エピソード 3ー7

 こうして、学校では黙々と授業を受け、家に帰ったら予習復習、それに写真撮影に向けたレッスンを受けるという日々が続く。

 そうして一月が過ぎ、写真撮影の当日。私はシャノンが用意してくれたお嬢様風のコーディネートに身を包み、リムジンに乗って家を出る。

 少し早めに出たのは、久しぶりに雫のお見舞いをするためだ。

 病院の前でリムジンを降りて、エレベーターで雫の病室がある上階へ。シャノンにはロビーで待っていて欲しいとお願いして、私は雫が入院している病室の扉をノックする。返事を聞いて中に入ると、可愛らしいパジャマ姿の雫がベッドに座ってファッション誌を眺めていた。


「雫、久しぶりだね」

「うん、久しぶりだね。ええっと……お姉ちゃん?」


 顔を上げた雫は首をコテリと傾げた。


「どうして疑問形なの?」

「え、いや、だって……」


 雫の視線が私の頭の天辺からつま先まで向けられる。私のファッションがいままでと違いすぎて驚いているのだろう。でもその反応は予想通りなので、言い訳も考えてある。


「ああ、この服? 実はバイトのお金で買ったんだ」


 桜坂財閥のお嬢様を助けたおかげで、雫の入院先や、入院費の面倒を見てもらえることになったという事実。その中に、それで浮いたバイト代で服を買ったという嘘を混ぜる。

 私はもう無理なんてしていない。それどころか青春を満喫している、というアピールである。なのに、なぜか雫の目がすがめられた。


「……お姉ちゃん、怪しいバイトとかしてないよね?」

「し――てないよ?」


 言い淀みそうになるのを強引に言い切った。

 疑いの眼差しを向けられるけど、私はそれを真正面から受け止めた。この数ヶ月で私の演技力は大きく上達している。雫にそれを見抜くことが出来ないだろう。胸を張って堂々と、なにか気になることでもあるのかと問えば、雫はファッション誌に目を落とした。


「……雫?」


 問い掛けると雫は再び顔を上げ「なんでもない」と視線を外した。よく分からないけど、追及するとやぶ蛇になりそうだと口を閉ざす。


「そうだ、今日はケーキも買ってあるよ」

「ケーキっ!」


 シャノンに用意してもらったお見舞い品を掲げると、雫が見事に食い付いた。私はそれを更に取り分け、用意した紅茶と一緒にサイドテーブルの上に置く。

 久しぶりに直に会ってのおしゃべりをする。そうして色々聞いた感じ、雫は病院を移ってから小康状態を保っているようだ。私としゃべる表情も以前より明るい。紫月お姉様が手を差し伸べてくれたことに感謝しながら、私は久しぶりに姉妹の時間を満喫した。

 それからほどなく、時計を確認した私は席を立つ。


「――と、そろそろ行くね。この後、バイトなんだ」

「……お姉ちゃん。怪しいバイトとか、ほんとにしてないよね?」

「だからしてないって。夜に電話するから」


 そう言って病室を後にする。

 シャノンと合流して、私は再びリムジンへと乗り込んだ。そうして向かうのは写真撮影のスタジオだ。車に揺られることしばし――といっても、リムジンはほとんど揺れないんだけど。

