エピソード 1ー6

 こうして両親に内緒で計画を進めた私は、その帰りにバイト先のカフェを訪れた。

 代わりのバイトが見つかるまで、桜坂家が代理を派遣してくれることになり、私がバイトに向かう必要はもうないと言われた。でも、最後に一日だけ働かせて欲しいとお願いしたのだ。


 結果、クリスマスが私にとって最後のバイトの日になった。カフェの制服に着替えてフロアに顔を出すと、ちょうど楓さんがレジを打っているところだった。

 レジを打っていると言うことは、そのお客さんが席を立ったということだ。私はすぐにトレイを持って席に移動し、テーブルの上を片付ける。


 まずは食器を下げて、続けてテーブルを綺麗に磨きあげる。周囲にゴミが落ちていないか確認すると、椅子の上に真っ白なマフラーが落ちていることに気が付いた。

 お客さんが落としたのかなと、私はマフラーを持ってレジに急ぐ。


「楓さん、これ、忘れ物です」

「あっちゃ~、いまちょうど出たところよ。忘れ物置き場に置いておいて」

「……楓さん、このマフラーを使ってたの、どんな人ですか?」


 預かっておくだけでも問題はないのだけど、私がこのお店で働くのは今日が最後だ。だから心残りは残したくない。そう思ってお客さんの容姿を尋ねた。

 幸い特徴的な容姿だったから、いまならまだ見つかるかもしれない。


「ちょっと見てきます」


 真っ白なマフラーを持って店の外に出る。少し周囲を見回すと、楓さんから聞いたとおりのお嬢様風の恰好をした女の子が、少し離れた場所にたたずんでいた。

 私の妹と同い年くらいだろうか? 儚げで愛らしい女の子だ。


「あの、すみませんっ」

「……なんだ、おまえは」


 駆け寄ると、少し気の強そうな男の子が、儚げな女の子を庇うように割り込んできた。女の子に負けず劣らずの整った顔立ちで、二人揃うと物凄く絵になっている。

 思わず見惚れていると、男の子が胡散臭そうな顔をした。


「あ、えっと、私はそこのカフェで働いている店員です。それで、マフラーの忘れ物を見つけて届けに来たんですが……そちらの女の子のマフラーではないですか?」

「……ああ、たしかにそれは瑠璃のマフラーだな」


 女の子は瑠璃と言うらしい。彼女は自分の首にマフラーがないことを確認してハッと驚くような顔をする。どうやら、彼女のマフラーで正解だったようだ。

 それを確認した私は、瑠璃ちゃんの首にマフラーを巻いてあげる。そうして顔を盗み見ると、されるがままの瑠璃ちゃんの頬が少し赤らんでいる。


「マフラー、もう忘れちゃダメだよ」

「……ありがとう、ウェイトレスのお姉さん」


 赤らんだ顔で私を見ていた瑠璃ちゃんがぎこちなく笑った。この子、もしかして……と考えていると、男の子に「おい、おまえ」と腕を摑まれる。


「……えっと、なにか?」


 私が少し警戒すると、瑠璃ちゃんが「妹の前でナンパですか?」と首を傾げた。どうやら二人は兄妹のようだ。半眼で睨まれた男の子があからさまに動揺する。


「いや、そうじゃない。その……さっきは疑って悪かった。それと、瑠璃のマフラーをわざわざ届けてくれたことに感謝する。これは瑠璃が大切にしているマフラーなんだ」

「そうだったんですね、なくさないでよかったです」


 私は笑みを浮かべ「ところで――」と瑠璃ちゃんに視線を向ける。妹の件で人の体調について注意深くなっている私の勘が、瑠璃ちゃんの体調不良を訴えている。


「彼女、もしかしたら熱があるんじゃないですか?」

「なにっ!?」


 男の子が慌てて瑠璃ちゃんのおでこに手のひらを押し当てた。それから反対の手を自分のおでこに当てると、その温度差をたしかめて表情を険しくした。


「……たしかに熱があるようだな。すぐに家に帰ろう」

「これくらい大丈夫です」

「おまえの大丈夫はあてにならない」


 次の瞬間、男の子が瑠璃ちゃんを抱き上げた。

 うわぁ……お姫様抱っこだ、私と同い年くらいなのに、女の子を軽々と抱き上げるなんてすごい。とても妹さん想いの優しい男の子なんだね。妹ラブの私的に、妹を大切にする男の子はポイントが高い。そんな風に微笑ましく思っていると、男の子が私に視線を向けた。


「妹は病弱なクセに意地っ張りでな。熱が出ていることに気付いてくれて助かった。この借りは、後日必ず返させてもらうと約束しよう」


 男の子はそう言いながら私の制服を見て、続けて私がやってきた方に視線を向けた。もしかしたら、後日カフェにお礼に来るつもりなのかもしれない。

 だけど、私がカフェでバイトをするのは今日で最後だ。

 私と彼が再会することはない。


「気にしなくていいですよ」

「そうはいかない。受けた恩は必ず返す」


 彼はそう言い残し、瑠璃ちゃんをお姫様抱っこしたまま去っていった。瑠璃ちゃんは恥ずかしそうに卸してと抗議していたけれど、彼は聞く耳を持っていないみたいだ。

 そんな二人の微笑ましい姿を無言で見送り、私もまたカフェに戻る。


「おかえり、どうだった?」


 入り口で、心配そうな楓さんに出迎えられた。


「大丈夫です、ちゃんと届けられました」

「そう、よかったわ。……それじゃ、バイトの最終日、よろしくね」

「はい、任せてください!」


 寂しさを振り払い、私は最終日のバイトに臨む。

 今日はクリスマスということで、桜花百貨店も若いカップルや親子連れなんかで賑わっていた。普段より客足が多く、また客の出入りもいつもより激しい。


 楓さんは大忙しで、私もまたせわしなくフロアの中を走り回った。そうして夜になり、客足が落ち着いた頃、ついにバイトの終わる時刻が訪れた。

 私はカウンターの向こうにいる楓さんにぺこりと頭を下げた。


「楓さん、いままで中学生の私を働かせてくれてありがとうございました」

「こちらこそありがとう。貴女が働いてくれてよかったって心から思っているわ。また働く気になったらいつでもいらっしゃい。貴女ならいつだって大歓迎よ」

「楓さん、ありがとう!」


 感謝の気持ちを込めてお礼を口にする。

 すると、楓さんが不意に心配するような面持ちになった。


「ところで、シャノンさんから事情を聞いたわよ。桜坂家の養子になるんですってね? ずいぶんと思い切ったことをしたわね」

「条件がよかったんです。あと、すみません。その件は秘密なので……」

「もちろん分かってる。シャノンさんから口止めされているし、桜坂財閥を敵に回すような真似はしないわ。ただ、両親をどうやって説得したのかなって」


 私はそっと視線を外した。

 

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