エピソード 2ー4

「澪お嬢様、お加減はいかがですか?」


 ぼんやりと目を開くと、ベッドの天蓋が視界に広がる。その直後に降って下りた声に視線を向けると、ベッドの横に置かれた椅子にシャノンが座っていた。


「あれ、どうしてシャノンがここに? と言うかここは……私、どうしたんだっけ?」

「澪お嬢様は、恭介様の素性を知って意識を失われたのです」

「恭介さんの素性……あ、そうだ!」


 色々と思い出して飛び起きる。周囲を見回すが、恭介さんはもちろん、紫月さんの姿もない。どうやら私は、寝室のベッドで寝かされていたらしい。


「うぅ……あれから、どうなったの?」

「ご心配なく。特に問題にはなっていません」

「そっか……」


 安堵しつつ、自分のやらかしたことを思い返して深く反省する。

 紫月さんが侮辱されたと思って腹を立てた。でも、あの後のやりとりを考えると、恭介さんは紫月さんを心配して、その要因である私を排除しようとしていただけだ。

 私の軽はずみな行動が自体を複雑化して、紫月さんに迷惑を掛けるところだった。


「シャノン、お願いがあるんだけど」

「……なんでしょう?」

「これ以上、私が紫月さんに迷惑を掛けないように、色々と教えてくれないかな?」


 紫月さんに迷惑を掛けたのは、私が未熟だったからだ。そして自分の未熟さを自覚したとき、次にどうしたらいいかはバイトを通じて楓さんに教えてもらった。


 分からないことは分からないと打ち明け、次は迷惑を掛けないように必要なことを学ぶ。だから、色々と教えて欲しいとお願いする。

 そんな私をまえに、シャノンは目を見張った。


「……なるほど、未熟ではあっても、愚かではない……ですか。紫月お嬢様からの課題をどう伝えるべきか考えていたのですが、迷う必要はなかったですね」

「紫月さんからの課題?」

「まずはこちらへお越しください」


 シャノンがローテーブルのまえにあるソファを指し示す。私はベッドから足を下ろし、そこに置かれていたスリッパを履いてソファに腰掛けた。

 シャノンはそんな私の前、テーブルの上にスマフォを置いた。


「わぁ、先日発売されたばかりの最新機種だね。これはシャノンのスマフォ?」

「いいえ、それは澪お嬢様のスマフォです」

「え?」

「澪お嬢様のスマフォです」


 念押しをされた。

 だけど、私はママに買ってもらったスマフォを持っている。


「もしかして、桜坂 澪用のスマフォってこと?」

「そうなります。ただ、既存の回線もそのスマフォに登録してかまいませんよ。着信音を変えておけば、トラブルになることもないでしょう」


 なんと、一台のスマフォに二つの番号を登録できるらしい。それなら、一台のスマフォで、佐藤 澪の回線と、桜坂 澪の回線を使い分けられる。

 庶民的にはお金の無駄だと思うけど、他人を演じる上では必要なことだろう。


「回線の件は後で説明しますので、まずはアプリを開いてください」


 シャノンさんの指示に従って、桜花グループのアイコンをタップする。すると、まるで乙女ゲームのような画面が表示され、そこにデフォルメされたキャラが表示された。


 少しだけ青みを帯びた黒髪に、ほのかに紫色を滲ませた黒い瞳。

 何処かツンツンとした制服姿の女の子だ。


「この子、なんだか私に似てない?」

「それは澪お嬢様ですから」

「え、ほんとに私なの!?」


 ちょっとした冗談で、本当に私だとは思ってもみなかった。


「え、というか、どうして私をデフォルメしたキャラがアプリに?」

「それは、紫月お嬢様の証言を元に桜花グループが開発した、原作乙女ゲームのステータス画面です。横に各項目が表示されているでしょう?」

「えっと……あぁ、これだね」


 シャノンも原作乙女ゲームのことを知っていたんだと驚きつつ、言われたとおりに確認する。そこには、育成系の乙女ゲームなんかでありそうな数値が並んでいた。

 ただし、普通の乙女ゲームと違い、項目がすごく多い。

 体力、魅力、礼儀、道徳、数学、国語、理科、地理、歴史、芸術、外国語、情報……といった感じで並んでいて、体力には走力や持久力といった感じで、更なる詳細が存在した。


 その数値を眺めていると、私はあることに気が付いた。相対的に見て、私の得意科目は数値が高く、不得意科目は数値が低い。


「もしかしてこれ、私の実際の成績が反映されてるの?」

「中学の成績を反映した暫定的な数値ではありますが、それなりに精度の高いデータとなっているはずです」

「……なるほど。じゃあ、魅力が低いのは……?」


 女の子として、そこに追及せずにはいられない。


「魅力の詳細を見てもらえば分かりますが、ファッション関連に興味がなさすぎます。髪も自分で切っているようですし、化粧にも興味を持っていませんね? もちろん、家庭の事情があることは存じておりますが、今後は改善していただきます」


