エピソード 3ー13

 若い女性の体育教師、千秋ちあき先生がやってきて女子を集合させる。


「今日はヒップホップの基礎を教えます。まずはペアになりなさい」

「はーい」


 誰かがそう返事して、女の子達が近場の人や友人とペアを組み始める。私はすぐに乃々歌ちゃんを盗み見た。想定通り、彼女の周りに友達らしき女の子はいない。

 後はあぶれた者同士で組む可能性だけど――と、シャノンに視線を向ける。彼女は私の視線に気付いて頷くと、それを切っ掛けに数名の女の子達が動き始めた。


 紫月お姉様に与する一般生。彼女達が、乃々歌ちゃん以外の、あぶれそうになっている女の子を誘っていく手はず。これで、確実に乃々歌ちゃんはペアの相手がいなくなる算段。


 そう思っていたら、周囲を見回していた乃々歌ちゃんと視線が合った。

 彼女があぶれてから声を掛ける算段だったけど、この機会を逃す手はない。そう思ったのだけど、彼女はすぐに視線を外してしまった。

 ……まあ、そうだよね。私となんて、組みたいとは思わないよね。

 だけど、逃がすつもりはない――と、一歩を踏み出す直前に呼び止められる。


「澪さん、よろしければペアを組みませんか?」


 声の主は六花さんだ。

 彼女が私を対象に選ぶのは予想の範囲内。

 だけど、だからこそ、そうなりそうな場合は、シャノンが彼女を足止めする予定だった。なのになぜと視線を向けると、シャノンは申し訳ありませんとばかりに目を伏せた。

 どうやら、シャノンの誘いを振り切って私の元に来たようだ。


 それを嬉しくないといえば嘘になる。

 だけど――


「六花さん、大変申し訳ありません。わたくし、ペアの相手は決めているんです」

「あら、そうでしたか。では、またの機会にいたしましょう」


 六花さんはあっさりと引き下がり、他の女の子に声を掛けた。その子は、六花さんに声を掛けてもらったことに感激し、ぜひお願いしますと了承する。

 それを見届け、私は乃々歌ちゃんの元へと歩み寄る。


 既に、大半の女の子達がペアになっている。少し焦った様子で周囲を見回していた乃々歌ちゃんは、近付く私に気付いて目を見張った。

 私は彼女が逃げないように視線で捕らえ、彼女の元へと歩み寄った。


 柊木さん――は、他人行儀であるけれど、相手を尊重する感覚が消しきれない。これからすることを考えれば別の呼び方の方がいいだろう。


「――乃々歌、わたくしがペアを組んであげるから喜びなさい」

「え、桜坂さんがペアになってくれるんですか!」


 ……って、なんでほんとに嬉しそうにしてるのよ。このあいだ、庶民なんて相手にする価値もないと、私に突き放されたのを忘れたんじゃないでしょうね?

 ヒロインのポジティブな性格を舐めてたかもしれない。


 怯えたり、嫌がってくれれば、仲が悪いと周囲に見せつけるのは簡単だった。でも、乃々歌が楽しそうな顔をしている現状はちょっとまずい。

 当初の予定通り、みんなの見ているまえで酷いことを言うしかないだろう。


 覚悟を決めた私は乃々歌とペアでヒップホップの練習をする。

 音楽に合わせた基本的なステップを覚え、ペアで一緒に踊るルーティン、それからソロの振り付けを覚えて、最後に二人一緒にフィニッシュを決める。


 最初の授業なので、ステップは基礎的なもので構成されている。死に物狂いで予習をした私は、既に全体を通して踊れるようになっている。

 乃々歌と一緒に合わせてステップを踏み、彼女が間違うたびに叱りつける。


「そうじゃないって言ってるでしょ? ここは、こうやって……こう。溜めを作って右足を下ろすと同時に、左足を後ろに滑らすのよ」

「う、うん、ごめんなさい」

「謝る暇があれば手足を動かしなさい。ほら、ステップのタイミングがずれてるわよ。って、今度は右手の動きが違うじゃない。違う、ワンテンポ遅らせなさい!」


 さながら鬼軍曹。私を心と体の痛み、両方に抗って声を荒らげる。それも乃々歌にではなく、周囲に聞かせるように。私は厳しく、そして理不尽に乃々歌を叱りつけた。

 ほどなくして、先生が意を決したように駆け寄ってきた。


「さ、桜坂さん、いくらなんでも言いすぎです」

「あら、先生。なんのことですか?」


 まったく理解できないという面持ちで振り返る。


「なんのこと、ではありません。桜坂さんが優秀なのは認めますが、自分のレベルに付いてこられないからと、ペアの子をそのように罵るのは、い、いけませんよ!」


 ジャージの裾を握り締める、先生の手が震えている。

 無理もない。

 財閥特待生――とくに桜坂の家は莫大な額の寄付をしている。その気になれば、先生の首を飛ばすことも不可能じゃない。そうまことしやかに囁かれている。

 そして、それは事実である。


 もちろん、多くの財閥特待生や、その親はまともで優秀な人間だ。子供の癇癪で教師の首を切ったりはしない。でもしないだけで、出来ない訳ではないのだ。

 ましてや、いまの私は傍若無人に振る舞う悪役令嬢だ。私を怒らせればどうなるかは想像に難くない。それでも私を叱る彼女は、勇気があり、とても優しい先生だ。


 だとすれば、先生とぶつかるのは得策じゃない。先生の介入を利用する形で、私が乃々歌を嫌っていると周知させてもらおう。

 そう決断した私は「あら、これは申し訳ありません」と笑う。


「そ、そう? 分かってくれれば――」

「まさか、彼女がこの程度のダンスも満足に覚えられないとは思ってもみませんでしたの。やはり教養のない方はダメですわね」

「なっ。桜坂さん、言い過ぎです!」


 先生が声を荒らげ、なにごとかと周囲の注目が集まる。練習をしていた女の子達はもちろん、少し離れた場所で別の授業をしていた男の子達も手を止めて注目する。

 シィンと、体育館に静寂が訪れた。

 その一瞬を私は待っていた。


「乃々歌。一般生は一般生らしく分をわきまえて、同じ庶民と仲良くしてなさい?」


 自然な口調で発した声が、静寂の体育館に響き渡った。

 次の瞬間、私のあからさまな差別発言に体育館がざわめき、乃々歌を同情するような声が上がり、暴君を蔑むような視線が私へと向けられる。


「さ、桜坂さん、謝りなさい!」

「あら、さきほど謝罪したではありませんか。わたくしの認識が間違っていたと。それよりわたくし、足を少々怪我してしまったので席を外させていただきますわ」

「~~~っ。後で職員室に来なさい。いいですねっ!」


 ジャージ姿の私は、カーテシーの代わりに、右腕は胸元へ、左手は外へと伸ばす。紳士がおこなうお辞儀、ボウアンドスクレープをして踵を返した。

 

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