エピソード 4ー1

 私の戸籍を改竄したという噂が、学園でまことしやかに囁かれている。それを知った私は屋敷に帰ってすぐ、制服を着替える暇も惜しんでシャノンを呼び出した。

 すぐに、服を着替え終えたシャノンが姿を現す。


「澪お嬢様、なにかございましたか?」

「私を試すのはやめて。噂の件は把握しているのでしょう?」

「ご明察です。それで、なにをご所望ですか?」

「まずは紫月お姉様に報告するわ。話があると伝えてちょうだい」

「紫月お嬢様は視察に出掛けておりますので、帰り次第でよろしいですか?」

「……いえ、それなら私がメールをしておくわ」


 言うが早いか、私は紫月お姉様にメールを送る。本文には状況の報告と、それについての判断を仰ぎたい旨を記した。


「返事を待っている間にシャワーを浴びて着替えてくるわ」

「では着替えを用意いたします」


 私の言葉に、屋敷のメイドが準備を始める。それを横目に私はシャワーに向かった。脱衣所で制服と下着を脱いで大きなお風呂場でシャワーを浴びる。

 頭から温めのお湯を浴びて、私はこれからのことに思いを巡らせた。


 戸籍の改竄は犯罪だ。財閥の力で隠しおおせれば――つまりはバレなければ犯罪じゃないけれど、バレてしまえば財閥が実行しても犯罪であることに変わりはない。

 このことがあきらかになれば、桜坂財閥への攻撃材料にもなりかねない。


 とはいえ……と、私はシャンプーで髪を洗いながら考えを纏める。

 すでに琉煌さんにも気取られている。彼はバラさなかったけど、今回と同じような状況に陥る危険はあった。それでも、紫月お姉様はこれと言った対策を立てなかった。

 つまり、今回のような状況は想定しているはずだ。


 だから大丈夫なはずなんだけど、どうして大丈夫なのかが分からない。

 噂の主を特定して、実家に圧力を掛ける、とか?

 ……違うよね。そんなことをしたら、噂の内容が事実だと気取られる。それ以前、既に証拠を押さえられていた場合、脅した事実が新たな弱味となりかねない。

 どれだけ考えても、この状況をひっくり返す方法が見つからない。本当に、紫月お姉様は対策を考えているのかな? もし考えていなかったらどうなっちゃうんだろう?

 そんな不安を洗い流そうと、私はシャワーを浴び続けた。



 しばらくしてシャワーから上がると、スマフォにメール着信の通知が届いていた。私は片手に持ったバスタオルで髪を拭きながら、もう片方の手でメールを開いて目を通す。


「……さすが、紫月お姉様」


 心配は要らないから、のんびり待ってなさい――だって。紫月お姉様がそういうのなら間違いなく大丈夫だ。胸に渦巻いていた不安がすぅっと消えていく。安堵した私はスマフォを着替えの横に置こうとして、もう一件通知があることに気が付いた。


 もう一通の通知は、ライブチャットをしたいという雫からの連絡だった。髪を乾かして私服に着替えた私は、部屋に戻って雫とおそろいのノートパソコンを立ち上げた。

 アプリで雫にメッセージを送り、いまならライブチャットできると連絡する。ほどなく、雫から通話要求が届いた。了承を押すと、液晶画面に雫の姿が映り込んだ。


「あ、ほんとに雫が見える。やっほー雫、こっちの姿は見えてる?」

「うん、お姉ちゃんが見えるよ。でも……いまどこ?」

「いま、自室だよ。部屋の内装はちょっと模様替えをしたんだぁ」


 用意していた言い訳をよどみなく告げる。

 ここは実家の数倍は広いから、偽装しないと絶対に怪しまれる。これに関してはもちろん対策済みで、部屋の広さを誤魔化せるような位置でライブチャットをしている。

 雫は少しだけ小首をかしげ、そっかぁと頷いた。


「それで、なにか用事?」

「うん、実は、その、お姉ちゃんに面と向かって言いにくいことがあって。でもライブチャットなら伝えられるかなって、そう思ったから……」

「……うん、なに?」


 内心ではびくりと震え、それでもなんでもない風を装って雫の言葉を待った。画面の向こうにいる雫は視線を彷徨わせ、それから意を決したようにこちらに視線を向けた。


「澪お姉ちゃんは、私のためにたくさん、たくさん無理をしてくれてるんだよね。でも、もう十分。もうこれ以上、私のために無理をしなくていいんだよ」

「なにを……なにを言ってるのよ。私は無理なんてしてないよ」

「これ、お姉ちゃんだよね?」


 唐突に、雫がカメラの前にファッション誌を掲げた。それはいつも雫が読んでいるファッション誌。そして今月号の表紙を飾るのは――私だった。


「それは、紫月お――嬢様の関係で誘ってもらって、ちょうどやってみたかったから」

「嘘つき。澪お姉ちゃん、人前に出るの苦手でしょ?」

「それは昔の話だよ」


 中学生に成り立てだった頃はたしかに人と話すのが苦手だった。でも、雫のためにカフェでバイトをするようになって、そんな苦手意識はとっくの昔に克服した。

 だけど、それを聞いた雫は泣きそうな顔をする。


「そっか……カフェのときから無理をしてたんだね」

「違うっ、私は無理なんてしてないよ!」

「優しいね、澪お姉ちゃんは。大好きだよ。でも……もう聞いているんでしょ? 私が、あと三年くらいしか、生きられないって」

「雫、それは……」

「だから、もう十分だよ。これ以上、私のために無理をしないで」

「しず、く……」


 馬鹿だ。私は馬鹿だ!

