エピソード 3ー11

 紫月お姉様から与えられたミッションを淡々とこなす。それだけで私は六花さんに認められ、乃々歌ちゃんと琉煌さんの仲を取り持つための切り札を手にすることが出来る。

 ――と、キメポーズまで取った私だけど、成績は目標達成ギリギリだ。


 家では必死にレッスンを受け、学園では余裕の表情を作って必死に授業を受ける。休み時間はもちろん、教養を身に付けるための読書に費やす。

 そんな日々が続く。

 おかげで、学園が始まって一月以上が過ぎたのに、私にはいまだに友人と呼べる人物がいない。ぼっちの悪役令嬢ってどうなんだろう?

 悪役令嬢は友達がいないって書くと、なんかラノベのタイトルっぽいよね。


 そんな風に現実逃避をしながらも、必死に勉学に励む日々が続く。ある日の夜、レッスンを終えて部屋に戻ろうとすると、紫月お姉様が待っていた。


 だけど、紫月お姉様にいつもの覇気が感じられない。私のまえに立っているのは普通の、進むべき道を見失い、迷子になった女の子だった。


「……なにかあったのですか?」

「ええ、また、原作と違う方向に話が進んでいるの」

「分かりました。なら、どうしたらいいか教えてください。私が元に戻します」


 紫月お姉様を励ましたくて、わざと強気に言い放った。だけど、紫月お姉様は元気を取り戻すどころか、ますます悲しげな顔をした。

 そうして、俯いたままぽつりと呟く。


「……乃々歌が孤立しているの」


 私は思わず瞬いた。彼女は原作乙女ゲームのヒロインで、人懐っこくてポジティブな性格の持ち主だ。そんな彼女が孤立するなんて訳が分からない。


「柊木さんが孤立って、どういうことですか?」

「彼女が名倉財閥理事長の孫娘だと言うことは知っているわよね? その上で、貴女のように養子になるのではなく、柊木の名で一般生として学園に入学したって」

「はい、もちろんです」


 だからこそ、悪役令嬢の取り巻きに目を付けられるようなことになった。その代わりとして、一般生のあいだでは人気者になるのが原作乙女ゲームの設定だったはずだ。


「財閥特待生から、一般生として見下されているのは原作通り。だけど現実では、一般生からも避けられているの。財閥特待生と繋がりのある人物だと目されて」

「財閥特待生との繋がりですか?」


 そんな相手いたかなと首を傾げる。

 陸さんは……違うよね? たしかに彼は一般生として学園にいる財閥の子息だけど、それは原作乙女ゲームの設定通りだ。乃々歌ちゃんが一般生に敬遠される理由にはならないはずだ。

 だったら……


「澪、貴女のことよ」

「私、ですか?」

「新入生の歓迎パーティーで、乃々歌が貴女と親しげに話していたのを多くの生徒が目撃してるわ。だから、乃々歌は貴女の関係者だと思われているのよ」

「待ってくださいっ! 私は、彼女を突き放したんですよ?」


 私がどんな言葉で乃々歌ちゃんを傷付けたか聞いていれば、私達が仲良しだなんて間違っても思わないはずだ。……待って、聞いて、いれば?


「そう。貴女はたしかに冷酷な言葉を浴びせて乃々歌を突き放した。でも、それは一瞬のことだったから、周囲で見ていた生徒は貴女達が仲良く喋っているようにしか見えなかった」

「……私のミス、ですね」


 周囲に乃々歌ちゃんを虐める浅ましい姿を見られたくなくて、端的な言葉を選んで乃々歌ちゃんを突き放した。だから、周囲の人はそれに気付かなかった。私がもっと悪役令嬢らしく振る舞っていたら、乃々歌ちゃんは孤立しなかった。

 私の半端な行動が、よけいに乃々歌ちゃんを傷付けている。


「私……ダメですね。失敗ばっかりです」

「いいえ、貴女は悪くないわ。悪いのは、原作乙女ゲームの展開ばかりを気にして、周囲への影響を予測して指示を出さなかったわたくしよ。だけど――」


 紫月お姉様はきゅっとスカートの裾を握り締め、私をまっすぐに見つめた。


「情報操作も試みたけど上手くいってない。だから、これは貴女が修正するしかない。貴女には乃々歌と仲良くするつもりなんてないと、みんなのまえで証明しなくちゃいけない」

「……はい」

「しばらくは傷付けなくてもいいと言ったのに、こんなことになってごめんなさい。心から申し訳ないと思うけど、それでも……」

「大丈夫、分かってます」


 原作乙女ゲームのハッピーエンドと同じ展開を迎えることで、未曾有の金融危機を乗り越えることが出来て、雫の病を治す治療法も確立される。そして、その治療を雫が早く受けるには、桜坂家の破滅回避が必要だ。だから、私は原作乙女ゲームの展開通りに物事を進めるしかない。どんなに厳しくても、他の道を選ぶ訳にはいかないんだ。

