07

 ざくざくと落ち葉を踏み締める音が、樹海の中に鳴り響く。

 音を鳴らしているのは詩子達。詩子の傍には自衛隊員である洋介がいて、彼女達の周りを二十人の自衛隊員がぐるりと囲っている。

 詩子達と自衛隊員達は全員白い防護服を身に纏っていた。この防護服はレベルCと呼ばれるもの。顔の部分は透明なプラスチックで守られ、個人を識別するのは容易だ。顎付近に濾過式のガスマスクがあり、外気で呼吸を行うため活動時間の制限はほぼないが……今の季節は真夏。ギラギラ輝く太陽と人類が放出した二酸化炭素により、今の気温は涼しい森の中でも三十度以上ある。防護服の下には保冷剤入りのジャケットを着ており、中をひんやりと冷たくしているが、保冷材は何時か溶けて冷たさを失う。

 自衛隊曰く、この防護服を着た状態で野外活動を行えるのは二時間が限度らしい。帰り道の事を考慮すれば、実質一時間が活動可能時間となる。

 その一時間の間に、果たして詩子達は鱗毛人と遭遇出来るだろうか?


「(まぁ、端から期待はしていませんけど)」


 あっけらかんと、可能性の低さを詩子は受け入れる。元より一度の調査で目的を果たせるとは思っていない。青木ヶ原樹海は広く、ほんの一時間で探索し尽くせるようなものではないのだから。

 詩子は端から今回の調査で成果を得られるとは思っていない。それどころかたった一時間で世紀の大発見をするなど、先人の積み重ねてきた努力を嘲笑うようなものだとすら考えている。故に現時点で森の中を三十分以上歩いたのに彼等の姿形すら見えずとも、詩子は特段気にしない。この結果は『当然』なのだから。


「三十五度の方角に影あり!」


 むしろたったの三十分で、何かが現れた事の方が驚きで。

 ……そんな奇跡的な出会いに銃口を向けて『敵襲』扱いするのは、詩子でもちょっと思うところがある。

 ただしちょっとだけだ。それよりも自衛隊員がこのような反応を示す存在に、防護服を着てから僅か数十分で出会えたのは幸先が良い。詩子はすぐに三十五度の方角……自衛隊員達が銃を構えた方に目を向ける。

 そこには確かに、小さな影があった。

 青木ヶ原樹海にはニホンジカやニホンザルなどの野生動物も多く生息している。これら既知の野生動物と、鱗毛人を区別するにはどうすれば良いか?

 一番簡単な方法は、二足歩行かどうかだろう。動物達に出来ないとは言わないが、直立二足歩行はヒト属の得意技だ。生きた鱗毛人がどうやって動いているかは不明だが、足の作りや骨格を見る限りヒトと同じく二本足で歩いていると考えるのが自然である。

 自衛隊が銃を向けた先にいた生物は、遠目で見る限り直立二足歩行をしているようだった。また体表面には何か、鱗のような構造物が見える。

 ほぼ確実に、鱗毛人だ。

 ただし遠目に見ても分かるぐらい、身体が小さいのだが。木や草の大きさと比較するに、推定身長は百センチ。木陰に隠れているつもりのようだが、身体が半分以上出ている。ヒトの幼子と同程度の知能しかない……或いはヒトの幼子と『同程度』の知能があると言うべきか……ようだ。


「……一二三教授。あの個体を『捕獲』しますか」


「駄目ですね〜」


 洋介から問われ、詩子は即答する。

 洋介の言う捕獲とは、つまり射殺する事だ。勿論これは「人間そっくりな猿など駆除だ!」等という過激思想を為すためではない。目的は標本の獲得。既に鱗毛人は自衛隊により一体『捕獲』済みであるが、研究を進めるにはまだまだサンプルが足りない。理想を言えば十か二十ぐらい標本が欲しいところだ。

 だからといってヒト属の生物をいきなり射殺するなど、人道に反する――――等という人道的配慮は詩子の心にはない。ヒトを研究するためであれば、法が許すならのが一二三詩子という人物である。

 では何故洋介の、自衛隊の行動を諌めたのか。それは今後の調査をスムーズに行うためだ。


「(恐らくあれは幼い子供。だとしたら多分、親がいるでしょうね)」


 出会った鱗毛人の小ささから、詩子はそれが若い個体であると推測した。

 鱗毛人の子育てがどのようなスタイルかは分からない。しかし詩子の予想通りヒト属であるなら、それなりに大きくなるまで育てるだろう。七百万年以上前に共通祖先から分岐したと言われているチンパンジーや、一千五百万年前に分岐したと言われているオランウータンでも長期間の子育てはするため、これは『ヒト科』の特徴と考えて良い筈だ。遠目に見える鱗毛人の身長は百センチほどと自衛隊が捕獲した個体に比べてかなり小さく、まだ親の保護があってもおかしくない。

 子供を殺された親は、果たしてどう思うだろうか?

