エピソード 2ー10

 両親に認められたことで、私は正式に桜坂家の養女となった。でもそれは、私の行動に桜坂家の娘としての責任が伴うようになった、ということでもある。

 私はその責任の重さを考えながら、いままで以上に気を引き締めて日々を過ごした。そうして私が桜坂家の子供となってから一ヶ月と少しが過ぎ、ついに入試の日がやって来た。


 試験当日の朝。

 私は身だしなみを整え、中学の制服に袖を通した。だけど、なんだかしっくりとこない。冬休みの後は学校を休んでいたこともあり、しばらくぶりだからだろうか?

 そんな風に首を傾げていると、それに気付いたシャノンさんが声を掛けてくれる。


「澪お嬢様、どうかいたしましたか?」

「うん、なんかこの制服、変じゃない?」

「いいえ、問題はありません。違和感があるのだとすれば、澪お嬢様が変わられたからではありませんか? この一ヶ月で外見はもちろん、立ち居振る舞いも美しくなられましたから」

「そうなのかな?」


 自分では分からないと小首をかしげる。


「それよりも澪お嬢様、そろそろ気持ちを入れ替えてください」

「あっと……そうだったね」


 私は一度目を瞑り、自分は桜坂家のご令嬢、悪役令嬢だと自己暗示を掛ける。

 素の振る舞いを変えることはまだ出来ていないけど、こうして自己暗示を掛けることで悪役令嬢らしく振る舞うことが出来るようになった。

 私はパチリと目を開き、それから肩口に零れ落ちた髪を手の甲で払った。


「そろそろ試験会場に向かうわ」

「かしこまりました」


 シャノンを伴って玄関へと向かう。

 玄関を出ると、リムジンのまえで紫月お姉様が出迎えてくれた。


「澪、分かっているわね?」

「……ええ。わたしく、紫月お嬢様の顔に泥を塗るような真似はいたしませんわ」


 悪役令嬢ムーブ。いまは悪役令嬢のお仕事中だと自己暗示を掛けている私は、紫月お嬢様の立ち居振る舞いを真似て微笑みを浮かべた。


「上出来よ。いまの貴女なら試験に落ちることはないでしょう。だけど、悪役令嬢としてヒロインの前に立ちはだかるにはただ合格するだけじゃダメ。それは分かるわね?」


 私はこくりと頷く。これは悪役令嬢である私のミッションだ。ヒロインの壁になるべく、要求された数値まで成績――ステータスを伸ばしてきた。

 後は、その実力を試験で発揮するだけだ。


「どうか、安心して家でお待ちください。必ず、ご期待に応えて見せますわ」


 私がそう口にすると、紫月お姉様は目を瞬いて――それらか思いっ切り破顔した。


「ええ、信じているわ。行ってらっしゃい、澪」

「はい、行ってまいります」


 私は微笑みを残し、優雅な仕草でリムジンへと乗り込んだ。

 試験を受けるのは、都内にある財閥御用達の私立高校。その学園に入学する三人の攻略対象の誰かと、ヒロインをくっつけるのが私の使命だ。


 でも私は、まだヒロインや攻略対象の名前くらいしか知らない。本当は頭に入れておくべきことがたくさんあるけれど、まずはこのミッションをクリアするのが最優先だった。

 試験に合格したら、原作乙女ゲームのシナリオについても勉強しよう。そんなことを考えながら試験会場で席に着いた私の耳に、周囲の雑音が耳に入ってくる。


 試験を心配する友人同士の会話や、見覚えのない令嬢に興味を示す人達の会話。でも、いまの私には必要のない情報だと意識から閉め出した。

 ほどなく、試験官が入室し、軽い説明の後にプリントが配られた。



 午前の試験は無事に終わった。自己採点ですべて満点――なんてことはさすがにないけど、目標の成績には十分届いていると思う。その程度の手応えは感じていた。


 それよりも問題なのは、昼休みが一時間近くあるということ。

 入試に必要なことを優先的に勉強したいまの私は張りぼてのお嬢様だ。だから他人と接点を持ちたくないのに、なぜか周囲の人達から注目を浴びている。

 それに気付いた私は、休み時間のたびに、予習をしているから私に近づくなというオーラを出すことで事無きを得ていた。けど、昼休みはそうもいかない。

 誰かに話しかけられるまえに昼食を食べ終え、すぐに人気のない中庭へと退避した。


「うわぁ……さすが、財閥の子息子女が集まる学園だね。なんというか……規模が違うよ」


 中庭に庭園があった。

 いや、そりゃ中庭なんだから、庭があるのは当然だと思うかもしれない。

 でもそこに広がるのは、学校の中庭と聞いて思い浮かべるようなちゃちな庭じゃなく、観光地にありそうな立派な庭園である。


 すごいなぁ~と感心しながら庭園の中を歩く。そんな私の耳に、女の子の話し声が聞こえてきた。すぐに背筋を正し、自分は悪役令嬢のお仕事中だと暗示を掛けなおした。


 手の甲で、肩口に零れ落ちた髪をさっと払う。優雅に、そしてしたたかに振る舞う。私はいつでも邂逅できる準備を済ませたけれど、声の主達は近付いてこない。


 来ないのなら、あえて接触する必要はない。踵を返そうとした私の耳に、「なんとか言ったらどうなの、庶民?」と相手を侮辱するような声が聞こえてきた。


 もしかして、イジメの現場? こんな、試験の真っ最中なのに?


 さすがにあり得ないと思いたい。

 だけど私は、シャノンから言われたことを思いだした。


 言い方は悪いけど、この学園はお金とコネさえあれば入学できる。

 よって、この学園に通う人間は三種類いる。

 財閥の子息子女としてたゆまぬ努力を続ける者達と、財閥の子息子女であることしか誇るものがない者達。そして、優秀であることを理由に入学した庶民の子供達である。


 ゆえに、財閥の子息子女であることしか誇るものがない者達は、成績優秀な庶民に嫉妬し、その生まれを見下す傾向にある。

 もしかしたら、そういった女の子が、庶民の女の子に絡んでいるのかもしれない。そう思って曲がり角から顔を覗かせると、そこには予想通りの光景が広がっていた。


 壁際に人影が一つ。

 二人の女の子が、その人影を取り囲んでいる。

 テンプレ過ぎて溜め息しかでない。

 関わるのはまずいから、さっさと先生を呼んでこよう。そう思った瞬間、足元に落ちていた木の枝を踏んでしまう。その枝が折れて、思いのほか大きな音が鳴った。

 

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