02

「おー。自衛隊の基地内とは、このようになっているのですねー」


 なんとも間の抜けた、それでいて大人びた声を発する女がいた。

 身長百六十四センチ。やや長身気味の身体は、それ以上に目を引く胸の膨らみにより然程印象には残らないだろう。腰回りや尻も大きく、所謂安産型と呼ばれる体型だ。極々普通のスーツを着ているが、コスプレをしているように見えてしまうほど性的に魅惑的な容姿をしている。

 顔立ちは大人の女性であり、尚且つおっとりとした雰囲気が感じられるもの。垂れ目や柔らかな唇など、極めて女性的な出で立ちだ。長く伸ばした黒髪も、彼女の女らしさを引き立てる。三十代でありながら肌は艶があり、蠱惑的だ。

 此処が自衛隊の基地内にある建物でなければ、誰もが彼女に視線を向けて見惚れるところだろう。


「……一二三教授。あまり観察するような真似はしないでください。国防に関わりますので」


「はぁい。建物内の出来事や様子は口外しない。ちゃんと契約書にも書いてありましたものね〜」


 自分の前を歩く若い女性自衛隊員に窘められ、しかし彼女は緊張感のないのほほんとした言葉遣いで返事をした。

 一二三ひふみ詩子うたこ。それが彼女の名である。

 詩子という名は読み替えで『しこ』、つまり四と五を意味している。一つずつ積み重ねて高みに至ってほしいという願いが込められている、と両親から聞かされた名だ。

 尤もそんな変わった由来の名前より、人目を引くのは容姿。その嫋やかで魅力的な容姿は、男性からは下心丸見えの心理で、女性からは嘱望やら嫉妬やら複雑な感情で、覚えてもらいやすい。これといって自己主張はしない性格なのだが、兎に角『印象に残る』タイプの人間だった。

 尤も、人類学者という立場もあって、あまり人前に出てくるような身分でもないのだが。


「うふふ。それにしても、自衛隊にご招待を頂ける時が来るとは思ってもいませんでした~。なんでも、人類学者に調べてほしいものがあるとかなんとか」


「……ええ。一二三教授は、普段は生物としての人類を研究していると聞いています」


「はい〜。古代人や原住民、現代人も含めた『ヒト』が専門ですね〜。あ、勿論、絶滅した人類種もそれなりには詳しいですよ〜」


 人類学と一言で言っても、その研究内容は多岐に渡る。何しろ『自分自身』について調べる学問なのだ。いくらでも分野は細分化出来、そして真理を追求出来る。

 詩子が専門としているのは『ヒト』の進化及び生態に関する研究だ。例えば教授に昇進する決め手となった論文の一つは「日本人の祖先における大陸系遺伝子の遷移」。様々な人々の遺伝子から、日本人の血統が何処にあるのかをより正確に突き止めた。

 他にも人類の言語能力獲得に関するものや、長身化に伴う生物的影響など、様々な論文を出している。尤もそうした『特殊』な研究よりも、一般に知られているネタの方が話題として振られやすいものだが。


「絶滅した人類、ですか。確か、ネアンデルタール人ですよね?」


「それも絶滅した種の一つですねぇ。他にも様々な種がいましたが、いずれも絶滅。現代まで生き延びたのは、わたし達ヒトだけですね〜」


 ヒトは唯一無二の存在ではない。ネアンデルタール人を筆頭に、ホモ・フローレシエンシスやホモ・エレクトスなど、古代にはヒトと極めて近縁な『生物種』が豊富にいた。

 しかしいずれも絶滅し、今生き延びているヒト属はヒトだけ。絶滅の要因は様々であるが、基本的には環境に適応出来なかった結果だと言われている。例えばネアンデルタール人はヒトよりも身体や脳が大きかったが、その分多くの食料を必要とし、また言葉も上手く扱えなかった(家族による群れは作れても、他人と共同生活をする『村』を作るほどの社会性がない)と考えられている。このため氷河期を生き残る事が出来ず絶滅した、というのが現在有力な説だ。

 二〇三五年現在では百億近い個体数人口を誇り、少しとさえ言われるヒトであるが……生物学的な多様性で見れば、ヒト属は絶滅寸前の希少種と言えるだろう。


「生物学的に考えれば、現状は好ましい状態ではないんですよねぇ。多様性が少ないと伝染病とかで絶滅するかもですし」


「百億人もいれば、病気に耐性を持っている人もいそうですが……」


「いやぁ。ヒトって数ばかり多くて、遺伝的多様性はあまりないんですよ〜。一説によると個体数が十万頭にもならないチンパンジー以下。だから本当に致命的な病気が出たら、結構冗談抜きに不味いですね〜」


