08

「(成体一人子供二人。数では圧倒されていますね。戦えるかどうかはさておくとして)」


 自分の持つ懐中電灯が照らした『人影』の数を、詩子は瞬時に数えた。

 一瞬での判断のため、誤りもあり得たが……ゆっくりと上げた光が照らし出したのは、直感した通り三人の人影だった。

 三人は身体を縮こまらせている。身長百六十センチほどの個体一体と、百センチと五十センチ前後の個体が二体。大人と子供と見て間違いないだろう。子供の方は大人の背後に隠れていて、怯えている様子だ。

 そして誰もが、ヒトと異なる姿をしている。

 全身を覆う鱗のようなもの、太い頭髪、目玉の小さな顔など、様々な特徴が見られる。いずれも詩子が解剖した『標本』と同じ。そして生物学の世界において、標本は絶対的なものだ。新種として報告した際に使われた標本はホロタイプと呼ばれ、後に発見された個体が同種であるか判断するための基準となる。標本と同じ特徴を持つなら、その生物は標本と同種扱いするのが現代生物学の基本だ。

 だから詩子達が出会った存在は、鱗毛人として扱うのが適切。

 尤も、こんな『七面倒』な考え方をせずとも、ぱっと見の印象だけで鱗毛人だと分かるが。


「これは……女性……?」


 加えて洋介が呟いたように、性別もなんとなくだが分かる。

 出会った鱗毛人はいずれも華奢な身体付きをしていた。そして最も大きな、成体と思われる個体に至っては胸に膨らみがある。如何にもヒトの女性的な特徴であり、洋介がそう判断するのも仕方ない。

 ちなみに詩子は迷いなく下半身を見て『生殖器』から判断していたので、隠れているため性器が見えない子供の方は兎も角、成体に関してはほぼ確実に女性だと判断している。女性だと分かったがために、詩子は驚き、更には


「む、胸……胸が膨らんでいます!」


「え? あ、ああ。そうですね」


「これは大発見ですよ! 凄い!」


 抑えきれない興奮のまま語る詩子に、洋介は若干引いた様子を見せる。ついでに「あなたもしかして同性が好きなのですか?」と言いたげな、嫌悪ではないものの驚きに満ちた感情を向けてきた。

 しかし詩子が彼等の胸に興奮したのは、そんなくだらない理由からではない。彼女達の胸の大きさに、ヒトの進化が見えたからだ。

 まず、乳房が大きくなる哺乳類はヒトだけではない。ゴリラなども多少は大きくなる。しかし大抵の哺乳類では子供の授乳期間が終わると胸は萎んでいく。胸の『大きさ』を維持するコストがかさむ点や、生活の邪魔になる点で生存上の不利益を生むからだ。乳房とは母乳の生成器官に過ぎず、子育てが終われば用済みなのだから小さくなるのが合理的と言えよう。

 『常』に胸が大きいのは、ヒトを除くと絶え間なく乳を生産している乳牛ぐらいなもの。乳牛が人為的に作り出した生物である事を考慮すれば、自然界で唯一ヒトだけが常に胸が大きいと言える。

 何故ヒトはこのような特異な進化を遂げたのか? その理由はよく分かっていない。チンパンジーのように本来は尻の色で発情中かどうかを示したが、二足歩行により尻が見え難くなったため乳房で代用した説が一般には知られている。また雄に自分を繁殖相手として選んでもらうよう、性的アピールをするためという説もある。他には常に「私は発情中よ」と偽りの信号を発する事で、「そうなのかなぁ」と思った雄に世話をさせ続ける狙いがあるという説もある。いずれも尤もらしいが、確証はない。

 これらの説が謎である理由の一つは、何時、ヒトの胸が大きくなったか分からないからだ。実のところ古代人類の胸が大きかったかは未だよく分かっていない。何故なら胸は脂肪の集まりであり、化石に残らないからである。

 もしも二足歩行を始めたばかりの頃の古代人類の胸が大きければ、尻の代わりに胸が発達した説はかなり真実味を帯びる。身体的や生活的変化がない時期に胸が大きくなったなら性的アピール説が有力になるし、パートナーとなった雌雄が長期間行動を共にする『家族』生活を営み始めた頃に胸が膨らんだなら雄を騙すためという説の説得力が増すだろう。

 ヒト属でありながらヒトではない鱗毛人の胸が大きい事は、最も身近でありながら謎に包まれていた『乳房』の秘密を解き明かす鍵となるかも知れないのだ。


「ゥ、ウゥ……」


 更に、鱗毛人達が見せた小さな個体を抱き締め、守るような仕草。口を開け、歯を見せてきた。これもまた詩子に衝撃を与える。

 子を守る動物は少なくない。しかしそれは愛情というより、本能的行動によるものだ。本能とは何故そうしたいのかは分からないが、そうせずにはいられない衝動。それが結果的に状況に対し合理的な働きをし、生存率を上げている。

