05

 最初に手を上げたのは、国木田広重防衛大臣だった。進行役に名前を呼ばれ、発言権を得た彼はこう切り出す。


「私個人の意見であるが、この生物に人権を与えるべきではないと考える」


 広重は見た目に合った力強い言葉で、人権を与える事に反対した。

 これに八千代厚生労働大臣が眉を顰めるも、発言はしない。その前に総理大臣である幸三が尋ねたからだ。


「ふむ。何故そう思うか、理由を聞かせてほしい」


「あの生き物達は分類学では人間に近いようだが、しかし自衛隊員を襲い、素早く四名を殺傷したという情報を聞くに、殆ど怪物だ。人間として対等に接する相手とは思えない。それに……」


「それに?」


「私はあの生物の死骸を確認したが、凡そ人間とは思えぬ姿だった。あれを人間と認めるのは反対だ」


 ハッキリとした口調で広重は断じる。そこに迷いは一切感じられない。


「でしたら、私は人権を与える事に賛成を表明します」


 そこに異を唱えたのは、先程眉を顰めていた八千代だった。彼女の言葉もまた力強く、芯の通った言葉で意見を述べる。


「資料によると、かの生物は大脳が極めて大きいとの事です。優れた知能を持っていると思われます。そのような生物を、獣と扱うのは如何なものかと」


「だが人間より小さいと書かれているではないか」


「個人差の範疇とも書かれています。彼がとびきり小さな脳の持ち主だった、という可能性もあり得ます」


「逆もあり得るだろうがな」


 水掛け論に持ち込まれて、不服だったのか。八千代は鋭い眼光で広重を睨む。

 それは、議論のヒートアップを知らせる合図だった。


「そもそも、脳の大きさや見た目で人権の有無を決めるのは差別的です。人間にも脳の小さな方はいますし、外見だって様々でしょう? それを根拠にするのは、人間の差別を認めるのと変わりません。分類学で人の仲間と分かっているなら、人権を与えるべきです」


「分類学を根拠にするなら明白じゃないか。奴等は人間じゃない。よって人権はない、動物と考えるべきだ」


「欧州では動物への権利が認められつつあります。猿たけでなく、犬やエビに対してもです。ここで我々が人に近い彼等を動物扱いなどすれば、国際的な批難は免れません!」


「外国の顔色を窺って、日本の有り様を変えるのが正しいと思っているのか!? 変えるべきところがないとは言わんが、動物と人の線引きを曖昧にするべきではない!」


 交わす言葉はより強く、どちらも顔に感情を露わにしていく。相手の人格を否定するような事を言わない辺りは、流石『人気商売』である政治家と言うべきか。

 二人の議論は白熱している。それを外から聞く詩子に言わせれば――――どちらも実に『感情的』だ。飛び交う言葉にも合理性は感じられない。

 しかしそれはなんら不思議ではない、むしろ必然であると詩子は思う。

 そもそもにして、人権というのは人間が勝手に決めたものだ。人間には人間らしく生きる権利があるというが、例えば火山噴火はそんな事などお構いなしに起こり、幸せな家族の生活を溶岩で焼き尽くす。クマは平気で妊婦の腹を引き裂くし、エボラウイルスは小さな子供を次々と虐殺していく。元々そんな権利は何処にもないのだから、自然は容赦なくヒトを脅かす。

 そして人権の範囲は、これまた人々の感性や価値観と共に変わってきた。

 例えば大航海時代、ヨーロッパ人は多くの黒人を奴隷にした。現代の価値観で見れば極めて重大な犯罪であるが、当時のヨーロッパ人にとって人間とは「白い肌の持ち主」であり、「黒い肌の生物」は人間ではなく猿だった。実際奴隷扱いなど割とマシな方で、ハンティングと称して撃ち殺す、檻に入れて飼育するといった事もしている。

 付け加えると、アフリカ大陸で白人に黒人奴隷を売っていたのは主に黒人と言われている。アフリカでは古来、戦争などで打ち負かした他民族や隣村の住人を奴隷化するのは一般的な行いだった。彼等にとって自分達以外の部族は『敵』であり、その敵を捕虜にして金に変えるのはむしろ正当な報酬である。つまり当時の黒人達にとって、人権とは自分達の部族や村人にだけ認められるものという事。白人はただの商売相手であり、人権侵害に加担しているという意識は微塵もなかっただろう。