「成程。人間だけが地球を支配している状況というのは、そういうリスクを抱えているのですね」


「ですね~。あ、それと人類についてより詳しく知るためにも、やはり他のヒト種がいた方が良いですね。自分がどんな存在かを知る一番簡単な方法が他者との比較ですから~」


 つらつらと語りながら、詩子はちらりと女性自衛隊員の方を見る。

 表情が硬い。

 それ自体は不思議ではない。彼女は自衛隊員で、今は詩子を案内するという『任務中』である。詩子が話を振ったから会話したのであり、本来なら私語は厳禁だろう。

 しかし――――


「……こちらの部屋に、依頼した『調査対象』が安置されています。念のため、防護服を着用してください」


 考え込んでいると、女性自衛隊員がとある部屋の扉を開けた。

 扉を開けただけで、ひんやりとした空気が足下を撫でた。夏真っ盛りの時期とはいえ、あまりにも冷たい。効き過ぎたエアコンではなく、冷蔵庫を開けたような寒さである。

 女性自衛隊員に続き部屋へと足を踏み入れれば、足の感覚は事実だと分かった。狭い室内にはロッカーが幾つも並び、女性自衛隊員はその中の一つから真っ白な防護服(頭から足先まで包み込むもの)を取り出す。そして詩子に手渡してきた。

 詩子が防護服……初めてのものなので少し手こずった……を着ると、女性自衛隊員は部屋の奥にある扉を開けた。先にはまたも長い廊下があり、女性自衛隊員は詩子の前を歩いて先導する。


「一二三教授としては、もし他の人類種が今も生き延びていたら会いたいですか?」


 道中、女性自衛隊員はそんな話を振ってきた。

 詩子は僅かな沈黙を挟んだ後、正直に答える。


「それは勿論。いると聞けばもう自腹切ってでも、紛争地帯でも放射能汚染地帯でも行きますよ。ですが、まぁ、いないでしょうね」


「……根拠は?」


「生存競争があります。食性や生活空間が重なる二種は、同じ場所で暮らしていけません。そして今やヒトは世界中に分布しています。現代文明の支配域というだけでなく、少数民族や原住民も含めれば、それこそ世界の全てでしょう。ヒト以外のヒト属が棲める領域なんて、ヒトのいない孤島ぐらいですよ。ですがそんな小さな島では、生物としては大型であるヒト属を養えるとは思えません」


 生存競争とは、簡単に言えば椅子取りゲームだ。生活空間や食糧という椅子が存在し、生物達はこの椅子を取り合っている。

 椅子は様々な種類が存在しており、大まかなものだと『大型肉食獣』や『土壌微生物』などが挙げられる。このような生物的な立ち位置をニッチと呼ぶ。ニッチというのは極めて多様なもので、珍しい例を挙げれば「脱皮したばかりのザリガニを食べるヘビ」だとか「山火事で炭化した木に産卵する甲虫」だとか「ナマケモノがした糞を餌にする蛾の幼虫」だとか……もうなんでもありだ。

 しかしこれは競争を避け、独自の『椅子』を獲得した結果と言える。つまり同じ椅子に、異なる種族は共存出来ないという事の裏返し。

 理屈は簡単だ。二つのチームで椅子取りゲームをして、椅子に座れたチームは仲間を増やす、座れなかったチームは仲間を減らすというルールで行う事を想像すれば良い。椅子の総数資源の総量が一定であるなら、一方のチームの座れた数が増えれば、もう一方のチームの数が減るのは当然の帰結である。そしてより多くの椅子に座れたチーム(足が早いなど、より環境に適応した)は仲間をどんどん増やし、椅子に座れなかったチームは仲間をどんどん減らす。最後は負けたチームの人数がゼロとなり、『絶滅』となる。自然界における生存競争、その結果としての絶滅の流れがこれだ。

 ヒト以外の人類についても、同じ事が言える。同じヒト属に位置する生物なら、食べ物や生活空間は重なるものが多いだろう。当然ヒトと食べ物や住処の奪い合いになる。この奪い合いというのは単純な争いではなく、飢えて死ぬ個体が現れる、程度の意味だ。飢え死にする個体がより少ない方は結果的に数を増やし、更に食べ物を確保し……負けた方はいずれ絶滅してしまう。

 虫のように身体が小さければ、ナマケモノの糞でも種を維持出来るだけの食糧を得られ、一つの地で何種もの仲間が暮らしていけるだろう。しかしヒト属は生物として見れば大型の動物だ。あまり小さなニッチ椅子に座る事は出来ない。ヒトがいる場所に、ヒト以外の人類が生きていく余裕はない。

 大航海時代のように世界の殆どが謎だった頃なら、夢を抱く事も出来ただろう。しかし今や世界中の空を人工衛星が飛び交い、地上に未開の地はなくなった。熱帯雨林の中にも原住民が暮らし、極地にもアザラシを狩る部族がいる以上、この星にヒト以外のヒト属の住処はない。

 そう、。ほんのついさっきまでは。


「そういう質問をするという事は、つまり?」


「……事の発端は、二日前。とある場所で演習中の部隊が未知の生物に襲われました」


 詩子の質問を無視するような形で、女性自衛隊員は話を始める。

 詩子はその話を聞く。これが『答え』なのだと、直感的に理解していた。


「演習中の奇襲攻撃という事もあり、四名が死亡。残る一人の手により未知の生物は射殺されました。世間には演習中の事故として発表していますが」


「あらあら、亡くなった方々はご愁傷様ですね〜」


「……兎も角、翌朝自衛隊は生物の死骸を確保したのですが……似ていたのです。その生物は人間に」


「ほほう。それはなんとも興味深いですね」


「ですが同時に、どう見ても相手は人間そのものではありません。人間に似た、人間ではないものが元凶だったのです」


 生物の存在を把握した上層部は動揺した。

 もしもその生物が、見た目はどうあれ人間であるなら、相手は『殺人犯』であり、現行法に則って対処しなければならない。罪に問えるかどうか、射殺した自衛隊員の行動は適切だったかの追求が必要である。