 ……こちらを恨む、と考えるのは些か『人間的価値観』に囚われている。鱗毛人がヒトと同じような感性の持ち主とは限らない。もしも彼等が過酷な環境で暮らしていたなら、子供の死を気にも留めない文化が発達してもおかしくないのだから。しかし、だとしても子の殺傷を好意的には受け止めない筈だ。子供の死を知った親は人間を攻撃対象、或いは恐怖の存在と認識しかねない。こうなると友好関係を結ぶのが極めて難しくなり、彼等の生活を調べる上で大きな障害となってしまう。もっと最悪の可能性を考えるなら、この小さな個体が鱗毛人最後の生き残りかも知れない。

 どう転んでも殺せばヒトをより知るためのヒントが遠ざかる、最悪失われてしまうのだ。正直貴重な鱗毛人を殺すぐらいなら、この場にいる自分以外の人間が死んでもらった方が良いと詩子は考えていた。故に捕獲の許可は出せない。


「(さぁ、どうなりますかね……?)」


 銃を構えたまま動かない自衛隊員達。そんな人間達を見つめる小さな鱗毛人は――――

 くるりと身を翻し、逃げ出した。


「撃ちますか?」


「なりませんよ〜。でも追いはしましょうか〜」


 洋介の確認を再度断り、けれども追跡を指示。自衛隊員達と共に詩子は逃げた鱗毛人を追う。

 無論防護服を着込み、銃などで武装した人間達の歩みは、小さな鱗毛人よりも遥かに遅い。遭遇した鱗毛人の姿はもう何処にも見えない。

 されど追跡は可能だと詩子は考える。小さな子供が危険から逃げる時、追跡される可能性を考えて大きく迂回するだろうか? 賢い子であればそうするかも知れないが、一般的な子供なら真っ直ぐ安全な家に向かう筈だ。

 人間が作り出した町並みのように、直進して帰れないなら自然と追跡者を翻弄するような逃げ方になるだろう。だが森は基本的には開けた空間だ。帰ろうと思えば直線で帰れる。

 十五分ほど真っ直ぐ歩いた詩子達は、やがて小さな洞窟を見付けた。


「……此処が」


「恐らく住処ですねぇ〜」


 木陰に隠れて様子を窺いながら、詩子と洋介は言葉を交わす。

 洞窟と表現したが、正確には地面に空いた『亀裂』と言うべきだろうか。幅は横に凡そ五メートル、縦に一メートルぐらいだ。

 通れなくはないが、少し身を屈めなければならない。しかも地下に続く亀裂の奥は外からだと見通せず、そこがどんな地形か、何がいるかを知るのは困難だった。

 安全に侵入するには、多少なりと訓練を積んだ者が先行して探索すべきだろう。


「じゃ、わたしが先に見てきますね〜」


 それが出来るのは、詩子だった。

 詩子はこれまでに幾度となく洞窟探検をしている。目的は洞窟奥深くにある、古代人類が残したものを調査するため。水没した洞窟、細身の女性でなければ通れない洞窟、地熱の影響で煮え滾る洞窟……あらゆる場所で古代を生きたヒトの痕跡を探し、研究していた。

 自衛隊員達も暗所での訓練は積んでいるが、洞窟探検に必要なのは暗さへの対処法だけではない。洞窟内の地形や生物に対する深い知識が必要だ。それこそ『専門家』と呼べるほどの。一般的な自衛隊員には少々荷が重いだろう。ヒトを知るためにそうした専門家並の知識と技能を身に着けた詩子であれば、この問題はない。

 加えて、自衛隊員を先行させたくないと詩子は考えていた。


「(皆さん、すこーしばかり血の気が多いんですよねぇ。無理もないとは思いますけど〜)」


 鱗毛人との初遭遇時、自衛隊は四名の隊員を失っている。

 鱗毛人側にどのような事情があったかは分からない。自衛隊が知らないうちに鱗毛人の怒りを買う真似をしたのかも知れないし、鱗毛人が戦国時代の武将よろしく武功として生首を求めていた可能性もある。客観的事実として言えるのは、鱗毛人が自衛隊員を殺した事だけ。

