17

「申し訳ありませんが、今はお受けする事が出来ません」


 きっぱりとした口調で、防護服に身を包んだ洋介は答えた。

 あまりにハッキリとした答えなものだから、その答えを聞いた詩子は一瞬キョトンとしてしまう。次いで、首を傾げる。

 おかしいと思った。何故なら詩子は、鱗毛人の謎を解くためのヒント――――洞窟の奥で見た光を調べるよう頼んだのだから。

 鱗毛人達と一緒に洞窟で眠り、一晩経って詩子は早速洞窟の外で待機していた自衛隊(正確にはその一人である洋介)に洞窟内で見た光について話した。その奥に何か、鱗毛人が地上に現れた原因を解き明かすヒントがあるかも知れないという言葉も付け加えて。

 無論、すぐにOKが出るとは考えていない。洞窟探検となれば相応の用意が必要であり、人員や装備の準備に時間と費用が掛かる。鱗毛人の生活圏を探索するとなれば、防護服姿でも探索出来るよう念入りに準備する必要もあるだろう。それだけ手間だと調査開始の前にまずは自衛隊上層部、その上にある政府に要請を行い、許可が下りるのを待たねばならない。

 とはいえこれはあくまで手続き上の話だ。鱗毛人の起源……彼等が何処に、どれだけの数いるか明らかとなるかも知れない事態を、政府が無視出来る筈もない。仮に却下されるとしても、それは政府の意向だ。政府から指示を受けている自衛隊が答える事ではない。

 何より、『言い回し』が気に掛かる。


「今は、という事は……ここにきて何か状況が変わったのでしょうか〜?」


「……説明するよりも、こちらを先に見ていただく方が早いと思われます」


 洋介がそう言うと、後ろに控えていた他の自衛隊員達が大きな機械……モニターなどの映像機材を運んできた。

 長いコードを大勢で運び、持ってきたノートパソコンに接続。自衛隊員の一人がパソコンを操作しつつ、他の隊員が配線を用意していく。防護服姿でそれらの作業をするのは大変な筈だが、訓練などで慣れているのだろうか。彼等はテキパキとパソコン操作と配線を進めていく。

 ちなみに詩子の傍には鱗毛人の母親と姉妹もいて、三人は興味津々な様子で自衛隊員達が弄る機械を見ていた。何をしているか分からずとも、『不思議な事』をしているというのは分かるのだろう。なお、息子は狩りに出掛けたため此処にはいない。

 やがてノートパソコンから大きめの音が出ると、鱗毛人親子は驚いて飛び跳ねる。「お約束な感じですね〜」と思いつつ、詩子は映し出されたパソコンに目を向けた。

 画面に映し出されたのは、一人の男性。

 総理大臣である辰巳幸三だ。壇上の上でマイクの前にいて、更に神妙な面持ちを浮かべている。これだけ見れば何か大きな、重大な話をするつもりなのは察しが付く。

 そして詩子にはその内容も想像出来た。尤も、出来れば外れてほしかったが。


【本日は国民の皆様に、重大な発表があります。現在我が国に蔓延している伝染病……特殊殺傷性菌類について、発生源が特定されました】


 パシャパシャと映像で無数のフラッシュが焚かれる。一般人なら顔を顰めたくなるであろう光量だが、幸三からすれば慣れたものなのか。特段怯んだ様子もない。


【先日我が国で確認された、鱗毛人です】


 故に、その言葉をハッキリと告げる事も出来た。

 モニターからざわめきが聞こえてくる。カメラのフラッシュか更に焚かれる中、幸三は話を続けた。


【現在我が国の多くの研究者が、この恐るべき伝染病の謎を解こうと奮闘しています。その過程で明らかになった情報であり、事実であると政府は認定します】


 力強い言葉による演説。さながら、今さっき知ったと言わんばかりの物言いだ。事実を知っている詩子でさえ、そう誤認しそうになる説得力演技力がある。


【なお、感染源となった鱗毛人は現在自衛隊が捜索しています。一部では彼等を人類と認め人権を与えるかについて議論があり、その件についても与党内で協議中ですが、今は国民の生命を守るため捕獲と研究を優先しており――――】