 それはともかく、私はスタジオの前で車を降りた。


 シャノンをお付きとして連れて、正面玄関からスタジオに入る。受付の案内に従って廊下を進むと、扉が開いた控え室から言い争うような声が聞こえてきた。


「――それはつまり、アタシにコネで選ばれた小娘を使えってことでしょう?」

「いえ、ですから、それは上の指示で――」


 怒りを滲ませた中性的な声と、困り果てた男性の声。

 怒っている方は小鳥遊たかなし 裕弥ゆうや。年齢は三十代半ばで男性。実力だけで成り上がり、様々な一流ファッション誌で撮影してきた天才カメラマンだ。

 対して困り果てている男性はスタッフかなにかだろう。さきほどから小鳥遊先生を必死に宥めているのだけど、先生の怒りは収まりそうにない。


「それがコネだって言ってんのよ。このアタシを呼びつけておいて、そんなつまんない仕事をさせようなんて、舐めんじゃないわよっ」


 荒れてるなぁ……

 まあ、自分の腕だけで天辺に上り詰めたプロなわけだし、その誇りあるお仕事につまらないしがらみを押し付けられて怒り狂う気持ちは分かる。

 でも、ここで怖じ気づく訳にはいかない。


 さあ、悪役令嬢のお仕事を始めましょう。


 自分は悪役令嬢だと意識を切り替えて、片手を胸の下で組んだまま、もう片方の手でコンコン――と、空いたままの扉をノックする。

 小鳥遊先生の意識が私に向けられる。その瞬間に口を開く。


「お取り込み中に悪いわね」

「悪いと思っているのに邪魔をするなんていい度胸ね。いったい何処の小娘かしら」

「わたくしは桜坂 澪。貴方の言うところのコネで選ばれた小娘よ」

「へえ……貴女が」


 怒りの矛先を見つけたと言わんばかりに、私のところへ詰め寄ってくる。そうしてたっぷり十秒ほど、私の頭の天辺からつま先まで眺めた。


「……貴女、自分を偽っているわね?」


 本質を突いた指摘――だけど、ここで動揺する訳にはいかない。それに、紫月お姉様から小鳥遊先生がどういう人物かは教えられている。

 ここで、私の演技が見破られるのは想像の範疇で、だからこそ答えも用意してある。


「いまのわたくしはお仕事中だもの」

「ふぅん? つまり、コンセプトに合わせる演技力がある、と? でも、残念。アタシを唸らせるほどの演技力ではないようね」

「そうね、わたくしはまだまだ未熟よ。だから――」


 パチンと指を鳴らせば、シャノンが小鳥遊先生に手紙を手渡した。紫月お姉様が必要になれば小鳥遊先生に渡せと、用意してくれた奥の手だ。


「手紙? 一体何処の誰が……あら、紫月ちゃんじゃない」


 小鳥遊先生が手紙を読み始める。

 小鳥遊先生と紫月お姉様に面識があることを私は知らなかった。それどころか、手紙になにが書かれているのかも聞かされていない。

 どう転ぶのか、動向を見守っていると、ほどなくして小鳥遊先生が手紙を破り捨てた。


「貴方、下がりなさい」


 小鳥遊先生が冷たく言い放つ。

 それは私に向けられた言葉ではなく、男性スタッフに向けた言葉だった。


「……え? いえ、ですが……っ」


 ワンテンポ遅れて動揺した男性スタッフは、私と小鳥遊先生を見比べた。それを見た小鳥遊先生は額に手を添えて、これ見よがしに嘆きの溜め息を吐いた。


「この子をモデルに使って欲しいんでしょ? 話をするから、貴方は下がりなさい」

「――分かりました!」


 モデルに使ってもらえるなら問題はない。厄介事はごめんだとばかりに去っていく。そんな男性スタッフを見届けもせず、小鳥遊先生は踵を返して部屋の奥にあるテーブルに腰掛けた。


「なにしてるの? 貴方達は早く中に入って扉を閉めなさい」


 言われて部屋の中に足を踏み入れ、シャノンに扉を閉めさせた。……というか、どういう状況? 手紙を破ったの、気分を害したからじゃないの?

 そんな私の不安を他所に、小鳥遊先生は言い放った。


「貴女の事情を聞いたわ」――と。


「……事情? 悪役令嬢のこと――かしら?」


 予想外すぎる言葉に思わず素で答えそうになって、慌てて令嬢っぽく取り繕った。


「悪役令嬢?」

「あ、いえ、それは……」

「なるほど、それが貴方のコンセプトって訳ね。でも、その話は知らないわ。アタシが聞いたのは、貴方が妹のために養子になったってことの方よ」

「な――っ」


 あり得ない。

 私が養女なのは公然とされた事実である。だけどそこに嘘を混ぜ、私の先代当主の兄の孫娘という設定になっている。そこに妹のためになんていう設定は存在しない。

 なのに、紫月お姉様は、どうしてそんな嘘が破綻するようなことを……


「安心なさい。こう見えてもアタシ、口は堅い方なのよ。だから、貴方の素性についても口外するつもりはないわ。ただ、一つだけ聞かせてくれるかしら」

「……なに、かしら?」


 ややもすれば擦れそうになる声を必死に絞り出し、悪役令嬢という体裁を必死に保つ。だけど、そんな私の努力を嘲笑うかのように、小鳥遊先生は質問を口にした。


「貴女、妹のためにずいぶんと苦労しているようだけど、辛いとは思わないのかしら?」

「……は?」

「だーかーらー、妹のこと、負担に、迷惑に思ってないのかって聞いてんのよ」

「妹のことを負担に感じたり、迷惑だって思ったことは一度もないわ」

「妹のために、こんな大変な思いをしているのに?」


 どうして、こんな風に追及されなくちゃいけないんだろう? 

 そう考えると段々と腹が立ってきた。たしかに大変だと思ったことはある。だけど、妹のことを負担に感じたり、妹の存在を迷惑に思ったことは一度だってない。


「この程度の苦労、なんてことないわ。いつか破滅するのだとしてもかまわない。あの子の姉だって名乗れなくなったことも気にしない。だって、あの子を救う為だもの!」


 胸の前でぎゅっと拳を握り締めって訴えかける。瞬間、シャッター音が鳴り響いた。びくっとして我に返ると、小鳥遊先生が私を撮影していた。

 

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