エピソード 2ー12
不測の事態は生じたけれど、午後の試験も無事に終わらせることが出来た。そうしてお屋敷に帰ると、エントランスホールで紫月お姉様が出迎えてくれた。
「おかえり、試験はどうだった?」
「試験は、大丈夫だと思います」
トラブルはあったけど……と心の中で呟く。
「……そう。解答は問題用紙に写してあるわね? 採点してあげるから貸しなさい。それと、今後の話もあるから……そうね、夕食前にわたくしの部屋に来なさい」
「分かりました」
解答を写した問題用紙を手渡して、私自身は部屋に戻る。
一息吐いて、身に付けていた制服を脱ぎ捨てた。代わりに身に付けるのは、シャノンが用意してくれたお嬢様風の……というか、お嬢様の服。
上は刺繍を施したブラウスにカーディガン。下はハイウエストのスカートに、ガーダーベルトで釣ったニーハイソックスという私の定番になりつつあるコーディネート。
紫月お姉様のファッションと少し違う辺り、私の容姿や趣味を反映しているのだろう。
それらを身に付け、最後に鏡のまえで身だしなみをチェックした私は、シャノンさんが用意してくれた紅茶を片手にしばしの休息。頃合いを見て、紫月お姉様の部屋へと向かった。
お姉様がいるのは寝室の方ではなく、その隣にある執務室。部屋を訪ねると、執務椅子に座ったお姉様が、物凄い勢いで答え合わせをおこなっていた。
「お姉様、すごすぎじゃないですか?」
答えがあっているかを確認するだけとは言っても、尋常な速度じゃない。問題と答えを完璧に理解していなければ、これだけの速度は出せないだろう。
紫月お姉様が試験を受けていたら、首席で合格していたかもしれない。
「……ん? あぁ……そうね。わたくしはほら、二度目の人生だから」
少し物憂げに語る。そういえば、紫月お姉様のまえの人生はどんなだったんだろう? 聞いてみたい気もするけれど、気軽に聞いてはいけない気もする。
なんにしても、二度目の人生だからと言っても、本人の努力がなければ成長もない。紫月お姉様もまた、私がこの一ヶ月ほど続けたような努力をずっと続けているのだろう。
そんなことを考えていると、採点する紫月お嬢様の手が止まった。
「うん、予想よりもよい点を取っているわね。これなら、壁となってヒロインの前に立ち塞がるに相応しい成績を取れていると思うわ。もしかして、本番に強いタイプなのかしら?」
「ほんとですか?」
これがゲームなら、要求ステータスを満たした時点でミッションは達成だ。でも現実はそうじゃない。試験当日に風邪を引くこともあれば、ヤマを大きく外すこともある。
紫月お姉様からのお墨付きは私に大きな安堵をもたらした。
だけど、安心している場合じゃない。今回のミッションは、悪役令嬢のお仕事の始まりにしか過ぎない。これから本格的なミッションが始まるはずだ。
だから――
「紫月お姉様、後回しにしていた授業をすぐに受けさせてください」
「いい心がけね。手配は終わっているから、今日から授業を再開なさい。ただそのまえに、原作乙女ゲームのストーリーや、最初のイベントについて説明しておくわね」
「あ、はい。お願いします!」
私はメモを取るべく、スマフォのメモ帳を開こうとした。でも紫月お姉様が、アプリの方に詳細を送るから、メモは取らなくても大丈夫だと教えてくれた。
私は紫月お姉様の話を聞きながらアプリを開き、そこに表示されるメッセージを確認する。
「まず、攻略対象はメインが一人とサブが二人よ。他にも隠し攻略対象なんかがいるけど、私が目指すルートにはいまのところ関係ないから気にする必要はないわ」
言われて、アプリに表示されたプロフィールを確認する。メイン攻略対象の
財閥、序列一位の雪城家、二位の月ノ宮家、三位の桜坂家。日本の三大財閥のご子息の三人が乙女ゲームの攻略対象で、金融恐慌を回避する鍵となる人物のようだ。
「攻略対象が三人ですか。目指すルートは誰のルートでもいいんですか?」