 他にも生まれた子供をシロアリに喰わせる、或いは高い崖から落として『間引き』を行う民族もいる。これらは先進医療による堕胎が出来なかったり、またはそもそも避妊の方法が確立されていなかったりした時代の知恵だ。彼等はそうやって人口を調節し、民族を安定的に存続させた。しかし現代人から見れば、子供に対する重大な人権侵害と言えるだろう。

 人権の定義は時代や環境によって大きく異なる。未だ統一された価値観はなく、また統一も不可能だろう。そして人間が勝手に決めたものが人権である以上、そこに正解も間違いもない。大体にして現代の人権の決め方も「人間だから人権はある。異論は認めない」なのだから合理性も何もあったものではない。

 よって人権の範囲を決めるのは、感情でしかないのだ。まともに議論をすれば感情の激突にならざるを得ない。

 しかし理屈を付ければ、求める結論に誘導しやすくなるのは事実。


「一つ、私から提言を」


 此処に呼ばれた弁護士・邦夫の役割はそういう事なのだろうと詩子は思った。

 邦夫は二人の大臣が口を閉じたタイミングで、自分の意見を述べる。


「私としては、彼等の知能は人間と遜色ないと考えています。ですがそれは、彼等が人間とは異なる文化を持っている可能性を示唆します」


「……ええ、確かに」


「不用意に人権を認めた場合、彼等にも日本国民として様々なサービスを受ける権利が生じます。選挙権などもその一つでしょう。そして国民の義務、即ち労働をし、子供に教育を受けさせ、納税しなければなりません。ですがそれは我々人間の文化が、彼等の文化と混ざってしまう事も意味します。世界でただ一つの文化を守るためにも、あえて人間ではなく希少な生物として保護・研究をすべきです」


 邦夫の意見に八千代は口を噤んだ。

 上手い言い分だと詩子は思う。先住民の文化保護というのは、様々な国で問題になっている事だ。先住民の権利に関しては国連でも宣言があり、彼等の文化や生活を保護するというのが(表向きは)国際社会の理念となっている。

 そして現代の『リベラル派』にとって、多様性はある種伝家の宝刀だ。これを名目にされると中々否定し辛いだろう。

 人権を認める事で、ヒトでない存在の文化を変えてしまうのではないか。多様性と権利を尊重するからこそ、この意見に反論するのは難しい。彼等の文化を人間の色に染め上げるなど、それこそ侵略だ。


「いや、だからこそ人権を認めるじゃないか」


 しかし八千代の隣にいた教育評論家・真也が異を唱える。


「今、人間以外の動物を殺しても大きな罪には問われない。精々種の保存法や、動物愛護法違反程度だろう。つまり彼等に人権を認めなければ、彼等を殺した者がいても罪に問えない筈だ。違うか?」


「……ええ、現行法に則るとそうなります。ですが、そのような野蛮な輩が現れると?」


「人間ってのは色んな奴がいるもんだ。昔の西洋人は黒人相手に『狩り』をしている。人型の『猿』なんてそれこそ狩りの対象になるだろうさ。人権を認めなければ、そういう馬鹿な真似をした奴を逮捕すら出来ない」


