エピソード 3ー12
三日後、登校した私はいつも通りに授業を受け、休み時間は教養を身に付けるための読書に力を入れる。ふと気になって乃々歌ちゃんを見ると、やはり孤立気味のようだ。
人当たりがいいヒロインのはずなのに、休み時間に一人でいることが多い。もし私が普通の生徒だったのなら、彼女と仲良くなれただろう。
想像するだけで、それは楽しそうな光景だ。
でも、私は悪役令嬢だ。
私は彼女を突き放さなくちゃいけない。そして、それはいまじゃない――と、本に視線を移す。そうして黙々と本を読んでいると、不意に気配を感じて顔を上げる。
私のすぐ目の前に六花さんが立っていた。
「ご機嫌よう。澪さんは読書がお好きなのね」
「ご機嫌よう、六花さん。本は様々な知識や、異なる人の考え方を知れて楽しいですから」
その言葉に嘘はない。
ただし、本が好きだとは言ってない。
もちろん、本が嫌いな訳じゃないけど、本音を言うともう少し別の、ラノベのような大衆向けの物語が読みたい。悪役令嬢モノは――さすがにいまは遠慮したいけど。
「ところで、わたくしになにかご用ですか?」
「いえ、ずいぶんと余裕そうだなと思いまして」
「ご安心を。出された条件は必ず達成して見せますから」
六花さんと交流を持つことはかまわないと、紫月お姉様から許可を得ている。六花さんは基本的に原作に関わってこないので、どうするのが正解というのはないらしい。
それでも、不測の事態は避けたいと少しだけ警戒する。
……というか、少し離れた場所で、取り巻きの二人が物凄い目で私を睨んでるんだけど。貴方達、私を睨んでる暇があったら、勉強した方がいいんじゃないの?
なんて、煽ることになるだけだから言わない。
けど、六花さんは私に視線に気が付いたようだ。
「貴女を睨んでいる暇があるなら、勉強をするべきだと思うんですけどね」
ぽつりと呟いた言葉に私は目を瞬いて、それからクスクスと笑った。
「実は、わたくしも同じことを考えていました」
「まぁ、気が合いますわね」
「そう、思っていただけると嬉しいですが……」
幸か不幸か、六花さんは善人だ。財閥の子女らしい冷酷な判断が出来る人間だけど、その本質はやはり善人だ。乃々歌ちゃんを虐める私を、彼女はきっと許さないだろう。
……それでも、条件を満たせば、一度だけ味方になるという約束は守ってくれるはずだ。騙すような形になって申し訳ないけど、自分の見る目がなかったと諦めて欲しい。
そんなことを考えながら、当たり障りのない会話を交わした。
そうしてその休み時間は終わり、再び授業が再開される。それからいくつかの授業と休み時間を経て、ついに体育の授業がやってきた。
蒼生学園には男女ともに更衣室がある。それだけでなく、財閥特待生専用の更衣室があり、私はその中でも専用のスペースを使って着替えを始める。
体操着の上にジャージを羽織り、下はスパッツの上にジャージを穿いた。
有名デザイナーがデザインした体操着には蒼生学園のロゴ、ジャージはシンプルながらもスマートなデザインとなっていて、体操服とは思えないほどに肌触りがいい。
そうして向かうのは体育館。
体育は男女で別れて授業を受けるため、隣のクラスと合同でおこなう。ただし、今日は男女ともに体育館で授業をおこなうようで、体育館には多くの生徒が集まっていた。
財閥特待生の私が足を踏み入れると、体育館の空気がピリッと張り詰める。その視線を受け流して視線を巡らせれば、クラスメイトとお話している陸さんを見つけた。
彼は一瞬だけ私を見て――すぐに視線を外した。
……ま、あんなこと言ったんだもん、嫌われて当然だよね。
そして、今日はもっと嫌われることになる。
ごめんね、みんなのことを傷付けて。
心の中で謝罪する。
そうして顔を上げると、私の目の前に琉煌さんがいた。
「……琉煌さん、私になにか用かしら?」
「おまえは、どうしてそのような……」
「そのような……なんですか?」
コテリと首を傾げると、彼は頭を振った。それから呼び止めた口実を探すように視線を巡らすと、私の姿に視線を定めた。
「おまえは、なにを着ても似合うのだな」
ふえ? っと、素の声が零れそうになった。
落ち着け、私。いまのは本題を隠すために口にしただけで、その言葉が本心だとは限らない。それにいまの私は悪役令嬢。その程度のお世辞は聞き慣れている――設定!
