がバレたなら、自衛隊や警察による警備もしやすくなるだろう。


「そしてその情報を元に、約五百名の一般人が鱗毛人退治に向かっています」


 だが、それが出来るのは相手が少人数であればの話。

 五百人。洋介が語る数を対処するのは、極めて困難な筈だ。何十という数が警備を突破し、一斉に襲い掛かれば、流石の鱗毛人も命を脅かされるだろう。

 最悪の状況だ。しかし詩子にはそれ以上に、気に掛かる部分が存在する。

 鱗毛人退治に参加する五百もの一般人。彼等は一体何者なのか? いくら昨今はSNSが普及し、世界中から簡単に賛同者が集まるとはいえ、いきなり五百人もの人間が協力関係を結べるとは思えない。いや、賛同者自体は集まるかも知れないが、人間には仕事や予定というのがあるのだ。今日鱗毛人の居場所が明らかになって、はい行きましょうとはならない。

 何か、大きな理由があるのではないか。例えば集まった者達に、共通点、或いは『結び付き』があるのでは。いや、そもそも本当に一般人なのか――――


「……その集まった自称一般人は、何者ですか?」


 疑問の答えを洋介は知っているかも知れない。期待を込めて、詩子は尋ねる。

 洋介は詩子の期待に応えてくれた。


「公安の調べによると、レプティリアン監視委員会の加盟者との事です」


 詩子の疑い通り、その五百人に何かしらの結び付きがある事を証明したのだから。

 ……そう、証明はした。しかし詩子が得た心境は、納得ではなく呆気。

 れぷてぃりあんかんしいいんかい?

 一体、何を話しているのか?


「彼等の主張によれば、鱗毛人は異星人だそうです」


「……はい? 異星人?」


「レプティリアンというタイプの異星人だそうで。ご存知ですか?」


「え、まぁ。割と有名な異星人ですし……陰謀論も、ヒト研究として多少嗜んでいますから」


「そのレプティリアンがついに姿を表した。これは最終戦争の前触れであり、伝染病は彼等が撒き散らした……と、彼等はネット上で主張しています」


「……あっ!?」


 洋介の言葉を半ば呆然としながら聞いていた詩子だったが、不意に全身に電流が走ったような感覚に見舞われた。そこでようやく、洋介の語る者達がなんであるかを察する。

 陰謀論者だ。

 無論、陰謀論者と一言でいっても種類は様々だ。その中の一派に、『レプティリアンヒト型爬虫類に人類は支配されている』というものがある。

 彼等の主張曰く、レプティリアンは人間に化けて世界のあちこちに潜んでいる。芸能人や政治家の多くがレプティリアンで、世界は裏から彼等に操られている。そして彼等は人間の血肉を好み、日夜大勢の人々が犠牲になっている……

 等という、与太話だ。ハッキリ言って馬鹿らしい。もしもレプティリアンにそれだけの科学力や権力があるなら、インターネットでべらべら秘密を喋っている者達を始末して情報隠蔽を行うだろう。或いは堂々と姿を見せて、桁違いのテクノロジーで地球文明を更地にし、人間は檻に入れて飼えば良い。食糧として飼うならその方が合理的だ。人間だって家畜をそうやって飼育している。なお、彼等は人間のDNAを操作して、自分達と同じものに変えようとしているらしいが……家畜を同種に作り変えて何か利点があるのだろうか? 仲間を増やすなら普通に繁殖すれば良いし、少子化対策とかであれば自分達のクローンや試験管ベビーを作る方が楽だろう。多様性を考慮するにしても、人間をレプティリアンにするより、レプティリアンに人間のDNAを組み込む方が手間が少ない筈だ。

 ツッコミどころ満載の陰謀論(この手の陰謀論は費用対効果と回りくどさで大抵否定出来るが)であるし、レプティリアン実在の証拠とされる映像も字幕で『感想』や『疑問』を述べているだけか、或いは加工されたフェイクばかり。しかし歴史の長い陰謀論でもあり、世界中で多くの信奉者がいる。海外では勘違いの果てに殺人事件も起きており、ただの『馬鹿』として切り捨てる訳にもいかない問題だ。

 そしてその輩は日本にも、割合としてはとても少ないが、数としてはそこそこ存在している。その中には、同じ陰謀論者でも引くような輩もいるのだ……それこそ殺人も厭わないような気狂いが。


