エピソード 1ー5

 桜坂財閥のお嬢様と取り引きして、悪役令嬢になると約束した。だがそれは、私が桜坂家の養女になることを意味していると告げられた。

 聞いてないよと、ちょっと取り乱した。


 でも、悪役令嬢にはそれ相応の身分が必要だと説明され、私はそれに納得してしまった。妹を救うために桜坂家の養子になる必要があるのならためらう理由はない――と。


 だけど、私が納得するのと、両親が納得するのは別問題だ。すべてを正直に打ち明けても、両親や妹に反対されることは想像に難くない。

 だから私はまず、雫の病室へとおもむいた。


「澪お姉ちゃん、転院が決まった……って、どういうこと?」

「だからね。私がひったくり犯から鞄を取り返した相手が、偶然にも桜坂財閥のお嬢様だったの。それで雫のことを話したら、財閥御用達の病院で面倒を見てくれるって」


 入院費用は全部相手持ちで、しかも充実した医療を受けられるんだよと説明する。それを聞いた雫は喜ぶでなく、ただ半眼になって私を睨んだ。


「お姉ちゃん? いくら私でも、そんな作り話は信じないよ」

「そういうと思って、はい、証拠」


 紫月さんにお願いして撮影した、ツーショット写真をスマフォで表示する。


「うわぁ、モデルみたいに綺麗な人だね。でも、この人が財閥のご令嬢だって証拠にはならないよ。プロフィールでも載ってるなら別だけど――」


 疑う雫に向かって、続けてあらかじめ検索していたページをブラウザで表示する。検索ワードは、財閥と桜坂紫月だ。彼女がなにかのパーティーに出席した写真が表示されている。

 それを見た雫は目を見張って、自分の手元にあるノートパソコンで検索を始めた。


「お姉ちゃん、もう一回、さっきのツーショット写真を見せて!」

「……これでいい?」


 私がその写真を表示すると、雫はマジマジと私のスマフォと自分のノートパソコンを見比べる。それを十回くらい繰り返した雫は「嘘、本当に本人だ……」と呟いた。


「それじゃあ……私が病院を移るのも本当なの?」

「神様がくれたクリスマスプレゼントかもね。これで雫の病気もきっとよくなるよ」


 私は優しく微笑みかける。

 こうして、雫が医療体制の充実した病院へ移れるという事実を打ち明けた。だけど私が悪役令嬢を目指すことはもちろん、養子になることは打ち明けなかった。


 理由は単純だ。

 妹のために無理をしていると誤解されたくなかったから。


 私がバイトを始めたのは雫の病室を個室にするため。

 雫は私の一つ下で、十四歳の女の子だ。そんな年頃の女の子が不特定多数の人が出入りする大部屋で生活するのは大変だから、個室に入れてあげたいと思った。


 だけど、そうするには個室ベッド代が掛かる。

 医療費は限度額が決まっているけれど、リース代や食費を始めとした経費は別に必要になる。個室を希望した場合の差額ベッド代も含めれば、月に十数万のお金が必要となる。


 短期入院ならなんとかなっただろう。でも雫が患ったのは難病で、入院は年単位で続くことが予想される。十数万に及ぶ費用を毎月、何年も払い続けるのは大変だ。

 それが分かっているからか、妹は個室に入りたいとは言わなかった。だから私が半ば強引に個室を指定して、その費用を稼ぐためにバイトを始めたのだ。


 でもそれは、私がそうしたかったから。義務として嫌々やっている訳じゃない。なのに、バイトに行くと告げる私に、雫はいつも申し訳なさそうな顔をする。


 だから、私が養子になることや、悪役令嬢を目指すことは秘密だ。三年後に最新の医療を受けられるかもしれないこともしばらくは秘密にする。


 だけど、転院すると聞いた雫が浮かべたのは、様々な感情をごちゃ混ぜにした笑顔だった。

 財閥御用達の病院に移ることで生じる希望と、そんな幸運があるのだろうかという困惑。そして、姉が無理をしているのではないかという疑念。

 賢い雫は、私がなんらかの代償を支払った可能性を疑っているのだろう。


 それでも、雫に想像が可能なのは、私が少し大変なバイトをしていると予想する程度だろう。私が桜坂家の養子になって、悪役令嬢を目指すことになったとは夢にも思わないはずだ。

 だから、これでいい。

 真実を知らなければ、雫がこれ以上の責任を感じることはない。


「転院は週明けだから、用意しておいて……くれるよね?」


 このプレゼントを受け取ってくれるかと言外に問えば、雫は涙を浮かべて微笑んだ。


「ありがとう、澪お姉ちゃん。この恩は死んでも忘れないよ」

「……っ。それじゃ、私は行くから。転院の用意を忘れないでね」


 私はクルリと身を翻し、足早に雫のいる病室を後にした。

 そして――壁に腕を叩き付けた。


 雫はこの恩を‘死んでも’忘れないと言った。自分の余命が残りわずかだと知り、自分には恩返しの機会が残されていないと思っているのだ。


 それは転院の件を聞かされた後でも変わっていない。

 雫はあの小さな身体で自分の死を受け入れてしまっている。


 だけど、そんな悲しい結末を私は認めない。

 雫は私が死なせない!

 

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