 自衛隊員達からすれば、鱗毛人は仲間を殺した存在だ。犯人がヒトであればそれを個人の犯行と割り切る事も出来るだろう。しかし鱗毛人がどのような精神性を持ち合わせた存在なのかは未知数。鱗毛人自体を危険な存在だと判断しても、ヒトの心理としては仕方ない。

 無論自衛隊員は厳しい訓練を受けてきた『軍人』である。鱗毛人を前にしたところで感情的な行動を取るとは詩子も考えていない。しかし洞窟内という逃げ場のない環境でばったり鉢合わせ、鱗毛人が威嚇の大声でも出してきたら……不本意ながらが始まる可能性もある。そうなれば彼等の謎は、そこから明かされるヒトの秘密は、もう二度と解けなくなるかも知れない。

 此処にいる自衛隊員は二十名。全員ちゃんと訓練を受けているだろうが、これだけいれば上位五パーセント級の『間抜け』がいてもおかしくない。

 それを防ぐ一番確実な方法は、武器を持ち込まない事だ。詩子が単身で洞窟に乗り込めば、どう足掻いても虐殺は起こらない。

 ……勿論こんな無茶が通る筈もない。護衛対象を一人洞窟に送り込むなど、任務を放棄しているようなものだ。


「了解。私が護衛に付きます」


 故に護衛として、洋介が共に来る事となった。


「進展がありましたら、すぐに戻りますね〜」


 コンビニにでも行くかのような軽い口調で一言伝えてから、詩子は臆さず洞窟へと向かう。洋介も共に向かい、二人は揃って洞窟内に足を踏み入れた。

 詩子は腰に付けてあるポーチから、懐中電灯を取り出す。ヒト属に連なる種であれば、洞窟などの環境で生活している可能性は考慮済みだ。そのための装備もちゃんと持ってきている。

 懐中電灯で照らした洞窟内は、地下に向けて緩やかに傾いていた。大きな亀裂や、水溜りなどは見られない。非常に『易しい』地形の洞窟だった。尤も、懐中電灯で照らせるのは自分の周りほんの数メートル。それも極めて狭い範囲だけ。奥や周囲がどうなっているかは分からない。

 詩子は地面を照らしながら、慎重な歩みで奥に進んでいく。洋介も銃の先に付けたライトで照らしながら共に洞窟内を進んだ。


「明かりは、あまり前を向けない方が良いですよ〜。うっかり顔を照らしたら、びっくりさせちゃいますから〜」


「……少しでも早く、相手の存在を把握する必要があります。安全のため了承ください」


「驚かせて戦いになるのが嫌だと言ってるんですよ〜。彼等からしたらこちらのライトは、魔法とか炎に見えてるかも知れません。浴びせられたら攻撃されたって思うかも~」


「……了解」


 詩子が理由を説明すると、洋介はあっさりと銃をほんの少し下げる。

 詩子は少しばかり驚きを覚えた。

 洋介は鱗毛人と初遭遇した際、仲間を四人殺されている。鱗毛人に悪印象を持つだろう自衛隊員達の中でも、特に強い敵愾心を抱いている筈だ。

 安全のためという名目で、先制攻撃を仕掛けるのではないか。正直そんな疑念を抱いていた詩子だったが、道理があると分かるや、彼は詩子の意見に従ってくれた。見たところ落ち着きもあり、凶行に及ぶ可能性は低そうに思える。

 今回の調査を行う前、この舞台の小隊長が彼を護衛に推薦してきた時には「気でも違えましたか?」と思ったものだが、やはりプロのアドバイスは聞いておくものだ――――


「……ストップ」


 そうした思考を一旦脇に退かした後、詩子は洋介を止める。

 洋介も気付いただろう。この奥から『物音』が聞こえてくると。銃を握る手の力が増した事を、洋介の方から聞こえてきたギチギチという銃のグリップを握る音が物語る。

 しかし彼が持つ銃の先は未だやや下向き。相手の顔をいきなり照らす位置にはなく、地面を明るくしている。

 緊張感が増していく。適度な緊張は能力を高めるが、あまり緊張し過ぎても良くない。過度の緊張はパニックと攻撃性を呼び起こす。それは混乱と無用なトラブルの元だ。詩子は緊張などという感情とは無縁な人格であるが、洋介の方はそうもいくまい。

 いくら顔の部分が見える作りとはいえ、防護服越しから相手の正確な体調を推し測るのは難しい。聞こえてくる呼吸の音を頼りに、多分大丈夫と判断した詩子はゆっくりと前に進む。洋介は詩子の傍にぴたりと付いてきて、共に洞窟の奥へと向かい――――

 二人はそこでじっとしていると出会うのだった。

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