 三年後には雫の病を治す治療法が確立されるけど、私が失敗したらその希望は消えてしまう。だからぬか喜びさせるのが怖くて、私はその可能性を雫に伝えないでいた。


 だけど、いまの雫には絶望しかない。あと三年しか生きられないのに、生きているだけで家族に負担を掛け続けている。そんな風に苦しんでいたのだろう。

 いまの雫には希望が必要だ。だから覚悟を決めろ。ぬか喜びなんて絶対させない。私は必ず雫を救うんだ!


「よく聞いて、雫。希望は……あるから」

「なにを、言っているの?」

「詳しいことはまだ話せない。でも、海外ではいま、雫が患っている難病に対する治験がおこなわれている。それが三年以内に認可される予定なの」


 私が口にした希望に、けれど雫は悲しげに微笑んだ。


「それは、知ってるよ。でも、日本でその治療を受けられるのは……」

「うん、もう少し先なんだよね。でも、紫月お嬢様が約束してくれたの。私がある取り引きに応じれば、治療法が認可され次第、雫にその治療を受けさせてくれるって」


 そう続けると、雫は目を見張った。

 そして希望と不安をないまぜにした顔でぽつりと呟く。


「嘘……」

「嘘じゃないよ」


 信じたい。でも信じられない。

 そんな顔で視線を彷徨わせ、それから雫はボロボロと泣き始めた。


「し、雫?」

「だから、なの? 澪お姉ちゃんの様子がおかしいのは、やっぱり私のせい?」


 自分が助かるかもしれないと知って、最初にするのが私の心配なんだね。本当に、雫は優しい女の子だ。だからこそ、私は雫を助けたくなる。


「ちょっとだけ違うよ。雫のせいじゃなくて、雫のためだよ。私は雫を助けるためにがんばってる。それが私の望み。だって私は、雫のことが大好きだから」


 戸籍の改竄によって、いまの私と雫に戸籍上の繋がりはない。だけど、それでも、私が雫のお姉ちゃんで、妹を大好きなことに変わりはない。


「私は貴女を助けたい。だから、これは私がやりたいこと。私は、雫のために無理なんてしていない。私は、私がしたいことを為すためにがんばってるんだよ」

「お姉ちゃん、でも、でもぉ……」


 画面の向こうで、雫が涙を流し始めた。モニターの向こうにいる雫は手の甲で涙を拭うけれど、涙は止め処なくあふれてくる。その姿がとても愛おしい。いますぐ抱きしめてあげたいのに、画面の向こうには手が届かない。私はノートパソコンをぎゅっと握り締めた。


「雫、治験が終わったら、私が絶対に治療を受けさせてあげる。だからあと三年、三年だけがんばって生きて!」

「……いいの? 私、生きようと足掻いてもいいの? いままで、お父さんやお母さん、それに澪お姉ちゃんにたくさん迷惑を掛けてきたのに、これ以上迷惑を掛けてもいいの?」

「……ばか。迷惑だなんて、誰も思ってないよ。それに、雫は絶対によくなる。だから、貸しは元気になったら返してもらうわ。……覚悟しておきなさい?」

「うん、うん……っ。私、私……っ!」


 顔をくしゃくしゃにして口元を手で覆う。くぐもった嗚咽の声が聞こえた直後、マイクからプツリと音が鳴って音声が途切れた。

 続けてカメラの視界に雫の手のひらが映り込み、モニターが真っ暗になる。


「……雫、大丈夫だよ。私が付いてるからね」


 画面が真っ暗になったノートパソコンをそっと撫でる。どれほどそうしていただろう? しばらくして、目を赤く腫らし、照れくさそうな雫の姿がモニターに映った。


「……澪お姉ちゃん。ほんとに、ほんとに迷惑じゃない? 私……ぐすっ。諦めなくて、いいの? まだ生きたいって、そう思っても……いいの?」

「当たり前じゃない。私が必ず、雫をハッピーエンドに導いてあげる!」


 私がそう微笑むと、雫は不器用に笑った。


「ありがとう。私、お姉ちゃんの妹でよかった。私、もう少しだけがんばるね」

「ええ、一緒にがんばりましょう。ハッピーエンドを目指して」

 

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