エピソード 2ー9

 そんな――と、悲鳴を上げそうになる。予想外の質問でボロが出ることは危惧されていたけど、決められた動きをこなすだけなら及第点だとお墨付きをもらっていた。

 なのに、いきなり三十点は予想外だ。

 でも、お姉様に三点と言われたときのように気を抜いたりはしない。


「なにぶん若輩者ですゆえ、なにか失礼があったのならご容赦ください」


 未熟だから許して! と、礼儀よく訴えかける。


「なるほど、報告にあったとおりだな」

「ええ、本当に。紫月も面白い子を見つけたものね」


 さきほどまでの圧力が霧散して、穏やかなやりとりが聞こえてきた。

 お父様が「驚かせて悪かったね、少し試させてもらったよ」と笑った。続けて、お母様からは「聞きたいこともあるでしょう。まずはお掛けなさい」と席を勧められる。


 私は戸惑いながらも、それを表には出さずに席に座る。

 ひとまず、第一関門はクリアできたと思っていいのかな? まだ会食は始まってすらいないというのに、私の精神力はギリギリのところまで削られている。

 このままへたり込みたい気分だけど、妹のためにと歯を食いしばった。


 お父様は桜坂 深夜しんや

 黒髪に黒い瞳、一見すると地味な容姿にも見えなくないけれど、顔立ちは超イケメンのおじさまである。さすが、紫月お姉様のお父様、といった感じだ。


 続けてお母様は桜坂 深雪みゆきアメリアという。

 ブロンドの髪に、澄んだ青い瞳。紫月お姉様の産みの親のはずなのだけど……どう見ても二十代前半くらいにしか見えない。物凄く綺麗なお姉さんだ。


 この二人に気に入られないと、私の、妹の将来はない。なにから話せば良いかなと考えを巡らせていると、お母様がふわりと笑った。


「さあさあ、そんなに堅くならないで。今日は無礼講だから、もっと楽にしてちょうだい」


 私は微笑みで応じつつ、無理難題来たよ! と心の中で悲鳴を上げる。

 無礼講とは、礼儀作法や身分差を無視しておこなう宴会のことである。その言葉通りなら、私は素の態度で二人と接しても構わないということになる。


 でも、それは罠だ。

 想像してみて欲しい。無礼講の席で、上司が部下にお酒をつぐだろうか? あるいは、上司のグラスが空なのを放っておいて、部下は許されるだろうか?


 無礼講とは、身分差を気にせず振る舞ってもかまわない宴会ではない。上司が部下に、身分を関係なく自分を慕っていることを証明させる宴会なのだ。

 ――と、シャノンから教えられた。


 正直、私に宴会のことは分からない。でも『身分差は気にしなくていいよ』が、『身分差に関係なく気にして欲しい』という解釈になるのはなんとなく分かる。

 だから、この無礼講も言葉通りの意味ではないだろう。


 じゃあ、この場合の答えはなんだろう? 純粋に、お父様とお母様を慕っている自分を見せれば良いのだろうか? そんなことを考えていると、お母様がクスクスと笑う。


「この娘、目がせわしなく動いてるわね」

「実に興味深い。あれこれ深読みしているようだな」


 二人が話し合っているけれど、私にはなんのことか分からない。どう対応すればいいのだろうとテンパっていると、お母様がもう一度「楽になさい」と口にした。

 その言葉には私を気遣うほかに、そうしなさいという明確な意思が込められていた。


「分かり、ました」


 彼女の言葉に逆らってはいけない。そんな本能に従って、努めて身体の力を抜いた。その瞬間、お母様が楽しそうに笑い声を上げた。


「見ましたか、あなた。この娘、わたくしの意思を明確に読み取りましたわ」

「なるほど。未熟だが愚かではない、か。紫月が言ったとおりだったな。澪、おまえの素質は十分に見せてもらった。今回の試験は合格だ」

「……え?」

「よかったわね、澪ちゃん」


 二人から掛けられていた圧力が消えている。

 私は安堵からテーブルに倒れ込みそうになり――寸前のところで踏みとどまった。試験が終わったとしても、二人との会食が終わった訳じゃないから。

 そうして緊張感を保つと「今度こそ、本当に合格」とお母様が呟いた。


 今度こそ、本当に――と言うことは、さっきの合格は嘘だったと言うことかな? というか、本当に合格という言葉が本当に合格という意味だと信じてもいいのかな?

