エピソード 2ー6

 そんな日々が二週間ほど過ぎた。最初のミッション、目標値までステータスを上げる期日である入試まで残り二週間ほどに迫っている。

 そんなある日。


「澪お嬢様、机で寝たら風邪を引いてしまいますよ」


 自室で机に向かってその日の復習をしていたはずの私は、シャノンに肩を揺すられてハッと顔を上げた。どうやら寝落ちしてしまっていたようだ。

 慌ててノートと時計を確認する。


「もうこんな時間っ。起こしてくれてありがとう」


 うっかり眠ってしまったせいで、今日の分の復習がまったく終わってない。慌てて勉強を再開しようとすると、シャノンが溜め息交じりに教科書を閉じた。


「シャノン、なにをするの?」

「そんなに根を詰めても効率が悪くなる一方ですよ」

「それでも、やらないよりはマシでしょう?」


 このままじゃ間に合わないと言うことはなんとなく分かっている。でも、出来るか出来ないかじゃない。私にはやる以外の選択がないのだ。

 そうして教科書を開こうとすると、シャノンが教科書を取り上げてしまった。


「澪お嬢様、紫月お嬢様がお呼びですよ」

「紫月さんが? もしかして帰ってきたの?」

「はい、さきほど帰宅なさいました。お部屋でお待ちですよ」

「分かった、すぐに向かうと伝えて」


 シャノンに伝言を託し、さっと身だしなみを整える。

 紫月さんと顔を合わせるのは、私がこの家に来た日ぶりとなる。私を迎え入れた直後、紫月さんは用事があると言って海外に行ってしまったからだ。


 私に希望を与えてくれた紫月さんには感謝している。でも、だからこそ、彼女から与えられたミッションに手こずっているいまの私は後ろめたさを感じている。


「……って、弱気になってどうするのよ、私。この二週間でしっかり成長してるって、紫月さんに証明しないとでしょ!」


 自分を叱咤して、私は紫月さんの部屋へと向かった。扉の前で深呼吸。丁寧に扉をノックをして、返事を待って部屋に入る。

 紫月さんはソファに腰掛けていた。私はいままでに学んだマナーと照らし合わせ、財界では目上の人から声を掛けられるのを待つのが一般的という法則に従って待機する。


「澪、久しぶりね」

「はい。ご無沙汰しております、紫月さん。その後、おかわりはありませんか?」


 気遣いたっぷりに答える私に、紫月さんは「三点」と辛辣なことを言った。


「……そんなに酷かったですか?」


 悔しさと情けなさ、それに恥ずかしさに耐えかねて、私は俯いて唇を噛む。


「まず、その反応が間違いね。いま程度の揺さぶりで素を晒すようじゃダメよ」

「す、すみません」


 三点と言われた瞬間、勝手に試験が不合格に終わったと思って気を抜いた。どんな状況でも気を抜いたらダメだと教えられていたはずなのに、私のばかばか、しっかりなさいっ!