 彼女達の行動は、愛情によるものなのか。はたまた本能によるのか。愛情とはヒトが持つ特異な想いか、それともヒト属に備わった生存上の能力なのか。

 出会ってからまだ十秒も経っていない。しかしその十秒で、詩子は幾つものインスピレーションを得た。たった十秒でこれなのだ。一分、一日、一年と一緒にいたら……


「一二三教授、一旦離れましょう。鱗毛人達が興奮しています。このままでは攻撃されるかも知れません」


 洋介からの忠告がなければ、我を取り戻すのにどれだけ時間が掛かっただろうか。或いは旅立ったまま戻らなかったかも知れない。

 しかしその事にショックを受ける事もなく、詩子は僅かに後退する。


「……ちょっと実験してみますか」


「実験? 実験って何を――――」


 そして唐突に漏らした宣言で、洋介を困惑させた。

 洋介としては、詩子が彼等に直接的な接触を試みると思ったのかも知れない。

 しかし詩子とてそこまで『無謀』ではない。知的好奇心のままずいずいと迫る事が如何に研究の妨げになるか、『ヒト』を研究しているからこそ詩子はよく知っているのだ。相手はヒトの仲間なのだから、ヒトと同じ手法を用いるのがセオリー。

 まずは敵意がない、友好的な存在だと知らせる。

 そのために実験として、詩子は笑顔を作ったのである。幸いにして防護服の顔部分は透明なため、笑顔を鱗毛人達に見せるのに支障はない。


「ほら、あなたも笑って笑ってー」


「え?」


「知らないのですか? チンパンジーなどの類人猿も笑うのですよ。恐らく笑いはかなり古い起源を持つ性質です。ヒト属である彼女達なら、笑顔で緊張を和らげるかも」


 笑顔とは攻撃的なものである、という意見が巷には存在する。

 しかしこの説は、的外れと言わないが正解とも言い難い。例えばチンパンジーは自分より格上の相手に媚びへつらう時や、遊んでいる時に笑うという。一千万年以上前にヒトとの共通祖先から分岐したオランウータン、更には類人猿ですらないニホンザルにも笑いはある。そして高度な知能を持つチンパンジーであっても、他者への侮蔑による嘲笑は行わない。

 またヒトの場合、新生児に『新生児微笑』と呼ばれる行動がある。これは生まれたばかりの赤子が微笑みを浮かべるもので、周りにいる大人達に可愛いと思わせて世話をさせるための本能的行動だ。無論、この笑みに攻撃性などありはしない。ちなみにこの新生児微笑はチンパンジーやニホンザルもするという。

 少々話は逸れたが、ヒトの笑みがどうかは兎も角、類人猿として見れば微笑みは決して攻撃性を示すものではない。鱗毛人相手にも笑顔は好ましい表情として受け入れられ、敵対心を解く鍵となる可能性がある。


「……………ゥー」


「……………」


 果たしてその結果はどうかと言えば、鱗毛人達から返された笑顔が物語っていた。

 どうやら彼女達にとっても、笑顔とは親睦を示す一つの要素なのだろう。そして相手の笑顔を見ると攻撃性が和らぐ点も、ヒトと同じだ。

 類人猿の研究から分かっていた事であるが、ヒトの笑顔とそれに伴う行動の起源は極めて古い可能性が高い。


「ふ、ふへ、ふへへ……また一つ知ってしまいましたねぇ……うへへへ」


 そして思わず漏れ出た(自認するぐらい)怪しい笑みに対し、成体の鱗毛人は警戒心を強める。これもまたヒトと似た反応だ。笑顔に様々な『意味』がある事も理解しているのだろう。

 完全に打ち解けたとは言い難いが、つい先程までの一触即発状態に比べれば遥かに状況は好ましくなった。今なら余程の事をしない限り、彼女達の方から直接的な攻撃をしてくる事はないと思える。


「(だとすると何故初遭遇時の個体が自衛隊と交戦したのか気になりますね。お腹が空いていたとか?)」


 脳裏を過る新たな疑問。しかしながら、これを考える暇はない。


「教授、そろそろ時間です。防護服の保冷剤が溶けて、熱中症の危険が高まります」


 洋介が言うように、活動時間の限界が迫っていたからだ。

 あと五分だけ、と言いたくなる詩子だったが、しかし熱中症で倒れては元も子もない。

 何より、あまり洞窟内で長居をして、外で待つ自衛隊員達を心配させたくない。確認のため大勢でやってきたら、恐怖から今此処で築き上げた鱗毛人との関係が壊れてしまうかも知れないのだ。

 科学とは地道なもの。一歩一歩、少しずつ積み上げていくしかない。


「……分かりました。友好と言えるほどのものではありませんが、関係を結べたのは大きな進展ですし、そろそろ戻りましょう」


「はい。先行します」


 洋介はそう言うと、詩子より先に洞窟の入口があった方に向かう。

 ……躊躇いなく背中を見せ、詩子を後方に置いた事から、洋介としてもこの場にいる鱗毛人は『安全』だと考えたのだろう。

 自分の護衛がどんな考えを持っているのか。それを知れたのも案外大きな収穫かも知れないと思いつつ、詩子は彼の後ろを付いていくのだった。

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