 容姿に無頓着なのが原因だと知って、ちょっと複雑な気持ちになった。元は悪くないと慰められているよりも、容姿に気を使えと叱られている気がしたからだ。


「改善って、具体的には?」


 小首をかしげると、シャノンがちょっと失礼いたしますと私のスマフォを操作した。私の数値に並んで、異なる二つの数値が表示される。


「これは……他の誰かのステータスですか?」

「ご明察です。総合的に高い方が、紫月お嬢様の原作乙女ゲームの記憶から算出した、入学時の悪役令嬢のデータで、もう片方は現在の乃々歌様のデータです」

「これが、現在のデータ……」


 悪役令嬢――つまりは原作乙女ゲームの紫月さんのステータスは、モラル回りを除けば総じて私よりも高い。とくに芸術や外国語回りは抜きん出ている。

 けれど、乃々歌さんの方は私と大差がない数値だ。負けている部分もあるけれど、逆に私が勝っている部分もある。平均すれば、ほとんど同じくらいだろう。


「ヒロインの乃々歌様は、悪役令嬢のステータスを目標にして成長いたします。そして、ハッピーエンドを迎えるには、高ステータスであることが必須なのです」

「それなら、乃々歌さんに勉強を教えた方がよくない?」


 遠回りしなくても――と、私は首を傾げた。


「原作乙女ゲームでは、ステータス差が多いほど補正が掛かるそうです。現実でその影響があるかは分かりませんが、悪役令嬢がライバルである必要はあるそうです」

「……そういうこと」


 越えるべき壁と言うのは、大抵の物語で設定されている。

 噛ませ犬の悪役令嬢に相応しい役割だ。


「という訳ですので、入試までに悪役令嬢のステータスに追いついてください」

「……え? この数値に追いつけって言うの?」

「はい」

「入試までに?」

「そうです」


 私は声にならない悲鳴を上げた。

 学業をおろそかにしたつもりはないけれど、バイトに重きを置いていた私の成績は決して優秀だとは言えない。総合的に見て、真ん中よりも少ししたくらいである。


 対して、悪役令嬢のステータスは上の下と言ったところだ。

 それだけなら、まだ可能性は感じられる。だけど、礼儀や魅力、それに芸術の項目の差は絶望的である。これを入試まで――一ヶ月やそこらで埋めるのは不可能だ。


「……諦めるのですか?」


 私の内心を見透かしたかのように、シャノンが私に問い掛けた。

 ……そうだ。雫のためにも、ここで諦めることは出来ない。出来るかどうかは分からないけれど、私に選べるのは前に進むことだけだ。


「……家庭教師くらい、付けてくれるんだよね?」


 覚悟を問われた私は、そっちこそ準備は出来ているのかとやり返す。その瞬間、シャノンは猛禽類のようににやっと笑って見せた。


「当然、すべての分野においてスペシャリストをご用意しています。紫月お嬢様の代わりを果たすのですから、目標達成くらいは楽にしてもらわなければ困りますよ?」

「上等じゃない。この程度の目標、余裕でこなしてみせるから!」


 挑発に乗って啖呵を切った。

 そして私は、そのことを秒で後悔することになる。


「安心いたしました。澪お嬢様にこなしていただかなくてはいけないミッションは他にも多くあるので、これだけで一杯一杯だと言われたらどうしようかと困るところでした」

「……え?」