 だけど――


「紫月お姉様はなぜ、原作乙女ゲームの展開にこだわるんですか?」

「なぜって……その理由は説明したはずよ」

「たしかに聞きました」


 金融危機を乗り越えるためには、ヒロインの元に財閥の子息達が結束する必要がある、と。

 日本の三大財閥が手を取り合うことで、金融危機を乗り切るという原作のシナリオは理解できる。でも、紫月お姉様はその未来を知っているのだ。


「でも、紫月お姉様なら他の解決策も選べたはずです。なのに、どうして、そんな辛そうな顔をしてまで、私に任せるしかないって言うんですか?」


 雫を救う道を示してくれたこと、私は心から感謝してる。

 でも、紫月お姉様なら、私という代役を立てずに、金融危機と桜坂家の破滅を回避することだって出来たのではないか――と、私は思うのだ。


「……そうね。金融危機を乗り越え、桜坂財閥を護るだけなら、もっと簡単な手はいくらでもあるわ。でも……放っておけなかったから」


 紫月お姉様は誰を、とは言わなかった。だから、それがヒロインのことか、攻略対象のことか、あるいは原作乙女ゲームに登場するみんなのことかは分からない。

 だけど、罪悪感を抱きながら、それでも誰かのために前に進む。

 その理念は私と同じだ。

 紫月お姉様が迷う必要はない。


「……私も、私も護りたいです」

「雫ちゃんのことね」

「はい。私は雫のお姉ちゃんです。……もう、戸籍の上ではお姉ちゃんじゃなくなってしまったけど、それでも私はお姉ちゃんなんです。だから私は必ず雫を助けます」


 そのために必要なことならなんだってする。

 だって――


「これは私が望んだことなんです。だから、紫月お姉様が罪悪感を抱くことなんてない。紫月お姉様はただ、必要だからやれって、私に命じてくださればいいんです」

「……貴女は、こんなときでも人の心配をするのね」

「紫月お姉様の妹ですから」


 紫月お姉様は愁いを帯びた瞳を揺らし、それからこくりと頷いた。


「……分かったわ。三日後の体育では、ペアでダンスの練習をすることになるわ。乃々歌はおそらく孤立する。いいえ、必ず孤立するように仕向けるから、貴女が乃々歌のペアになりなさい。その上で彼女を突き放し、仲良くないって周囲に知らしめるのよ」

「はい。必ず、柊木さんの環境を改善して見せます」

「お願いね。それと、怪我をさせたり、立ち直れないような心の傷を負わせてはダメよ」

「もちろん、分かってます」


 今度の目標は乃々歌ちゃんを傷付けることじゃない。周囲に私が乃々歌ちゃんを虐めているよう見せかけ、私と乃々歌ちゃんは仲良しなんかじゃないと周囲に思い知らすことだ。


 だから少しだけ、ほんの少しだけ気持ちは楽だ。

 乃々歌ちゃんを傷付けるのが目標よりは、だけど。


「……貴女を信じているわ。それと、、貴女はいまでも雫ちゃんのお姉ちゃんよ。雫ちゃんのために突き進む貴女を、私は尊いと思う。だから――胸を張りなさい」

「――はい!」


 イジメは犯罪だ。

 私のしていることは悪いことだ。

 それでも、後悔はしない。

 いつか断罪されたら、胸を張って罪を償おう。


「……あぁ、それと、ダンスはヒップホップだから、ちゃんと予習をしておきなさい」

「はい。……はい!? ダンスの授業って、ワルツじゃないんですか!?」


 必死にワルツの練習はしたけど、ヒップホップなんて習っていないと悲鳴を上げる。


「財閥関係者はワルツを踊れて当然だし、一般生はワルツよりヒップホップの方が馴染みやすいでしょ? だから、ダンスの授業はヒップホップよ」

「待って、ちょっと待ってください。まさか、三日後までに覚えろって、そう言ってます?」

「大丈夫、優秀な先生を呼んであるわ」

「だからって、三日で出来るものじゃないですよね!?」

「大丈夫、雫ちゃんのためなら出来る出来る」

「――ぐぬっ。あぁもう、分かりました。やればいいんでしょ。やってやりますよっ! 雫のためなら、ヒップホップくらい、すぐに覚えてやりますから――っ!」


 こうして、私は必死にヒップホップの基礎を学んだ。

 後から考えたら、悪役令嬢がヒップホップに詳しい訳じゃない。目標値までステータスを上げればいいだけなので、ヒップホップが得意である必要はなかったはずだ。

 そもそも、ヒップホップの授業にこだわる必要はない。それなのに、三日で詰め込もうとしたのはきっと、私が思い悩まないようにするためだろう。

 ……ほんと、紫月お姉様の優しさは分かりにくい。

 

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