「申し訳ありません。何処が悪かったのでしょう?」


 気を取り直した私は、背筋をただして問い掛けた。


「まず、その取引先の相手に使うような振る舞いをなんとかしなさい。ここは自宅で、貴女はわたくしの妹なのよ? あのときのように、わたくしのことは姉と呼びなさい」

「分かりました、紫月お姉様」

「あら、紫月お姉ちゃんでもかまわないのよ?」

「いえ、さすがにそれは恐れ多いです」

「……まあいいけど」


 あんまりよくなさそうな顔で言われた。もしかして、紫月お姉ちゃんって呼ばれたかったのかな? ……いや、さすがに、桜坂財閥のお嬢様がそんなことは思わないよね。


「それじゃ次。どうしてそんなにぎこちないのよ?」

「申し訳……いえ、ごめんなさい」


 姉と接する妹を意識して、謝り方を変えてみた。紫月お姉様はそれに小さく頷いて「口調を相手に合わすのはあってるけど、謝って欲しい訳じゃないわ」と笑う。


「澪、貴女はバイトでしっかりと接客をしていたでしょ? あのときの所作は綺麗だったじゃない。なのに、いまはどうしてそんなにもぎこちないの?」

「それはだって、あのときはお仕事中だったから……」

「なら、いまも仕事中だと思いなさい」


 紫月お姉様の言葉に私はハッとした。素の自分を変えるのは難しい。でも、接客中に相応の立ち居振る舞いをするのは既に一年ほど続けてきた。

 ウェイトレスのお仕事同様、いまは悪役令嬢のお仕事をしていると思えばいいのだ。


 私は紫月お姉様の振る舞いを思い返し、そこにネット小説で覚えた悪役令嬢のイメージを重ね合わせる。そうして、手の甲で肩口に零れた髪をばっと払った。


「ご機嫌よう、紫月お姉様。二週間ぶりかしら?」


 一瞬の沈黙を挟み、紫月お姉様に爆笑された、酷い。


「……拗ねますよ?」

「ご、ごめんなさい。でも、なんて言うか……ふふっ、すごくはそれっぽかったから、ギャップの差に思わず、ね。……うん、悪くなかったわ……っ」

「……悪くないというならせめて、身を震わすのをやめてください」


 実は馬鹿にしていませんかと、疑惑の目を向ける。


「嘘じゃないわ。ぎこちなさは残るけど、さっきまでよりはよくなっているわ。やっぱり、わたくしが見込んだだけのことはあったわね。――と、まずは掛けなさい」


 向かいのソファを勧められる。私はその言葉に従ってソファに腰を下ろした。

 紫月お姉様は私を見ると、小さな笑みを浮かべた。


「報告は受けているわよ。礼儀作法以外も、色々と苦戦しているみたいね」

「……ごめんなさい」

「謝らなくていいわ。貴女が未熟なことは知ってるもの。それに、その不足を埋めようと、死に物狂いで努力していることも、その目の下のクマを見れば分かるわ」

「でも、試験に合格できなければ……」


 努力は裏切らない。それはきっと事実だろう。だけどそれは、努力すれば目標を達成できるという意味じゃない。努力したぶんだけ、自分が成長するという意味だ。

 だけど、努力で身につくものがあったとしても、合格できなければ雫は救えない。いまの私にとって、努力したなんて言葉はなんの意味も持たない。


 そして、今日まで一切の手を抜かずに努力を続けた私には分かっている。このまま努力を続けても、絶対にミッションの目標値まで自分の能力を上げることは出来ない、と。


 どうにかしなくちゃいけない。

 それが分かっているのに、いまの私にはその対策が思い付かない。このままじゃ、機会を与えてくれた紫月お姉様にも申し訳が立たないし、なにより雫を救うことが出来ない。

 どうしたらいいの――と、きゅっと目を瞑った。

 そんな私の頬に手のひらが触れた。驚いて目を見開くと、ローテーブルに片手を突いて身を乗り出していた紫月お姉様が、私の頬を撫でていた。


「紫月、お姉様……?」

「追い詰めてごめんなさい。本当は分かってたの。いまの貴女がどれだけがんばっても、この短期間でミッションを達成するのは無茶だって」

「……え? じゃあ、どうして無理な目標を……まさかっ、悪役令嬢の話や雫を救う手段があるって話は嘘だったんですか!? 私をからかったんですか!?」


 反射的に紫月お姉様の手を払いのけた。そうして紫月お姉様を睨みつけると、彼女は席に座り直してゆっくりと首を横に振った。


「落ち着きなさい。悪役令嬢のことは本当よ。それに、妹さんを救う手段があるのも本当。ただ、貴女には知っておいて欲しいことがあったの」

「……知っておいて欲しいこと、ですか?」

「貴女に課したのは乙女ゲームのイベントを元にしたミッションだけど、決してゲームのミッションじゃない、ということを、よ」


 なぜそんな当たり前のことを言われるのか、理解できないと首を傾げた。


「そんなの、言われなくても……」

「分かってる? なら、どうして目標を達成できないと知りながら、その目標を変えようとしなかったの?」

「……目標を、変える?」

「ミッションの期限は入試の当日まで。それは、貴女がヒロインの壁となって立ちはだかるためだけど……ヒロインが貴女のステータスを確認する方法はあるかしら?」

「それは……入試の結果で分かるんじゃありませんか?」

「試験結果の詳細は部外秘よ。もちろん、調べようと思えば調べられるから、出来れば目標点は取ってもらいたいところね。だけど、入試にない項目はどうかしら?」


 言われて目を見張った。


「体育は……入学までで問題ない。魅力関連も……ヒロインに出会うまでは誤魔化しが利きますね。教養は……面接があるから無視は出来ませんか」

「あら、面接なんて、質問内容をリークさせればいいでしょう」


 紫月お姉様はとても悪い顔をした。

 

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