 私はちょっと疑心暗鬼になってしまう。


 でも、お母様はくすくすと上品に笑って、ウェイターに視線で合図を送った。

 ほどなく、私達の席に料理が運ばれてくる。

 さっきのは最初の試験で、次はテーブルマナーの試験とか言うのかな? そんな風に警戒していると、お父様が「ほどほどにがんばりなさい」と言った。


「……ほどほど、ですか?」

「澪、キミが私達の娘となる以上、財界人としてのマナーは完璧に身に付けなくてはいけないよ。だけど、それは今日じゃなくてもかまわない」

「澪ちゃん、現時点での貴方のマナーは落第点もいいところよ。だけど、マナーを学び始めてから、まだ三週間しか経っていないでしょう? その成長速度は目を見張るものがあるわ」


 二人は手元のスマフォに視線を落とした。

 それを見て気付く。私のスマフォに入っているアプリに表示された私のステータスは、過去のデータを含む、家庭教師の先生への聞き取りで算出した私の成績表だ。

 それほど分かりやすいデータを、紫月お姉様が両親に見せていないはずがない。


 つまり、将来性を加味しての合格。それを理解した私は、また紫月お姉様に助けられちゃったなと独りごちた。それから二人に「ありがとうございます」と頭を下げる。


 こうして、二人との会食が始まった。試験が終わりという言葉は真実だったようで、二人は私に至らぬところがあっても笑って許してくれた。


 二人は庶民の暮らしに興味があるようで、実家のことをいくつか質問された。それから、妹のことを聞かれ、妹のためにバイトをしていたと話したら妹想いだと褒められた。

 そうして、私達は少しずつ打ち解けていった。


「しかし、ある娘を養子に引き取って欲しいと、紫月からお願いされたときはなにごとかと思ったよ。なんせ、いきなりのことだったからね」


 ワインが回って口が軽くなったのか、お父様がおもむろにそのようなことを口にした。


「えっと……ごめんなさい。ご迷惑でしたよね?」

「ん? あぁいや、驚きはしたが、迷惑とは思っていないよ。澪、キミの人と人となりを知ってからは特にね。ただ、紫月はあまり同世代の子供に興味を示さなくてね。だから、キミを引き取って欲しいと言われたときは本当に驚いたんだ」


 お父様がそういうと、お母様が頬に手を添えて「本当にね」と同調した。


 なんか、提案したのが紫月お姉様だったから驚いた、みたいに言ってるけど『この子をうちの子にして欲しい』と娘が女の子を連れてきたら、誰だって驚くと思う。

 やっぱり、庶民と財閥の人間のあいだには価値観の違いがあると思う。


「親バカと思われるかもしれないけど、紫月は小さい頃からとても賢くてね。同世代の子供と遊ぶのは退屈だといって、友達を作ろうとしなかったんだ」

「わたくし達は、紫月ちゃんがあなたを連れてきたこと、とても嬉しく思っているのよ」


 二人は私のことを、紫月お姉様の友達になることを期待してるみたいだ。

 だから私は少しだけ胸を痛めた。悪役令嬢となって、彼女の代わりに破滅する。そんな私が、彼女のよき友人になれるとは思えないから。

 だけど、それでも――


「私は紫月お姉様に大きな恩があります。だから、私が妹として紫月お姉様に出来ることがあるのならなんだってします。それに、紫月お姉様と仲良くしたいって、心から思ってます」

「……そうか、キミは良い子だな」

「紫月ちゃんと仲良くしてあげてね」


 二人は目元をそっと拭って笑みを浮かべた。



 こうして、両親との初めての会食は無事に終わった。

 そして帰り際。

 お父様が思い出したかのようにカードを差し出してきた。


「澪、キミにクレジットカードを渡しておこう。なにか欲しいものがあればそれで買いなさい。月に百万まで使えるから、それを超えるようなら相談するといい」


 私は咽せた。

 来年から高校生になる、それも義理の娘のお小遣いが月に百万円。しかも、それを越えるようなら相談しなさいって、相談したら使ってもいいの?


 お父様がこんなことを言ってるけど、止めなくていいんですか? と、お母様に視線で問い掛ける。彼女は私の言いたいことを理解してくれたようで、お父様をきっと睨みつけた。


「あなた、妹さんのためにがんばって、そのうえ紫月のためならなんでもするなんていう健気な娘に、たかだか百万しか使わせないつもりですか?」

「ふむ、深雪の言うとおりだ。カードの二、三枚……いや、ブラックカードを作るべきか」


 違う、そうじゃないよ!


「あ、あの、ちょっと待ってください。私にそんなカードを渡されても扱えません。それにブラックカードってたしか、限度額がないんじゃありませんか?」


 私がそう尋ねると、お母様がふふっと笑った。


「勉強不足ね、澪ちゃん。ブラックカードの限度額は多くても数千万程度よ。限度額がないカードなんて、中学生の女の子に渡すはずがないじゃない」


 ブラックカードって限度額があったんだ、知らなかった。というか、月に数千万程度なら、中高生のお小遣いとして常識の範囲みたいに言わないで欲しい。

 ……桜坂家では常識の範囲なのかな?


「私、分不相応なカードは受け取れません。でも、桜坂家の娘として当然のことだというのなら努力します。だからまずは一枚だけ……使わせていただけますか?」

「ええ、もちろんよ。毎月限度額まで使える程度にはがんばりなさい」


 お母様がお父様の手からカードを受け取り、それを私に手渡してくれた。私はそれを大切に受け取り、手提げ鞄の中にしまう。

 こうして、私はちょっぴりだけ桜坂家の令嬢らしくなった。

 

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