 その後も、幸三の話はつらつらと続く。

 映像の最後にはマスコミによる質問もあるだろう。彼等が民意を百パーセント代弁しているとは限らないが、しかしテレビ局に多く寄せられた質問もある筈。見ておいて損はない。

 だが、今の優先事項ではない。どうせ録画なのだから、急いで確認する必要もないだろう。

 パソコン画面から顔を逸らし、詩子はため息を吐く。事を伝えようとした仕草を、洋介は汲んでくれた。


「……以上のように、総理が鱗毛人と特殊殺傷性菌類の関係を認めました。話にあった通り、現在自衛隊は投稿動画で確認された鱗毛人幼体の捜索が第一任務であり、洞窟探検をする余裕はありません」


「うわーお、今この時にですか〜……財務大臣さんの差し金ですかね?」


「……自衛隊として見解を述べる事は出来ません」


「ですよね〜」


 けらけらと笑いながら、詩子は思考を巡らせる。

 財務大臣・立花秀夫。

 彼は以前の会議で、鱗毛人を人間として扱う事に反対意見を表明していた。それもかなり強硬な考え方で。政治的な判断というより、個人の信念だという印象を詩子は持っている。

 そんなイデオロギーを持つ彼からすれば、国民を脅かしている伝染病の発生源をなどあってはならない。総理大臣に対し、強い圧力を加えただろう。

 とはいえ彼だけでは、総理をこの決断には至らなかったと思われる。

 恐らく与党議員の多くが、秀夫の支持に回ったのだ。理由は極めて合理的なもの。鱗毛人が伝染病の発生源だと明らかになった時、

 鱗毛人を擁護したとしても、全く支持が得られないとは思えない。しかし間違いなく主流派にはならないだろう。どれだけ善人やリベラルぶったところで、本質的にヒト生物にとって大事なのは自分の命。自分に無関係なら兎も角、自らの命が脅かされている時に人権だのなんだのを言ったところで大半の人間の心には響かない。

 合理的に考えれば、鱗毛人達の人権など無視して病気の解明をする方が国民の支持を集めるだろう。選挙しか頭にないのか、と憤る事は無意味であるし、それは日本の持つ『価値観』である民主主義を否定する。政治家という存在は、民衆が望む事を実現するためにいるのだ。選挙で当選するというのは、そういう事である。


「(まぁ、わたしが研究している方々を捕まえようとしないのは、妥協した結果なのかも知れませんが)」


 政府が現在位置を把握している、唯一の鱗毛人達が此処にいる家族。単に『サンプル』を捕まえようと思えば、彼等を捕獲するのが一番手っ取り早い。

 しかし洋介達がそうした行動を取らないからには、政府から指示は出ていないのだろう。友好関係を結べた個体は保護すべきという考えが優先されたのか。

 ……或いは、すっかり打ち解けたこの一家を捕まえる事が、自衛隊の士気低下や反発を招くと考えたかも知れない。この程度ではクーデターなど至らないにしても、不安要素はないに越した事はないのだから。


「……まぁ、良いでしょう。しかしこんな発表を強いられるとは、そんなにあの病気って国内に広まっていましたっけ〜?」


 政治についてのあれこれは一旦頭の隅へ。詩子はもう一つの疑問を口にする。

 それは、この発表をせざるを得なかった国内情勢について。

 特殊殺傷性菌類の存在自体は、既に公表されている。しかし詩子が隔離されている間に見ていたニュースでは、その犠牲者数は精々十数人程度でしかない。

 ヒトには様々なバイアスがある。正常性バイアスは特に有名なものの一つであり、これは非常事態が身近に迫っても、自分だけは大丈夫だと根拠なく信じる心理状態だ。このバイアスに陥ると、室内に火事の煙が入り込んでも平然とそこに居座る事も出来てしまう。

 知り合いでもない人間十数人の死など、無関係だと決め込んでしまう者が大多数の筈。政府が動くほど、追い詰められる要素などあっただろうか?

