エピソード 3ー14
付いてこようとするシャノンに、視線でここにいなさいと命じて体育館を後にする。歯を食いしばって渡り廊下を歩き、中庭にあるベンチにまで足を運んだ。
「~~~っ」
私はみっともなくベンチに座り込んだ。もつれる手を動かして体育用のシューズを脱ぐと、靴下が血塗れになっていた。
靴下を脱いでたしかめるまでもない、足のマメが潰れている。
「もう少し、日頃から鍛えておくべきだったなぁ……」
素の私が弱音を吐いた。この三日間、ヒップホップの練習をしたことでマメが出来て、今日の授業でそれが潰れた。
痛い。凄く痛い。
でも本当に痛いのは、乃々歌を傷付けたことだ。
私を慕って、がんばっている子にあんなこと……最低だよね。悪役令嬢の仮面は剥がれ落ち、熱いモノが胸から込み上げ、涙になって零れそうになる。
その瞬間、パタパタと駈ける足音を聞いた。
私はとっさに目元の涙を指で払い、それから自分は悪役令嬢だという暗示を掛け直す。
「見つけましたよ、桜坂さん!」
女性の声。自分に暗示をかけ終えた私は、何食わぬ素振りで顔を上げる。声の主は、さきほど私を叱りつけた体育の先生だった。
名前は
二十四歳、独身で、正義感が強く、若いがゆえに無鉄砲なところがあると、アプリに載っているプロフィールにあった。この行動は、まさにその無鉄砲さによるものだろう。
「……千秋先生、授業はどうしたんですか?」
「自習にして、男子側の先生に監督をお願いしてきました。それより桜坂さん、貴女の態度について話があります――って、それ……」
千秋先生の視線が私の足先に向いた。それに気付いた瞬間、私はさっと靴を履く。だけど先生は「足を見せなさい、桜坂さんっ!」と私のまえに座り込んだ。
「あら、うら若き乙女に足を見せろだなんて、セクハラで訴えますわよ?」
「そんな言葉で誤魔化されませんよ。いいから、靴を脱ぎなさい」
言うが早いか、千秋先生は私の足首を摑んで靴を脱がしに掛かった。私は観念して、千秋先生が靴を脱がすのに身を任せる。ほどなく、私の靴を脱がした千秋先生が顔を歪めた。
「血塗れじゃないですか、一体どうしたんですか?」
「マメが潰れた程度で騒がないでください」
「マメが潰れただけって、今日一日でこんなことになるはず……まさかっ」
千秋先生が私の顔を見上げる。
今日一日ではこうはならない。つまり、私が自主的に特訓をしていた可能性に気付かれてしまった。もちろん、現時点で確信はないはずだけど、疑われた時点で放置は出来ない。
……味方に引き入れるのが無難かなぁ。
無理なら他の手段を考えよう。そう思って、私は笑みを浮かべた。
「千秋先生の予想通りです」
「なら、さっき上手だったのは……」
「事前にヒップホップの基礎を学んだからです」
「ほ、本当に? じゃあ、どうして、あんなことを……」
言葉を濁しているけれど、私が乃々歌を虐めたことを指しているのは明らかだ。でも、私はその質問には答えず、「乃々歌はどうなりましたか?」と質問を返した。
「え? 彼女なら、何処かのペアに混ぜてもらっていると思います。一般生のペアがこぞって、彼女に声を掛けていましたから」
「……そうですか、安心しました」
「安心?」
千秋先生が理解できないと首を捻る。
「千秋先生は、財閥特待生と一般生のあいだに溝があることを知っていますか?」
「え? え、ええ、それはもちろんよ」
「では、乃々歌が私の関係者と目され、一般生から避けられていたのはご存じですか?」
「それは知りませんでした……って、え? えぇっ!? そ、そうだったの? って、それじゃまさか、貴女が柊木さんにキツく当たったのは……っ」
驚きと、困惑をないまぜにした瞳が私の姿を捕らえた。私は言葉は口にせず、小さな笑みを浮かべて応じる。疑念が確信へと代わったのか、千秋先生の纏う感情が困惑へと変わる。
「……どうして、そのような真似を? 桜坂さんなら、他の方法も選べるでしょう?」
「ダメです」
「だから、どうしてですか? 桜坂さんが言いづらいなら、私から柊木さんに――」
その先は言わせなかった。
私は笑みを浮かべたまま、だけど目を細め、千秋先生の肩に手を置いた。
「先生、一つだけ忠告しておきます」
「な、なにをかしら?」
「乃々歌のために介入し、わたくしを叱った先生を心から尊敬します。優しくて勇気ある、そんな素敵な先生を、わたくしを叱ったからなんて理由で首にしたりはしません。でも、わたくしの秘密を探ったり、それを誰かに話したら……分かりますね?」
私が静かに微笑むと、千秋先生はびくりと身を震わせた。
そうして擦れた声で虚勢を張る。
「こ、怖いことを言うわね。話したら、どうなるって言うの?」
「知りたければ、試してもかまいませんよ」
私が微笑むと、千秋先生はブルブルと震えて首を横に振った。これだけ脅しておけば、私が善人だなんて、乃々歌に言おうとする気はなくなるだろう。
話は終わったと判断して、私は靴を履きなおして立ち上がろうとする。
だけど、千秋先生は震える手で私の腕を摑んだ。
「まだなにか?」
「わ、私は先生です。生徒を護るのが義務です」
「……だから?」
「もし、貴女が柊木さんを虐めているのなら、私は絶対に口を閉ざしたりしないわ」
「つまり、黙っているつもりはないと、そういうことでしょうか?」
もしそうなら、少し面倒なことになる。
そう思ったのだけど、千秋先生は首を横に振った。
「イジメの扱いはとても難しいんです。加害者にそのつもりがなくても、被害者は虐められていると認識する場合もありますから」
「……そうですね。よく聞く話だと思います」
好きだからという理由で、異性にちょっかいを掛けてしまう人もいる。だけど、それで相手が心に傷を負ったらなら、それは虐めに他ならない。
つまり、私がやっていることは虐めに他ならないと言うことになる。
でも、千秋先生は私の結論とは異なる言葉を口にした。
「だけど、貴女の話を聞いて、改めてさっきの光景を思い返して思ったの。加害者が虐めているつもりでも、被害者はそう思っていない場合もあるかもしれない……って」
「なにを……」
「だから、今回のことは誰にも言いません。少なくとも、いまは」
先生はそう結論づけた。でも、乃々歌が虐められていると思っていないなんてことはあり得ない。私の言葉は確実に乃々歌の心を抉ったはずだ。
千秋先生は本気でそう思っているのか、それとも私の脅迫に屈する言い訳か。
彼女の気が変わったときの保険は必要だ。だけど、しばらく黙っていてくれるのならひとまずは問題はない。そう判断した私は「心得ておきます」と立ち上がった。
「桜坂さん、足はどうするの?」
「後で使用人に処置してもらいます。保健室には行けませんから」
「……無理しないようにね」
先生の気遣いにお礼を言って、私はその場から立ち去った。
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