「三人のルートならどれでも金融恐慌は回避できるわ。ただ、妹さんに治療を受けさせることを考えると、メイン攻略対象である琉煌のルートを目指す必要があるわ」
「分かりました」
結果的に、私が目指すのは琉煌さんのルートに限られる、ということだ。
それを受け、アプリに記載される琉煌さんの情報が更新された。
琉煌さんには病弱な妹がいて、その妹のことを殊更可愛がっているらしい。だから、その妹と仲良くなるイベントを発生させると、琉煌さんのルートが解放されるそうだ。
なお、妹と仲良くなるイベントは文化祭で発生すると書かれていた。
「文化祭ですか。ずいぶんと先ですね」
「ええ。それまでは、素っ気なくされるイベントが続くはずよ」
「なるほど。では、本番は文化祭から、という訳ですね」
「そうなるわね。ただ、琉煌ルートでハッピーエンドを目指すには、ヒロインを中心に、三人を結束させる必要があるの。だから、サブ攻略対象とのイベントも無視は出来ないわ」
「……難しいですね」
誰か一人の好感度を上げまくれば、簡単にハッピーエンドに向かうような乙女ゲームも珍しくはないのだけど、この世界の元となる乙女ゲームはそう簡単じゃないらしい。
みんなで力を合わせ、金融危機に立ち向かう――といった感じだろう。
「じゃあ、最初のイベントはいつ始まるんですか?」
「入学式の日にある、新入生歓迎パーティーよ。いま詳細を送るわね」
紫月お姉様が自分のスマフォを操作すると、再びアプリの情報が更新される。
アプリを確認すると『新入生歓迎パーティーで、月ノ宮 陸と踊れ』というタイトルのミッションが表示された。その文字をタップして詳細を確認する。
原作乙女ゲームの舞台となる蒼生学園は、入学式の後に新入生歓迎のパーティーがおこなわれるらしい。そのパーティーで乃々歌ちゃんは陸さんと再会し、再会の記念にダンスを誘われる。それを邪魔して、代わりに陸さんと踊るのがミッションのようだ。
文字通りのお邪魔虫。人がよさそうな乃々歌ちゃんに嫌がらせをすることになる。
それを理解して胸がチクリと痛んだ。
「……澪、出来るわね?」
「やります」
拳をぎゅっと握り締めて頷いた。攻略対象とくっつけるために必要だから――なんて言い訳にもならない。これからやろうとしているのは悪いことだ。
だけど、それでもやらなくちゃいけない。
私は妹のために悪役令嬢に徹すると決めている。
「……ところで、再会の記念に――ということは、既に二人は出会っているんですか?」
「ええ。貴女には試験に集中してもらうために教えていなかったけど、ヒロインは試験会場で差別意識の強いお嬢様達に絡まれて、そこに登場した月ノ宮 陸に助けられているの」
「ヘ、へー、ソウナンデスネ」
思わず片言になってしまった。間違いない、乃々歌ちゃんを助けたあれのことだ。もしかして私、いきなり原作のストーリーをねじ曲げてしまった?
どうしよう? 本当なら報告するべきだけど、ここでイベントをぶち壊したことを打ち明けて、『じゃあ、貴女に悪役令嬢は無理ね』と切り捨てられたら妹が救えない。
それを避けるためには黙っているべきだ。
だけど、本当にそれでいいのだろうかと自問する。紫月お姉様は私を信じて悪役令嬢を任せてくれたのに、私が彼女に不義理を働いても許されるのだろうか?
……ダメだ。
私は悪役令嬢だけど、その魂までも悪に染まるつもりはない。
「あの……実は、そのイベント、私が介入してしまったかもしれません」
叱責も覚悟の上で打ち明ける。
だけど、紫月お姉様の反応は私の予想と違っていた。
「ええ、知っているわよ」
「……はい?」
「虐められているところに遭遇してしまったのでしょう? 不幸な事故だけど、その後の対応はギリギリ及第点ね。……わたくしに隠さず報告したことも含めて」
ゾクリと寒気がした。
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