エピソード 3ー2
それからダンスフロアへと移動するあいだ、琉煌さんは無言だった。だから私は、ダンスフロアに到着すると同時に彼のエスコートを振り払った。
「……どうした?」
「私が権力に執着した女と知って幻滅したのでしょう? 自分から誘った手前、責任を持って踊ろうとしてくださる心意気は素敵だけど、義務感で踊られるのは迷惑よ」
陸さんと乃々歌ちゃんの悪意は私に向いた。ここで私と琉煌さんの関係も絶ってしまえば、大筋で原作の展開に戻すことが出来る。だから、無理に踊る必要はない。
――はず、だったのだけど、琉煌さんに再び腕を摑まれ、強く引き寄せられた。つんのめった私は、彼の腕の中に飛び込んでしまう。彼の反対の手が私の背中に回る。
……え、なにこの状況、琉煌さんに抱きしめられてるみたいじゃない。そう思って驚くのも束の間、彼が私の腕と腰を取り、音楽に合わせてリードを始める。
「ちょっとっ、踊る必要はないって、そう言ったでしょっ」
「いいのか? 桜坂家の娘が、ワルツ一つ踊れないのかと馬鹿にされるぞ?」
「くっ、この――っ」
悪役令嬢としてのプライドを刺激され、反射的に彼のリードに合わせてステップを踏む。
だけど――っ。
ナチュラルスピンターンのステップ、歩幅が大きいっ! そのまま加速して、ダブルターニングロックから……スローアウェイオーバースウェイ!? なに考えてるの? 高校生に入ったばかりの相手に、それも示し合わせもなく踊らせるような難易度じゃないでしょう!
なのに、彼のリードは更に高難易度に、更に激しくなっていく。
紫月お姉様の特訓がなかったら、いきなり転んでるところだ。
馬鹿なの? 信じられない、このドS!
声を大にして文句を言いたい。
――けど、みんな見てる。琉煌さんと私、有力財閥の子息子女である私達のダンスをみんな見てる。桜坂家の娘を名乗る身として、恥ずかしいダンスは見せられない。
私は必死に彼のリードに食らい付いていく。彼がさきほどのことをどう思っているか、これからどうするのが正解か、考えることは山積みなのに、いまの私には余裕がない。
それでも、私は無理矢理笑みを作って微笑んで見せた。
「……思ったよりも踊れるのだな」
これが余裕あるように見える!? と、余裕がある振りをしておきながら、心の中で理不尽にも叫んだのはここだけの秘密。私は口を付いて飛び出しそうな罵声を必死に飲み込んで、彼に向かってクスリと微笑みかける。
「あら、わたくしを誰だと思っているの?」
「ああ、たしかウェイトレスだったな」
――しまっ。
思わずステップを踏み違えた。とっさに挽回しようとするも重心の移動が追いつかない。躓くと思った瞬間、琉煌さんにぐいっと抱き寄せられた。
――これ、ならっ!
彼の支えを起点に足を出し、素早く体勢を立て直した。すぐに次のステップを踏み、何事もなかったかのようにダンスを続ける。
……どういう、こと?
動揺を誘ったのは、権力に意地汚い娘に恥を掻かせるのが目的じゃなかったの?
