エピソード 2ー8

 私が桜坂家の養子に相応しいかどうか、両親がその目で確かめる。その試験として、桜坂グループが経営するホテルで両親と食事をする、というミッションを与えられた。

 ということで、マナーを学ぼうとした私だけど、そこに現れたシャノンに捕まった。そうして着替えさせられると、そのまま車に放り込まれる。


「……何処へ連れて行くつもり?」

「ヘアサロンとエステ、それに自社ブランドの洋服店です」

「あ、あぁ、そっか。身だしなみもちゃんとしないと、だよね」


 まだ専門的なことは学んでいないけど、高級ホテルのレストランにドレスコードがあることくらいは予想出来る。


「……って、私、そんなにお金、ないんだけど」

「桜坂家のご令嬢がなにを言っているんですか? 先に言っておきますが、お店で値段を気にするような素振りは止めてくださいね」

「うぐっ、気を付けます」

「あと、今日からご両親との会食の日まで、夜更かしは禁止です」

「え!? がんばらないと間に合わないんだけど」

「では、夜更かしをする代わりに、努力で目の下のクマを消してください。それが出来ないのなら、健康的な生活でクマを消して、限られた時間で成績の方をなんとかしてください」

「……わ、分かったよ」


 どんな手を使ってもやるしかないと言うことだ。最悪、メイクアップアーティストを呼んでもらって、クマを隠してもらうという方向でなんとかしよう。


 ――と、そんな感じで、おしゃれカンケイも本格的にテコ入れを始めた。

 オシャレには憧れていたけど、私が思い描いていたのはもっとフワッとオシャレを楽しむことだ。こんな、綺麗になることに命を懸けるような想定はしていない。


 もちろん、テーブルマナーも忘れてはならない。マナーを身に付けるのは実践が一番と言うことで、朝昼晩の食事を使って、徹底的にテーブルマナーを叩き込まれた。

 もちろん、いままで通りに勉強は普段通りに続けつつ、だ。


 こうしていままで以上に忙しく、だけど健康にも全力で気を使った三日が過ぎ、ついに両親との会食の日がやって来た。


「澪お嬢様、髪型はハーフアップでよろしいですか?」


 シャノンを筆頭に、桜坂家のメイド達が私を着飾っている。髪や顔、それにお肌はもちろん、爪の先までエステで磨き上げられた私をブランド品が包み込んでいく。


 純金のチェーンで吊られた肩出しのブラウスは、暖かそうなグリーンに染めたカシミヤで、スカートは同じく暖かい生地を使った、赤のハイウエスト。足元はガーダーで吊ったニーハイのストッキングにブーツという出で立ちだ。


 そのコーディネートを用意したのはシャノンである。ファッションセンスを勉強中の私は丸投げしたんだけど、にもかかわらずお嬢様風のファッションは私の好みど真ん中。

 さすがと言うほかはない。


 私はその上にショールを羽織り、下は編み上げのブーツを履いてリムジンに乗り込んだ。いまの私を見て、中身が庶民の女の子だと見破る者はほとんどいないだろう。

 ……紫月お姉様みたいな、本物のお嬢様には見破られそうな気がするけど。というか。紫月お姉様に見破られるなら、ご両親にも見破られるのでは……?

 あぁぁ、そう考えたら不安になってきた!

 でも、やるしかない!

 絶対認めてもらうんだと意気込んでいると、リムジンが桜坂グループが経営するホテルのまえに到着する。すぐにドアマンがリムジンのドアを空けてくれた。


 冬の寒気がさぁっと吹き抜けた。地面に降り立ち、静かにホテルを見上げる。決して成金趣味じゃない。上品でありながら、高級感のあふれる高層ビルがそびえ立っている。


 いよいよ、桜坂財閥の先代当主の息子夫婦――つまりは私の里親とご対面である。

 ちなみに、二人は先代当主の息子夫婦という肩書き以外にも、お父様はこの桜坂ホテルの会長、そしてお母様は洋服を手掛ける桜ブランドの会長という肩書きを持っている。

 ほんと、なんというか……桁が違う。

 驚きすぎて、どうりでいつも家にいないはずだよと、妙な感心してしまったほどだ。


 とにもかくにも、私はドアマンの案内でホテルの中に足を踏み入れる。

 すぐに冬の冷たい空気が閉め出され、湿度の保たれた暖かい空気が肌を包みこむ。いまの一瞬のためだけに身に付けていたショールは脱いで、それをホテルの受付に預けた。

 預かり証はシャノンに手渡し、ベルマンに桜坂家の娘であることを告げた。


「お待ちしておりました、澪お嬢様。どうぞこちらに、最上階でご両親がお待ちです」


 ベルマンがあらかじめ呼んでいたエレベーターに乗り込んだ。正面はガラス張りで、そこから夜の街並みが広がっている。わずかに重力が増し、景色が見る見る小さくなっていく。

 わずか一分足らずで数百メートルを昇り、エレベータは静かに停止する。


 ぎゅっと目を瞑り、ブラウスの胸元に指を添えて深呼吸を一つ。私はエレベータが開くのに合わせて目を開き、滑るように廊下へと踏み出した。


 そうして案内されたのは最上階にあるレストランのVIPルーム。

 約束の十分前だけど、既に夫妻は到着しているという。私はそれを確認した上で部屋の前に立つ。ベルマンがノックをして、中の二人に私の来訪を告げた。


「入るように伝えてくれ」


 中から聞こえるのは、少し若い、けれど厳かな声。ベルマンは「かしこまりました」と応じると、私に「どうぞ、ご両親が中でお待ちです」と頭を下げる。


「ありがとう」


 私はかろうじて微笑んで、内心ではパニックになりそうな心を必死に押さえ込む。


 いまの私は桜坂財閥のご令嬢、悪役令嬢の澪だ。そう言い聞かせて、なんとか自分の平常心を保とうとする。私は意を決して部屋の中へと足を踏み入れた。


 二人は席に座って私を出迎えた。彼らが座る席の向かいに立ち、張り詰めそうなほどの集中力を発揮してカーテシーをおこなう。


「お父様、お母様、お初にお目に掛かります。紫月お姉様のご提案と、お二人のご厚意で養子にして頂くという栄誉に預かりました澪にございます。どうぞお見知りおきを」


 シャノンさんと相談して決めた挨拶だ。だから、挨拶に問題はない。問題があるとすれば、その挨拶を口にする私の立ち居振る舞いだ。

 指の先々まで神経を張り詰めさせて、一分の隙もないように挨拶をする。

 何度も練習した成果をここで発揮する。


 カーテシーは膝を曲げても腰は曲げず、まっすぐに夫妻の姿を視界に収める。

 さすが紫月お姉様のご両親というだけあって、二人とも品がよく、それでいて華やかさも持ち合わせている。そんな二人が顔を見合わせて頷きあい、視線を戻したお父様が口を開いた。


「三十点」

 

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