「そこは法整備を行えば良いのではありませんか? 希少な動物の保護のため、殺害などの行為には厳罰を科すのです」


「なら聞くが、その希少動物保護の法で、彼等を十人殺した輩を死刑に出来るのか?」


「それは――――」


「人権を与えないのが名目上の話で、実質人間と同じ原理を認めるなら、それだけの数を殺害したら間違いなく死刑だよな? 本当に、そう出来るのか?」


 真也からの問いに邦夫は口を噤む。

 ここで「それは流石に」と反論しなかったのは、やはり弁護士と言うべきか。ここでその発言をすれば、自分が新種のヒト属を人間と認めていない、事がバレてしまう。

 もしも八千代が文化保護に理解を示して頷いていたら、新種のヒト属は『動物』に対する法でしか守られなかっただろう。中々に巧妙な作戦だったが、事は上手く運ばず。

 理屈による作戦は失敗し、残るは感情的な部分だけだ。


「人間の法が、人間を優先し、守るのは当然だろう。法は人間社会を維持するための道具なんだからな」


「その人間の範囲を広げようと話しているのです。新たな隣人が現れたのなら、それに合わせて変化させるのは当然でしょう?」


「いいえ、現行法は人間のために使う前提で作られています。私達が今まで出会ってきた存在は全て人間であり、価値観の違いはあれど生物学的な違いはありませんでした。ですが人類以外の生物に人間の法を当て嵌めるのは、彼等に悪影響を及ぼす可能性があります」


「法で守らなきゃ彼等そのものの命が危ないだろ。価値観も大事だが、まずは生命と種の存続を保証してからだ」


 次々と出てくる意見と理屈。一進一退の感情的議論は、中々結論が出そうにない。

 詩子としては何時までも聞いていられるが、話している側としては焦れったく思うに違いない。


「総理。総理の意見も聞かせてほしい」


 今のところ特段自分の意見を出していない総理大臣・幸三に広重が尋ねたのも、議論の主導権を握りたくて出た言葉か。

 幸三は問われてすぐには答えない。沈黙し、目を逸らし、考え込むような素振りを見せる。


「私としては、調査が必要だと思うんだがねぇ」


 それからちらりと詩子の方を見て、そんなぼやきを漏らす。

 幸三の言葉と視線を受け、詩子は一瞬キョトンとしてしまう。

 しかし幸三や広重達からも視線を受けて、詩子は自分の方に話を逸らされたのだと理解した。こうした話の誘導の上手さが政治家としての技量なのか。

 とはいえ総理大臣の言う事も尤もだろう。


「……そうですねぇ〜。確かに、もっと詳しい調査が必要だと私も思いますよ〜」


「しかし、解剖により脳の大きさなども分かったではないか。これ以上、何を調べる?」


「解剖で分かる事なんて、全体のごく一部です。例えば豚は鏡を認識する能力がありますが、これは解剖しても分かりません。実際に観察し、実験しなければ知りようがない訳ですねぇ。勿論凶暴性や文化、技術水準も脳から判別するのは困難でしょう」


「でも、調査とは何をするのですか?」


「勿論生きた個体を直に観察する事ですよ〜。つまり彼等が生活している場所を一刻も早く見付け出さないといけませんね〜」


 おっとりとした口調で自分の意見を述べつつ、詩子は幸三と広重の顔をちらりと見た。

 幸三は表情一つ変えていないが、広重は僅かに眉を顰めたのを詩子は見逃さない。何か『思うところ』があるようだ。

 隠していた、という訳ではないだろう。しかし見透かされたとは感じたかも知れない。


「……生息地については、先日自衛隊が発見した」


 広重が諦めたように語った新情報。それを聞き、詩子と幸三以外は大いに驚いた様子を見せた。


「見付かったのですか!? 何故今までそれを……」


「調査開始前には発表する予定だった。まさか見透かされるとはな」


「え〜? なんの事でしょう? 私は別に何も聞いてませんよ〜」


 鎌は掛けましたけど――――心の中の呟きは誰にも届かない。けらけらと笑う詩子に、少しばかり鋭い視線を向ける広重。とはいえ詩子を問い詰めても意味はない。

 仮に問い詰められても、詩子の心には響かない。


「で? 何処にあったのです? 彼等の住処は」


 彼女が興味を持つのは、何時だって『ヒト』だけ。

 柔和でお淑やかで、けれども『人間味』のない詩子の質問に、広重はやや間を開けてからこう答える。


「……富士の樹海だ。あの樹海の奥地にある洞窟で、小さな群れで暮らしている彼等が発見されている。一二三教授、約束通り研究への参加を認めよう。早速だが調査方法について提言してほしい」


 意外と身近で、誰もが知っている場所に、詩子も少なからず驚きを覚えるのだった。

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