「……すまなかった」
困惑する私に、琉煌さんが口にしたのは謝罪の言葉だった。
「なぜ、貴方が謝るの?」
「おまえが困っていると思ったんだ」
ナチュラルスピンターン。続くステップを踏みながら考えを巡らせ、彼が陸さんに圧力を掛けた理由が、私を護ろうとした結果だと気が付いた。
たしかに、さきほどの私は想定外の事態に困っていた。琉煌さんはそんな様子を見て、陸さん達から私を助け出そうとダンスに誘い、それを阻止する陸さんに権力を振りかざした。
……そっか、そうだよね。
琉煌さんは、庶民の乃々歌ちゃんと恋仲になるメイン攻略対象だ。そんな乙女ゲームの主人公が、理不尽に権力を振りかざす、悪役みたいな真似をするはずがない。
私を気遣う眼差しに、思わずドキッとさせられる。
「あり――」
感謝の言葉を告げようとして、寸前のところで踏みとどまった。
琉煌さんが権力を振りかざしたのは私を護ろうとしたから。それが分かれば、陸さんや乃々歌ちゃん達と分かり合うことが出来るだろう。
だけど、私は悪役令嬢だ。
彼らと敵対するべき私が、琉煌さんと分かり合う訳にはいかない。
「ありがとう――と言うとでも思った? 桜坂家の娘であるわたくしに、そのような気遣いは不要よ。それに言ったでしょう? わたくしに必要なのは権力だって」
「それは、桜坂家の養子だからか?」
意味深な笑みを浮かべる彼は私の素性を疑っている。
いや、楽観的な考えはやめよう。
紫月お姉様は数時間で私の素性を調べ上げた。琉煌さんがお礼をするためにバイト先を訪れたのなら、私の素性なんて疾うに把握しているはずだ。
すべて知られている前提で対応する。
ただし、こちらから手の内を晒す必要はない。
「……なんのことを言っているのか分からないわね」
「妹の入院費を稼ぐためにバイトをしていたのだろう?」
雫のことまで把握している。つまり、私が佐藤家の娘であり、駆け落ちをした桜坂の孫娘ではないということまで突き止めている。
その事実を公表されたら、私は非常にまずい立場に立たされる。
でも、この状況は詰みじゃない。
彼が私の素性を知ったのはいまじゃない。もし素性を暴露して私を貶めるつもりなら、絶好のタイミングはいくらでもあった。つまり、彼の目的は私の糾弾じゃない。
私を脅すとか、なにかしらの目的があるはずだ。
「……なにが目的なの?」
「目的? おかしなことを聞くな。妹の件で借りを返しに来たと言っただろう? 養子であることに対して口さがない者もいるだろう。だが、俺と懇意だと知れば黙るはずだ」
私はパチクリと瞬いて、それから眉を寄せた。
「……まさか、わたくしの地位を確立するためにダンスに誘ったの?」
「雪月花のメンバーを目指しているのだろう?」
「そう、そこまで知っているのね」
想像以上にこちらの行動が筒抜けだけど、やはり私の素性をバラすつもりはないようだ。
少なくとも、いまのところは。
その上で、どうすれば良いかを考える。私が雪月花のメンバーに選ばれることだけを考えれば、琉煌さんと懇意になるのは有効な一手と言えるだろう。
いきなり私をダンスに誘ったときはどういうつもりかと思ったけれど、彼は恩返しとして、ちゃんと私の欲しいものを与えようとしてくれていた。
私が悪役令嬢を目指していなければ、の話だけど。
「せっかくの申し出ですが、わたくしに助けは必要ありませんわ」
彼が仲良くするべきなのは、私ではなく陸さんや乃々歌ちゃん。善意を無下にすることで嫌われるかもしれないけれど、それは望むところだ。
文句なら好きに言いなさいと胸を張れば、彼は「知っている。だから、これはちょっとしたお節介だ。切り札は取っておいた方がいいだろう?」と笑う。
どういうこと? 文脈的に、助けは必要じゃなかったと知っているということだよね? 私は虚勢を張っているだけなのに、どうしてそういう結論に至ったのかな?
なにか誤解されてる? それとも、私が知らないなにかを知っている?
「……なにを知っているというのかしら?」
「とぼける必要はない。雪城家の情報収集能力を以てすれば、これが罠だと気付くのは造作もないことだ。とはいえ、さすがは桜坂家の娘だと褒めておこう」
「琉煌さんにそこまで言っていただけるなんて光栄ですわ」
そう言って妖しく微笑んでみせる。
なんのことか分からない――なんて内心はおくびにも出さずに。
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