 しかし人間でないのなら、新種の生物かも知れない。殺人云々はなくなったが、それは瞬く間に自衛隊員を殺害出来る脅威の出現を意味する。或いは生態系で重要な地位を担う生物かも知れない。必要ならば駆除、または保護が必要になるだろう。

 人間か否か。その違いが今後の方針を大きく左右する。当たり前と言えば、当たり前の話なのだが。

 そしてその事情が、詩子がずっと抱いていた疑問を解く鍵となった。


「……わたし、一つ疑問があったんですよねぇ〜。なんで、わたしが自衛隊の基地に招かれたのかなぁと」


「……教授は優秀な方だと聞いています」


「そうですねぇ。客観的に見ればそうかもですねぇ〜。でもわたしより情熱的で若い研究者もゼロではありませんし、積み上げた実績で言えばわたしより上の方なんてゴロゴロいる訳で〜」


 詩子自身、自分の研究成果は一人類学者として誇れるものだとは思う。才能にも幸いにして恵まれ、熱意についてはそんじょそこらの研究者には負けないと自負している。

 しかし所詮は齢三十ちょっとの小娘。五十六十どころか、死ぬまで現役でいようとする老科学者達が積み上げた功績は遥か高みに位置する。知識にしたって、そうした熟練の専門家相手に太刀打ち出来るものではない。

 自衛隊は国防に関わる組織だ。テレビのように客受けを考えるなら兎も角、客観的に優秀な人材を探せば、詩子に調査を依頼するなどあり得ない。


「でも、今の話でなんとなーく察しが付きました〜」


「……………」


「わたし、見た目がこれですからテレビだと美し過ぎる人類学者とか言われてますけどぉ〜……昔、同級生からはこうも言われていまして」


 詩子は話を一度区切り、ちらりと女性自衛官を見遣る。彼女は平静を装っているが、少しばかり緊張している様子だ。

 その様子なら『前評判』は聞いているのだろう。だから、という訳ではないが、詩子は遠慮なく中断していた言葉を発する。


って」


 なんの感情もない、『素』の声で。

 詩子が人類学者を志したのは、高校生の時。

 人類学という仕事を知るまでの彼女は、何もなかった。友人どころか親にも興味がない。面倒追試が嫌いだからと勉強だけして、休日はぼんやりと部屋に閉じこもる。誰とも関わらずに生き、無為に時間を浪費する毎日。それを嫌とも、勿体ないとも思わない。抱く感情が『無』なのだから。

 けれどもある日祖母から勧められた一冊の本で、ヒトという生物の魅力に気付いた。

 以来、詩子はヒトが好きになった。何故ヒトは怒るのか、何故ヒトは喜ぶのか。政治とはなんなのか、感情とはなんなのか。どうしてヒトは調理を行うのか、食への貪欲さは何故なのか。世界中で宗教が芽生えたのは何故か、どうして戦争と紛争は続くのか、価値観の遷移はどうして起きるのか――――全てが興味深く、面白い。

 ただしそれは生物としてのヒト、文化としてのヒトである。『人間』そのものには相変わらず興味がない。詩子が自分を『愛らしい女性』に飾るのも、周りの人間が見せる変化や反応が興味深いからに過ぎない。男性からの下劣な色欲も、女性からのどす黒い嫉妬も、全て観察対象に過ぎず、それを向けられる事に思う事など何もない。

 詩子は、『ヒト』以外心底どうでも良いのだ。


「存じております。だからこそ、あなたに白羽の矢が立った」


「わたしなら、客観的な判断が出来ると?」


「はい。ヒトにしか興味がないあなたなら、それがなんであるかを正しく見極められると」


「あまりおだてられると照れてしまいますねぇ〜」


 まぁ、照れた事など一度もないのですが――――胸のうちに抱く、無味乾燥な言葉。自分がどう評価されようと、詩子にとってはなんの価値もない話だ。

 しかし、その結果として人間かどうか分からない生物と出会えるのだから、そこについては感謝しなくもない。


「この部屋に件の生物はいます。保存のため室温は低くしてありますので、無理はなさらないでください」


 長い廊下を渡り、辿り着いたドアの前で女性自衛隊員は最後の注意を行う。詩子がこくりと頷けば、女性自衛隊員は扉を開けた。

 扉から漏れ出す空気。防護服越しでもひんやりとする風を受けながら、詩子は前へと進み、室内に足を踏み入れる。

 そして彼女は、大きく目を見開く。

 その見開いた目で、診察台の上に横たわるヒトのような、ヒトではない生物を凝視するのだった。

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