 売り言葉に買い言葉だっただけで、ステータス的に追いつくだけでも危ない。なのに、これよりさらにミッションがあるなんて、どう考えても無理だ。

 目を見張った私の前で、シャノンが再びアプリを操作する。

 するとアプリにスケジュール表のような物が表示された。


「優先度が高く、早急に澪お嬢様がこなさなくてはいけないスケジュールが書き込まれています。まずはご確認ください」


 言われたとおりに確認すると、三つのミッションが表示されていた。


 一つ目は既に聞かされた内容。期日までにステータスを目標値まで上げろというものだ。

 悪役令嬢を続けていく上でのチェックポイントのようなもので、一学期の中間試験ではこれだけ、期末テストではこれだけといった感じでハードルが上がっていくらしい。

 ただ、それらの数値は暫定的な物で、ヒロインの成長具合によっても変動するとあった。


 そして二つ目は、魅力関連のステータスを上げて、桜花ブランドのイメージキャラクターとして、ファッション誌のモデルを務めろという内容だった。

 どうやら一学期のあいだに、ヒロインがそのファッションを真似て、それに対して悪役令嬢がマウントを取る――というイベントがあるらしい。

 当然だが、そのイベントを発生させるには、私がモデルを務めている必要がある。

 そして最後のミッションにはNEWというマークがついていた。


「この『突発的な試験をクリアして、両親に認められろ』というミッションはなに? 詳細が書かれていないみたいだけど……」

「実は、恭介様が紫月お嬢様のご両親に進言なさったようです。澪お嬢様が桜坂家の養子に相応しいかどうか、ちゃんとたしかめるべきだ、と」

「し、仕事が速い……っ」


 さっそく仕掛けてきた。

 だけど彼は、私が紫月さんの害になると判断すれば、どんな手を使っても排除すると宣言していた。予想より動きが速かっただけで、横やりが入るのは予想できたことだ。


 落ち着いて考えよう。

 私が目指すのは、悪役令嬢になってその役目を果たすことだ。

 必要最低限の礼儀作法や知識を身に付けることも出来ないで、立派な悪役令嬢になれるはずがない。元々目標ステータスを達成する必要もあるのだからやることは変わりない。

 だから、今更慌てても仕方ない。私はただ、目標に向かって突っ走るだけだ――と、そこまで考えたとき、どうして恭介さんがそこまで心配するんだろうと気になった。


「……そういえば、紫月さんは恭介さんと仲がいいの?」

「紫月お嬢様が仰るには、乙女ゲームの攻略対象だそうで、敵対しているそうです。なので、いまは仲がよく見えても、決して油断は出来ないと仰っていました」

「……敵対?」


 私の抱いているイメージと逆なことに驚く。


「原作乙女ゲームがそうなので、お嬢様は警戒していらっしゃいます。ですが、人間関係が原作通りになるとは限らないのではないか――と、私は考えています」


 言われてさきほどのやりとりを思い出す。

 恭介さんが怒ったのは紫月さんのためだと思う。恭介さんが紫月さんを敵だと思っているのなら、敵に塩を贈るような真似はしないだろう。


「ありがとう、とても参考になったよ」

「それはようございました。それでは、勉強をがんばってください。貴女が紫月お嬢様のご期待に応えられることを、私は心から願っております」

 

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