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 詩子が新種の生物を解剖してから、一週間の時が流れた。

 詩子は宣言通り解剖結果のレポートを解剖実施日の翌朝に提出。自衛隊はこれを受け取り、また会議参加と調査研究に関する契約を交わした。それから連絡があるまで、詩子は溢れ出るインスピレーションのままヒトに関する研究テーマを考案。マニアックな(何故ヒトの盲腸は今も残っているのか等)題材ながら、人類史や進化を理解する上で重要なものの研究手法を次々と書き上げた。

 尤もあくまで書き上げたのは研究手法であり、まだ結果は出ていないが。結果を出すにはその研究手法に則り、一万人や二万人のヒトを『サンプル』として解析しなければならないからだ。集めるのも大変であるし、ヒト相手だとプライバシーや法律的な部分も遵守しなければならない。それなりの時間が必要である。

 なのでこうしたテーマは、卒論の進行が思わしくない学生達に渡してしまう。詩子はヒトを理解出来れば良いのであり、自分の手柄など(研究予算が取りやすい教授の立場が脅かされない範囲なら)興味はないのである。詩子はヒトへの理解を深められ、学生達は卒業が出来るようになる、WinWinの関係と言えよう。

 そんなこんなであっという間に五日の時が経った頃、詩子の下に自衛隊から会議参加の要請がついに来た。

 契約通り詩子は会議に参加。議題も聞かされ、議論を交わすための準備もした。

 かくして今日、詩子は『国会議事堂』を訪れた。日本の国会が行われる、この建物の部屋の一つで件の会議を行うために。


「(随分と大事になりましたねー)」


 そして会議室の椅子に座りながら、歌子はぼんやりとそう思う。

 会議室の中にいた人物は、詩子含めて十数リットルの人。数としてはそこまで多くない。しかしそこに並ぶ顔触れは、百人規模の会議にも劣らぬ豪華さだ。

 まず、総理大臣である辰巳たつみ幸三こうぞう

 そう、総理大臣である。この国の内閣の首長であり、知らねば日本人として恥ずかしい人物の一人。七十越えの年齢に見合った痩せ型の体躯と寂しい頭髪は一見頼りなくも見えるが、蛇を彷彿とする眼光からは政治の世界を生き抜いた『狡猾さ』が窺えた。

 幸三の周りには官僚らしき中年の男が二人いて、紙の資料を手に何やら話している。詩子と幸三の距離は離れているため、その話に聞き耳を立てる事は出来ないが……彼等の真剣な面持ちを見るに、くだらぬ話をしている訳ではないだろう。

 そんな幸三の隣には、他にも大物が二人いる。

 一人は国木田くにきだ広重ひろしげ国防大臣。体重八十キロはありそうな恰幅の良さと、それを『デブ』と思わせないガッチリとした身体付きをしている男だ。とても御年六十になる高齢者とは思えない。角張った顔立ちは例えるなら「昭和の頑固親父」であり、実際気難しい人物と言われている。しかし実直な性格を好む者も多く、敵対者があれこれ探しても荒が見付からないぐらい身辺は清廉らしい。

 もう一人は数原かずはら八千代やちよ厚生労働大臣。齢四十代ながらも様々な経歴を積み上げ、若くして閣僚の一員となった女性だ。短く切り揃えた髪や、凛々しい顔立ちは如何にも仕事の出来る女性。その姿に惹かれる女性支持者は多く、辰巳内閣の高い支持率に少なからず寄与していると言われている。

 彼等の周りにも取り巻きがいて、説明を受けていた。資料を熱心に読み、頷き、官僚と意見を交わす。それ自体はとても良い事だと詩子は思う。政治家が真面目に仕事しているのだから、税金を払う一国民としてはその方が好ましい。

