エピソード 2ー11

「――誰っ!?」


 曲がり角の向こうから警戒する女の子の声が響いた。

 ここで慌てふためいて逃げるなんて、桜坂家の令嬢には許されない。必死に頭を働かせた私は、逃げずに対応するという選択をした。

 私が桜坂家の悪役令嬢であることを強く意識して、意を決して彼女達の前に姿を晒した。


「ずいぶんと騒がしいわね。一体なにごとかしら?」


 肩口に零れ落ちた黒髪を手の甲で払いのける。胸の下に添えた左手は服の生地を強く握り締め、押し寄せてくる恐怖に耐え忍んだ。


 不安なのは相手も同じはずだ。実際、相手も突然の乱入者に動揺しているようだった。でも私――おそらく私が身に付ける公立の制服を見て嘲るような表情を浮かべた。


「貴女、見ない顔だけど、私達の邪魔をするつもり?」

「生意気な態度ね。名を名乗りなさい」


 女の子を虐めていたとおぼしき二人の女の子が詰め寄ってくる。

 私が学んだ財界のプロトコール・マナーは、声を掛けるのは目上から、である。

 これは、そうしなければ、財閥の人間に売り込みを掛ける者が群がってくるから、という理由に他ならない。あくまで原則であり、絶対にそうしなければならないルールではない。


 ただ、それを踏まえても、彼女達の態度は私を完全に見下している。これを見過ごせば、桜坂家の名を汚すことになってしまう。

 だけど――現時点では、相手の家柄の方が上位である可能性も否定できない。相手が上位であった場合、ここで異論を唱えるのは逆効果だ。恭介さんに突っかかったときのように、相手の身分も考えずに食ってかかり、紫月お姉様に迷惑を掛けることは許されない。

 だから――


「あら、ごめんなさい。名乗るのが遅くなってしまったわね。わたくしは桜坂 澪よ。寡聞にも貴女達のお名前を知らないので、伺ってもよろしいかしら?」


 相手が万が一に目上でも、この聞き方ならば問題はない。そして、相手が私の想像通りに目下だったのなら、いまのセリフはこういう解釈になる。


『桜坂家の娘であるわたくしに向かってそのような無礼な物言いをするなんて、潰されたいのはいったい何処の家の小娘かしら?』――と。


 私の想像通り、相手は桜坂家の名前を聞いて青ざめた。二人は慌てて「さっ、桜坂家のお方だとは知らずに大変失礼いたしました!」とペコペコ頭を下げ始める。


「気にする必要はないわ。それより、そろそろ試験が再開される時間よね?」

「そ、そうでした。お先に失礼いたします!」


 実際にはまだ余裕のある時間だ。けど、ここから立ち去りなさいという意図は正しく伝わったようで、彼女達は蜘蛛の子を散らすように逃げていった。

 それを見届けた私は大きく胸をなで下ろす。


 ……通用して、よかった。桜坂家のご威光様々だね。相手が上位の家の子、あるいは同等の家の子だったら絶対に面倒事になってたよ。


 桜坂財閥の序列は第三位。

 それに、私の養父は先代理事長の息子で現理事長の弟。

 つまりは分家に当たる。


 私が養子であることを除いても、私と同等以上の子供はそれなりに多い。もちろん、その全てがこの入試会場にいる訳ではないけれど……決して無視できない人数だ。

 それに当たらなかったのは本当に運がよかった。


「あの、助けてくれてありがとうございます」


 控えめな口調でお礼を言われる。

 そういえば、絡まれている女の子が残っていた。それを思いだした私は、再び悪役令嬢を意識して、「大丈夫だったかしら?」と振り向いた。

 振り向いて――その頭上にクエスチョンマークを飛ばした。


 あれ、この子、何処かで、見た、ような……?

 光の加減で緑にも見える黒い瞳。栗色の髪に縁取られた小顔には人当たりのよさそうな顔。可愛らしい顔立ちだけど、いくら思い返しても、その顔に心当たりはない。

 気のせいかなと思った直後、彼女の制服が目に入った。

 あれ、この制服、まさか……?


「私、柊木 乃々歌って言います」


 あぁああぁぁぁぁ、この子、ヒロインだっ!?

 なにやってるの私、悪役令嬢がヒロインを助けてどうするの!?


 お、落ち着け。冷静になるのよ、私。

 私の役目はお邪魔虫になって、ヒロインと攻略対象の関係を焚きつけること。ヒロインとはどうせ知り合うことになるんだから、ここで知り合うだけなら問題はない。

 問題なのは、ここで仲良くなってしまうことだ。


「助けてくれてありがとうございました。あの人達に、ここは庶民が来る場所じゃないって詰め寄られて、私もそうなのかもって不安になって……だから、その、ええっと……助けてもらえて、すごく嬉しかったです!」


 キラキラ笑顔がすごく眩しい。

 いまのやりとりだけで、この子がヒロインに相応しい性格の持ち主なんだって理解する。私がなにも知らずにこの娘と出会っていたら、きっと仲良くなっていただろう。


 でも……ダメ。

 私がヒロインと仲良くなったら、悪役令嬢の役目を果たせない。

 役目を果たせなければ、恩人の紫月お姉様に仇で返すことになる。原作乙女ゲームのバッドエンドになって、日本に未曾有の金融恐慌が訪れることになる。

 そうなったら、雫のことを救えない。

 だから、私は彼女を突き放さないといけない。


「勘違い、しないでくださる? わたくしは貴女を助けた訳じゃないわ。ただ、この学園の生徒を目指すに相応しくない人達が目障りだっただけよ」


 腰に手を当てて、ツンと逸らした顔で乃々歌ちゃんを見下ろした。その視線には、この学園に相応しくないのは貴女も同じだという意思を込める。

 そんな私の意思が伝わったのだろう。乃々歌ちゃんは不安そうな面持ちになる。


 急に財閥の家の孫娘だと言われ、財閥御用達の学校の入試を受けることになり、周りが価値観の違う人ばかりで不安に思っているのだろう。彼女の背景を知る私には、彼女と同じような境遇でここにいる私には、いまの彼女の心境が手に取るように分かった。

 そんな彼女を突き放すことに酷い罪悪感を覚える。

 だけど、私は心を鬼にして、そこから更に一歩を踏み出す。


「貴女も目障りよ。庶民かどうかなんて関係ないけど、貴女の立ち居振る舞いがこの学園に相応しいとは思えないわ。貴女がこの学園に入学するつもりなら、この学園に合わせるのは人として当然の礼儀でしょう? そんなことも分からないから、あの子達に見下されるのよ」


 そんな風に突き放されるのは予想外だったのか、乃々歌ちゃんはぽかんと口を開けた。可愛らしいけど、令嬢としてはやっちゃいけない表情だ。


「なに、その間の抜けた表情は。淑女はそんな顔をしないわよ」


 なんて、偉そうな口を利いているけど、私だって庶民だし、立ち居振る舞いは張りぼてもいいところだ。それなのにずけずけと彼女を傷付けて……すごく胸が痛い。


「さて、試験があるからわたくしは失礼するわ」


 私はそう言い放ち、踵を返して彼女から逃げ出した。

 表面上は取り繕えたはずだ。でも、内心はボロボロだった。こんな調子で、悪役令嬢としてやっていけるのだろうか? そんな不安に苛まれながら、私は午後の試験に挑んだ。

 

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