「ただの体操服とはいえ、手掛けたのは東京ガールズコレクションにも顔を出す、若者向けブランドのデザイナーですもの。わたくしに似合わないはずありませんわ」
髪を掻き上げようとして、体育の授業に合わせて後ろで束ねていたことを思い出す。とっさに髪の房を摑んで、肩口から前面へと引っ張った。
そうして胸の下で腕を軽く組んで、挑戦的な笑みを浮かべてポーズを取る。
「ふっ、似合って当然、か。そういう傲慢な女は多く見てきたが、実際に似合うからたちが悪い。中学のおまえはそういう性格ではなかったそうだが……高校生デビューか?」
「――こっ!?」
高校生デビュー!? と、思わず咳き込みそうになった。
でも、そっか、そうだよね。紫月お姉様がそうだったように、琉煌さんがその気になれば、中学時代の私がどんな風に過ごしていたかだってすぐに調べられる。
私の性格が大きく変わっていることも分かるはずだ。
でも、まさか、高校生デビューと思われていたなんて……っ。
……いや、大丈夫なはずだよ。高校生デビューだと認識されていても、いまの私が悪役令嬢として認識されれば問題はない、たぶん。
「琉煌さんが、そこまで熱心にわたくしのことを調べているとは思いませんでしたわ。もしかして、わたくしに興味をお持ちなのかしら?」
悪役令嬢として、攻略対象の琉煌に興味があるというスタンスは崩さずに揶揄して笑う。こうすれば、琉煌さんが嫌がるだろうと予想しての行動だ。
これで気分を害して去ってくれることを期待したのだけど――
「そうだと言ったらどうするつもりだ?」
彼の問い掛けに対して、どうして? という疑問が真っ先に浮かんだ。
琉煌さんはたしかに、妹の瑠璃ちゃんに気に入られた私に興味を示していた。でも、私は悪役令嬢として浅はかに振る舞った。それを見た彼は幻滅したはずだった。
なのに、どうして私に対する興味が失われていないの? と混乱する。
「……澪」
彼は私の顔に手を伸ばすと、親指で頬に掛かった髪を払いのけた。もしもこれが夕焼け空の下だったのなら、映画のワンシーンになりそうな光景。
だけど、いまは日中で、ここは体育館。
なにより、私は悪役令嬢だ。いつか彼に振られ、その手で断罪される運命にある。想いを寄せている振りはする必要があるけれど、本当に惹かれる訳にはいかない。
そう自分に言い聞かせているとチャイムが鳴った。
琉煌さんは「時間切れだな」と一歩下がった。
「答えは、いずれ聞かせてもらうとしよう」
彼はそう言って、他の男子生徒の元へと向かう。私もまた、精一杯の虚勢でなんでもない風を装って、女子生徒達の集まる方へと足を運んだ。
いけない、取り乱しすぎだ。気持ちを切り替えよう。
私は一度足を止めて目を瞑り、自分の精神状態をリセットした。
耳を澄ませば、あちこちでおしゃべりしている声が聞こえてくる。誰々が可愛いなんて男子のやりとりや、誰々の筋肉が素敵という女子のやりとり。
そして、乃々歌ちゃんが孤立していることを心配する女子の声と、あの子は財閥特待生と仲良しだから近付かない方がいいと答える女子の声も聞こえる。
乃々歌ちゃんが孤立しつつあるのは本当のようだ。
なら、私がやることは決まっている。
さあ――悪役令嬢のお仕事を始めましょう。
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