 しかし。


「(わたし、場違い感凄いですね~。これ、新種の生物に関する会議なのに)」


 今日の会議は先日発見された新種生物に関するもの。政策議論や経済討論、外交問題などではない。

 勿論新種の生き物に政治家が興味を持つのは、とても良い事だ。それは環境保護に結び付き、ヒトの生活保全にも役立つ。しかし実際の政治家は、どちらかと言えば保護より開発を好む。開発は仕事や安全を生み、国民からの支持を増やすからだ。長期的に見れば自然破壊はヒトに大損害を与えるが、短期的に支持を増やさねば政治家は落選して仕事を失う。そして多くの人間は口であれこれ言っても、結局は子孫の安寧よりも今の生活を優先するものだ。政治家が開発による自然破壊・生物多様性の喪失という短絡的政策を選ぶのは、人類の精神構造上仕方ないと言えよう。

 つまるところ未確認生物の会議に出席するより、政治パーティーでも開いた方が彼等にとっては得な筈なのだ。一応自衛隊員の死者が出たのだから、国防大臣が出席するのは分からなくもない。しかし総理大臣や厚生労働大臣が出てくるとはどういう事か?


「(しかもわたしが出席するよりも前に会議室にいて、資料の読み合わせをするとか……熱心ですこと。大臣って忙しい仕事ですし、あまり時間的余裕はないでしょうに)」


 謎は他にもある。

 二人の大臣の傍には大物が座っている。防衛大臣・広重の隣には弁護士である立花たちばな邦夫くにお、厚生労働大臣・八千代の隣にいるのはボランティア活動家(及び執筆家。収入的にはこちらが本業の筈)として有名な八ヶ岳やつがたけ真也しんやだ。

 どちらも四十代の男性で、比較的顔立ちの整った所謂『美男子』。またニュースやバラエティ番組などテレビでよく見る顔触れだ。そして両者共にヒトどころか生物学に特別詳しいとは思えない。むしろテレビの発言を思い返す限り、生物を『思想』で見ているタイプだと詩子としては感じている。尤も、生物に詳しくない者は大概そのようなものだが。

 いずれにせよ、生物学的な討論が出来る相手とは思えない。どうして彼等のような人物が、この会議に出席しているのか?

 ……これらの疑問は、事前に聞かされた『議題』を知っていれば簡単に答えを出せる。

 おもむろに、詩子は目の前に置かれている紙の資料を手に取った。恐らくは、自分が提出したレポートを元に書かれた資料。丁寧に書いたつもりであるが、専門的用語も多いため、意図せぬ解釈をされているかも知れない。

 軽くではあるが予め確認し、会議中に齟齬が出ないようにしておこう。そんなつもりで読もうとした資料の表紙、そこに書かれた文字に詩子は目を向ける。

 『新種ヒト属の人権について』――――という議題を。


「……思いの外、良い議論が出来そうですね」


 にこりと微笑みを浮かべて、詩子は資料を読む。


「時間になりました。これより『新種ヒト属の人権について』の会議を始めます」


 三十分ほど経って行われた、官僚の宣言までには手許の資料を一通り読む事が出来た。資料の方は修正を頼む必要もなさそうなので、詩子は官僚の話に意識を集中させる。


「二〇三五年八月四日にて、演習中の自衛隊が正体不明の生物と遭遇。四名が殺害された後、自衛隊員により射殺されました。翌五日に、一二三詩子教授による解剖が行われています」


 まずは事の概要について話される。詩子としてはここに異論はない。


「そして解剖結果から、正体不明の生物が人間と同じグループ……脊椎動物門哺乳綱霊長目ヒト科ヒト属に位置すると推定されました」


 勿論、この結論についても。

 詩子自身が導き出した結果なのだから、文句などあろう筈もない。


「今回の会議では、この新種のヒト属生物を『人間』として認め、人権を与えるかについて議論を交わしていただきます。この会議は非公式であり、議事録等は残りません。政府方針を決定するものではなく、選択肢を増やすため、忌憚のない意見をお願いします」


 進行役の官僚はそう言って言葉を締め括る。

 人権。

 ヒトが『人』らしく生きる権利であり、昨今では極めて重要な事柄だ。ヒトであれば誰にでも与えられるものであり、尚且つ公共性に反する(犯罪者など)場合は制限もあり得る。個々人の価値観や国家によっては「オタクに人権はない」「女に人権はない」「子供に人権はない」「イスラム教徒に人権はない」……と様々な例外条項が出てくるだろう。

 と、細かく言えば中々に難しい概念であるのだが……基本理念は簡単だ。。人権がない対象はあくまで例外的・独善的なものであり、基本的には人権を得るために特別な努力をする必要はない。

 そう、人間であれば。

 これまで人間は『一種』だけだった。フローレス原人やネアンデルタールが絶滅して以来、人間はたった一種でこの世界を生きている。だから人間とは自分達の事で良かったし、ヨーロッパの何処かの国がオランウータンに人権を認めたところで「うちじゃ無効だから」と言えた。

 しかし此度発見された生物はヒト属。ヒトに極めて近しい、ヒトでない生物である。

 果たしてその生物に『人権』は存在するのか?


