エピソード 1ー7

「……もしかして、まだ話してないの? どうするつもりよ」

「大丈夫です。作戦はちゃんと考えています」

「作戦?」


 私はこくりと頷き、パパとママのことを思いだして微笑んだ。


「私のパパとママは凄く優しいんです。それに私達のことを心から大切にしてくれています。だから、娘を犠牲にするようなことは絶対にしない」

「そうね。でも、だからこそ、貴女を養子に出すのは反対するはずよ?」


 その言葉には首を横に振って応じた。

 医療費の肩代わりが条件なら、楓さんの言うように賛成してくれなかっただろう。でも、そうじゃない。私が養子になれば、雫の命を救う希望がある。

 だから――


「必ず賛成してくれると私は信じてます。だってパパとママは大切な娘のためなら、どんな犠牲だって厭わない優しい人だから」


 私がそういって笑うと、楓さんは複雑そうな顔をした。


「澪、貴女も二人の大切な娘なのよ?」

「もちろん分かっています」


 だからこそ説得できるという確信があった。


「……分かっているならもうなにも言わないわ。でも、なにか困ったことがあればいつでも相談しなさいね。貴女が私の可愛い従妹であることは変わりがないもの」


 優しく微笑む楓さんに、私は深く頭を下げた。



 準備は整った。

 私は満を持して、途中でシャノンさんと落ち合って家に帰った。そうして、紫月さんが私をいたく気に入って、養子にしたがっているという方向で両親を説得する。

 私が悪役令嬢になって破滅を目指す――という部分はもちろん秘密である。

 それでも――


「なにを言っているんだ、澪!」

「そうよ、貴女を養子になんて出すはずないでしょう?」


 桜坂家の養子になりたいと言う私に、パパとママは猛反対した。

 それは私にとって予想通りの反応だ。

 パパもママも凄く優しくて、心から私のことを愛してくれている。私が他所の子になるなんて言い出せば、絶対に反対すると分かっていた。

 だから――


「私が養子になれば、雫の病気が治せるかもしれないの」


 私は雫のことを持ち出した。

 パパとママの顔が目に見えて強張った。


「雫の容態、あまりよくないんだよね? でも、海外では、雫が患っている難病を治療する方法を研究する機関があって、その治療の治験が三年以内に終わると言われているの」

「その話なら私達も知っている。だが、雫がその治療を受けられるのは……」


 パパが唇を噛んだ。


「分かってる。普通ならもっと後になるんだよね? でも、紫月さんが言ってくれたの。桜坂家の養子になるのなら、コネを使って最速で治療を受けさせてくれるって」

「それは……」


 昨日の私と同じような心配をしているのだろう。私が一度通った道だから、それらを予測するのは簡単だ。だからその説明は、事前にシャノンさんにお願いしてある。

 パパとママに向かって、シャノンさんが口を開いた。


「澪様の仰っていることは事実です。もしも澪様が桜坂家の養子になることを受けてくださるのなら、最速で最新医療を受けられるように手配すると約束いたします」


 パパとママが顔を見合わせる。

 そこに畳み掛けるように、シャノンさんが追加の提案をする。


「その上で、雫様は財閥御用達の病院に転院させ、二十四時間態勢で容態をモニタリング致します。もちろん、それらに掛かる費用はすべて桜坂家で負担いたします」


 転院と、転院先でかかる入院費の件はすべて、私がひったくり犯から鞄を取り返したことへのお礼だ。でも私は、それが養子とセットであるかのようにパパとママを誤解させる。


「私が養子になれば、これだけの手当を受けられるんだよ」――って。


 紫月さんの提案はなにからなにまで至れり尽くせりだ。この話に乗れば本当に雫が助かるかもしれないと、一度は絶望した私が希望を抱くほどに。

 でも、だからこそ、パパとママは表情を強張らせた。私を養子に差し出して雫を救うか、私を養子に差し出さずに雫を諦めるか、どちらかを選ばなくてはいけないと気付いたから。


 絶望と希望をないまぜにして、どちらかしか選べない自分達の不甲斐なさに唇を噛む。そのときのパパとママの顔を、私はきっと一生忘れないだろう。

 パパとママは、雫の命と、私の養子縁組を天秤に掛け、その答えを出せないでいる。

 雫と同じように私を愛してくれている。

 ――だから、私はお願いした。


「雫を助けたいの。そのために、桜坂家の養子になることを認めてください」


 パパとママが、雫のために私を手放すんじゃない。

 私が、雫のために家を出る。それを認めて欲しいのだと懇願する。


 これで、二人は私のお願いを断れない。

 だって、パパとママは娘を心から大切にしている。

 娘のためなら、どんなことだってしてくれるほどに。


 だから、娘である私の本気の願いを無下にしたりしない。

 娘である雫を救える機会を手放したりしない。

 たとえそれが、愛する娘を手放す悲しみを背負うことと引き換えだとしても。


 だから、パパとママは泣きながら私に謝って、最後は私の選択を認めてくれた。

 その上で、シャノンさんに深く頭を下げた。


「どうか、娘達をよろしくお願いします」――って。



 こうして、私は桜坂家の養子になることが決定した。思ったよりもあっさりと事が進み、用意した切り札を使わずに済んだことに私は心から安堵する。


 それから、戸籍のロンダリングをすることになった。

 元庶民の養子では、悪役令嬢としての立場が弱いということで、私は庶民の娘と駆け落ちした、桜坂財閥の前当主の兄の孫娘ということになった。


 どうやら、駆け落ちした人物は本当にいるらしい。ただ、桜坂財閥の力でその家族の存在は隠されていて、見つけ出すのはほぼ不可能ということだ。

 その立場を私に当てはめた。

 庶民の娘と駆け落ちした前当主の兄と、その娘夫婦――つまり、私の祖父母と両親は、桜坂財閥の力でその居所や現在の名前を隠されていて、孫娘の私だけが桜坂財閥に復帰することになる。

 ――という設定。書類上のこととはいえ、立派な戸籍の改竄である。


 だから、この秘密は決して人に知られてはいけない。人前でパパやママの娘だと名乗ることは出来ないし、雫のお姉ちゃんだと名乗ることも出来なくなった。

 それが寂しくないといえば嘘になる。


 でも、とっくに覚悟は決まっていると、養子縁組の書類にサインをした。

 これが、私が佐藤 澪として過ごした最後のクリスマス。

 これからの私は桜坂 澪となり、悪役令嬢としての人生を歩み始める。

 

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