「(ああ、これは良くない……というより想定外ですねぇ)」


 陰謀論者の結び付きは強い。

 『隠された真実』を知る者同士という関係性は、一体感を大いに高める。口ではどう言ったところで、ヒトというのは基本的に『特別感』が好きな生き物なのだ。しかも仲間意識で結ばれれば、その仲間の意見を否定する事は難しい。「あなたが言うからにはそうなのだろう」という気持ちは、ヒトならば誰しも持つものである。

 加えて陰謀論者は、陰謀論者のコミュニティ以外に『帰属』がない事も多い。これは要するに「レプティリアンに地球が狙われている!」と叫ぶ輩と友達になったり、社員として雇ったりするのかという話だ。社会性生物であるヒトは本能的に『孤立』を恐れるもので、陰謀論者以外との関係がない者は、陰謀論者達との関係が途切れる事を極端に恐れる。関係性を続けるためなら、それこそ

 カルト宗教やテロ組織の構成員と同じだ。一般人への布教や親族との離縁を通じ、それら以外の帰属を失わせる。他に所属がないヒトはその組織に居続けるためにどんな事でも……殺人さえも厭わない。

 ましてや鱗毛人はヒトではない。陰謀論者の集団であれば、鱗毛人の殺害を躊躇う事はしないだろう。そして説得は無意味だ。彼等の中では鱗毛人=レプティリアンなのは決定事項であり、全ての理屈がそれを前提にしている。そこをひっくり返す意見は、全てレプティリアンと認識し、発言者を敵と判断するだろう。

 例え仲間が殺されても彼等は使命の達成を諦めない。いや、殺されるところを見て却って意欲を燃え上がらせる可能性が高い。


「……政府や警察は、彼等をどうするつもりなのですが」


「意見が二つに割れています。特殊殺傷性菌類の治療に鱗毛人が欠かせない事から、警察に彼等を逮捕するよう求めるもの。対して国民感情への配慮や、法的に規制する根拠がないとして穏健な対応を求めるもの。双方拮抗しており、調整が難航しています」


「考えられる中で最悪の展開ですねぇ……」


 治療薬開発の方針は、成功すれば先見の明があったと言われるだろう。しかしヒトというのは短絡的な生物だ。未来の展望よりも、今の感情を優先したがる。

 何より民主主義国家の政治家にとって、民衆の支持は欠かせない。未来のために素晴らしい布石を打とうとも、その結果国民生活を圧迫すれば確実に支持は下がる。支持がなくなれば政権は代わり、今まで積み上げてきたものが『前政権の駄目なところ』として否定されて終わりだ。いざ恐ろしい未来が訪れた時、ああだこうだ言っても手遅れなのに。

 しかも今の日本は世界トップクラスの少子高齢化社会。投票者の大半が老人だ。老い先短い老人が十年二十年先の未来のため、身を削れるだろうか? 残念ながらそうはならない。高確率で未来がない老人は、確実に訪れる今を優先する方が『合理的』なのだから。

 故に、政治家は今を優先せざるを得ない。むしろ特殊殺傷性菌類という脅威が相手だから、意見を拮抗まで持ち込めていると言うべきか。これが生物多様性の保護であれば、間違いなく反対派が圧倒している。多様性の重要性をどれだけ語っても、人命の尊さなどを持ち出して終わりにされるのだ。遠い未来がどうなるかなも考えもせず。


「(いずれにせよ、公権力が今日中に動く事はなさそうですね〜……なら、使えるのは)」


 ちらりと、詩子は洋介の目を見る。

 詩子と見つめ合う形となった洋介は、頷きも首を横に振りもしない。真剣な眼差しで、詩子の目を見るのみ。


「仮に、陰謀論者達が此処を訪れたとして、彼等を拘束したり進行を妨げたりは出来ますか?」


「それは可能です。我々の任務は未だ鱗毛人の研究であり、それを妨げる活動には権力を行使出来ます。彼等が我々に暴行を加えれば、拘束も可能です。ですが……」


「鱗毛人が一般人に危害を加えようとしたら、射殺しないといけない。国民を守る事が、第一の使命なのだから」


 詩子の言葉に、洋介はこくりと頷いた。

 もしも自衛隊が鱗毛人を射殺すれば、もう研究は終わりだ。治療薬開発も大きく遠退く。

 つまり興奮した民衆を前にして、鱗毛人達を抑えるのが重要。それが可能なのは――――


「彼等の生活に溶け込んだわたしだけ、ですか」


 よもや自分がヒトの命運を握る事になるとは。

 プレッシャーを覚えるような感性はなくとも、少なからず驚きに似た感情を詩子は抱く。

 そしてそれが極めて困難で、成功の可能性が低いという想いも……

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