「(政治家さんとしては頭の痛い話ですねー)」


 人権は今、世界にとって極めて重要な要素だ。人権を抑圧する国家は『人類の敵』として制裁対象となり、国民はそれを容易に支持する。

 これを上手く利用すれば、気に入らない国家を合法的かつ世界の全面バックアップを受けながら『攻撃』出来る。人権は今や最強の戦略ツールだ。

 しかし取り扱いを間違えると、今度は自分が人権に攻撃される。おまけに何処に『発火点』があるのかは、常識という「十八歳までに集めた偏見のコレクション(発言:アインシュタイン)」による。個人によって許せないラインが違い、それでいて自分の常識と他人の常識がどう違うかなど分かりようがない。かといって過剰に人権を与えれば、経済的問題や表沙汰になっていない人権問題などで不平等な立場にいる人間の怒りを買ってしまう。

 人間じゃないヒト。その人権の在り方を悩むのは当然であり、悩まなければそれはそれで人権意識の希薄なと言わざるを得ないのだ。


「(……悩みの元凶であるわたしが言うのも難でしょうが)」


 詩子が彼等をチンパンジーなどの仲間にしていれば、政治家達は「へー。日本にもチンパンジーっていたんだ」で終わっただろう。ヒト属だからここまで物々しくなってしまった。

 しかしだからといって、詩子は今から意見を翻そうなんて思わない。彼等をヒト属に含めたのには、ちゃんと理由がある。

 一つは脳の肥大が著しかった点。脳容量は一千四百立法センチとヒトよりやや小型である(とはいえ個体差程度の差だが)が、ゴリラやチンパンジーと比べれば遥かに大きい。また情緒を司る大脳が発達していたため、高度な感性を持ち合わせていると推測出来た。

 もう一つは足の親指が他の指と並行な点だ。チンパンジーの足の親指は、他の指と平行になっておらず、一見すると手のようにも見える。チンパンジーの足の構造は物を掴む事が得意であり、木登りに向いたもの。生息地である森林地帯に適応した形態だ。対してヒトの足は物を掴むのは不得手だが、代わりに体重を支えるのに向いている。直立二足歩行に適した構造であり、開けたサバンナ環境に適した形態と言えよう。これは化石人類が『人類』であるか確認する時にも重視される特徴である。

 どちらの要素から見ても、彼等をヒト属に含めるのは学術的に自然である。

 とはいえ科学は何時だって政治に利用されてきた。ダーウィンの進化論が黒人を奴隷化する名目に使われた時のように。新種の生物も人権という『政治』に使われるぐらいなら、ヒト属以外の地位を与えるべきだ……そう考える科学者もいるだろう。やろうと思えば出来なくもない。所詮分類学というのは、人間が生物を理解するための学問。進化により日々変化する生物を、きっちり分けようという進化論以前の考え方なのだ。ヒトをわざわざ『ヒト属』という括りにして特別扱いしたように。


「(面白いですねぇ。うふふふふ)」


 しかし詩子はそうしない。彼女は『ヒト』が行う政治も好きなのだ。ヒトに関わる全てが好きな彼女にとって、『ヒト』でない生物の命運など正直どうでも良い。

 そんな事よりも、会議を通じて『ヒト』とは何かをより知りたい。ヒトが語る人権とはなんであるかを理解したい。

 此処にいる彼等は、それを理解する上でなら極めて適切な人選だ。


「それでは意見のある方から、挙手をお願いします」


 だから進行役の官僚がそう宣言し、一人の参加者が手を上げるまで、詩子は口を閉ざすのだった。

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