 その答えは、洋介が教えてくれた。


「どうやらSNSで病気の情報が拡散し、国外で不安視する声が高まっていたようです。中国やロシアなどは積極的にこの件で我が国に情報開示を要請しています。米国は、共に研究する用意があると一見友好的ですが……」


「それ、要するに洗いざらい全部吐けって事じゃないですか〜。なら、うちの国の発表は米国からの圧力ですかねぇ。いや、米国だけじゃないかも〜」


 諸外国からすれば、謎の病原菌の存在など気が気ではないだろう。

 ほんの十数年前、二〇二〇年代に大流行したとある感染症は、社会に大きな影響を与えた。経済は大きく低迷し、政権基盤に打撃を受けた国も少なくない。独裁国家の中には病気の流入を恐れて鎖国し、大量の餓死者が出た例もあるという。今でこそ治療薬やワクチンの開発、治療法の発展によりその感染症は『風邪』程度の被害となったが……今政治をしている者の多くは、当時の混乱を現場で目にしてきた世代だ。新たな病気に危機感を抱くのは当然である。

 おまけに件の感染症の発生源である『某国』は、その情報を隠していたのではないかと疑惑を持たれている。結局資料も何もないので、現時点でも未だ疑いでしかないが……あの件から某国は世界での信頼を一層失った。

 日本国も例外ではない。病気と鱗毛人の関係を隠し、万一第三者の手で明らかとなれば、の仲間だと見做される恐れがある。第二次世界大戦の敗戦国という立場から抜け出し、自由民主主義国家の一員であると語るためにも積極的行動が必要だ。近年経済的に衰えつつあるものの、だからこそ過激な行動に出る恐れがある隣国に対処するためにも他の自由民主主義国家との連携は欠かせない。

 国内政治、外交問題、国際的立場。

 本来ならば「ヒトに近い生物」でしかない鱗毛人は、ヒトの世界を政治的に混乱させつつあるようだ。無論、鱗毛人達自体はそのような情勢など、何も理解していないだろうが。


「ホォ〜」


「ホ、ホァァァ……」


 自分達の事を『サンプル』扱いした放送が流れたテレビに、鱗毛人姉妹が歩み寄り、つんつんと指で突く。

 まるでヒトの子供のような姿に、傍にいる自衛隊員達の顔に笑顔が浮かぶ。任務対象に入れ込むな、という指示が出ていそうなものだが……そうした指示を出す方が無能というものだろう。ヒトは、ヒトに似たものに愛着を示す生物なのだから。

 だからもしも、彼等に政府が手を出す時は、恐らく彼等には撤退命令が出される筈。


「(さて。これから政府がどう動くか、気にした方が良さそうですね〜)」


 此処にいる鱗毛人一家をバラバラに解剖したとしても、詩子の心は特段痛まない。むしろ必要ならばそうする事も厭わない。自衛隊員から軽蔑されても屁の河童だ。

 しかし現状、彼女達は人類が認知している唯一の個体群。彼女達がいなくなれば鱗毛人研究は停滞し、ヒトを理解する道筋の一つも廃れてしまう。治療薬の開発だとか、ヒトの死だとかはどうでも良い。詩子も感染しているとはいえ、死後に出来上がる薬が

 詩子が懸念するのはその一点だけ。その一点が守られるなら何があっても許容するが、言い換えれば逆は一切受け入れない。

 もしも日本国政府や諸外国が彼女達に危害を加えるつもりなら、こちらも方々に手を尽くして対処すべきか。流石に国家を相手取るのは難しいが、油断したところに痛手を負わせるぐらいのやり方は用意してある――――

 政府や外国への懸念から、策を巡らせる詩子。しかしこの時、詩子は大事な事を失念していた。

 世界の流れを決めるのは、必ずしも国や政治家だけではない。賢人や普通の人々だけでもない。

 もまた、そうした原動力を生むもの。それも時として、誰にも止められないほど大きなパワーを宿して。

 されど賢人側かつ合理的な人間である詩子には、彼等の行動を予測するなど土台無理な話であるのだが……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る