エピソード 1ー4

 理解が追いつかなかった。すぐに冗談だと思おうとした。でも、赤い瞳でまっすぐに私を見つめる彼女の姿は、とても冗談を言っている人の顔ではない。

 少なくとも、彼女は本気でそう言っているように見えた。


 でも、だからと言って、そんな突拍子もない話は信じられない。そう口にしようとした瞬間、紫月さんのスマフォからアラーム音が聞こえた。


「そろそろ時間ね。澪、そこから、私達が出会った横断歩道が見えるかしら?」

「え? あぁ……はい、見えますけど……」


 窓から見下ろした景色には、さきほどの横断歩道の向こう側が見えている。でも、それがどうしたんだろうと首を傾げる私に向かって、彼女はこう言った。


「次に歩道側の信号が青になったら、杖を突いたご老人が横断歩道を渡り始めるわ。だけど、あの信号は歩道の青が短いでしょ? だから、通りかかった女の子が心配して、ご老人の荷物を持って、一緒に横断歩道を渡ってあげるのよ」

「……なんですか、それ」

「原作乙女ゲームのプロローグよ」

「私を……からかっているんですよね?」


 信じられないと疑って掛かる私に、紫月さんは苦笑いを浮かべた。


「そうね、普通は信じられないわよね。わたくしも最初はそうだったわ。でも、この世界はわたくしの記憶通りに歴史が進んでいる。だからこれも――ほら、信号が変わるわよ」


 紫月さんが窓の下に視線を移すのを見て、私も半信半疑で追随する。真下に当たる手前の歩道は見えないけれど、向かい側の歩道から歩き始める人々の姿が確認できた。


 そこに、それらしき老人の姿は見当たらない。

 やっぱりからかわれたんだ。そう思った瞬間、手前の死角から杖を突いた老人の姿が現れた。続いて、老人の後ろを歩く、荷物を持った少女の姿が目に入る。


「……夢でも見ているの?」


 こんな予言じみたことが現実に起こるなんてあり得ない。これがすべて、彼女の仕込みなのかもしれないという考えすら脳裏をよぎる。

 でも、私はただの一般人だ。

 そんな私を騙すために、桜坂財閥のお嬢様がここまで手の込んだことをするだろうか?


 分からない。分からないから、彼女の言葉が真実かどうかは保留。私は紫月さんの言葉が真実であることを前提に、出来る限りの情報を集めることにした。


「……あれは、どういうシーンなんですか?」

「ご老人は十五大財閥の一つである名倉財閥の当主よ。そして女の子は原作乙女ゲームのヒロインである柊木ひいらぎ 乃々歌ののか。庶民の男と駆け落ちをした、当主の娘の忘れ形見よ」

「……孫娘、ということですか?」

「そうよ。乃々歌ちゃんは、自分の祖父が財閥の当主だなんて知らなかった。でも、祖父の方はそうじゃない。お礼をするために彼女の名前を聞いて驚くことになるわ」


 紫月さんがそう口にすると同時、横断歩道を渡りきった老人が女の子に話しかけた。そして、それに応える女の子に対し、老人は驚くような素振りを見せる。


 ここから二人の表情がしっかりと見える訳じゃない。でも、紫月さんが言う通りのシーンにしか思えないやりとり。まるで、紫月さんの言葉に彼らが操られているかのようだ。

 紫月さんは「そのシーンの描写はこうよ」と前置きを入れ、ナレーションのように語った。


「――それは、六つの鐘が鳴り響く聖夜に起きた奇跡だった」


 直後、時計台の鐘が午後六時を知らせて鳴り響く。

 あぁ……そういえば、今日はクリスマスイブだった。

 歩道の二人に視線を戻した私は、それがゲームのワンシーンのようにしか思えなくなった。


「……本当に、ここは乙女ゲームをもとにした世界なんですか?」

「信じられないのなら、後でいくつか予言をしてあげるわ」


 堂々とした態度の彼女は、とても嘘を吐いているようには見えない。

 なにより、私がその話を信じたいと思ってしまった。

 だって――


「もしかして、妹の病を治す方法が三年後に認可されるというのは……」

「原作乙女ゲームの知識よ。原作乙女ゲームの登場人物に、貴女の妹と同じ難病を抱える子がいて、その治療法によって救われるの」


 魂が震えた。

 だって、紫月さんの言葉が本当なら、治験中の治療法はあやふやな希望なんかじゃない。成功が約束された、雫を救う確実な希望と言うことだから。

 この機会を逃すなんてあり得ない。

 だけど――


「一つ、確認させてください。悪役令嬢って……破滅しますよね?」

「ええ。悪役令嬢が最後に破滅するのは運命よ」

「では、代役を立てるのは、自分が破滅したくないからですか? 破滅したくないだけなら、破滅するようなことをしなければいいと思うのですが……」


 犯した罪から逃れるために、スケープゴートを用意するのは分かる。でも、まだ罪を犯してすらいないのなら、破滅を回避する方法はいくらでもある。

 悪役令嬢の代役を立てるなんて、回りくどい手段を選ぶ必要はないはずなのだ。


「そうね、わたくしが破滅を回避するだけならその通りよ。実際、わたくしは乙女ゲームの舞台となる学園には入学せず、海外の高校に留学するつもりだしね」

「なのに、悪役令嬢の代役を立てるんですか?」


 彼女の意図が読めなくて警戒する。


「結論を言うと、ヒロインと攻略対象が結ばれないと、未曾有の金融恐慌が日本を襲うというバッドエンドが訪れるの。そしてその場合、治療法も確立されないの」

「それらを防ぐにはハッピーエンドが必要、という訳ですか」

「そう。そしてハッピーエンドを迎えるにはヒロインが攻略対象と結ばれる必要があって、二人が結ばれるためには、悪役令嬢の破滅が不可欠なのよ」

「……なるほど」


 悪役令嬢の役目を果たすと紫月さんは破滅する。でも、悪役令嬢が役目を果たさなければ金融恐慌が起きる。それは財閥の娘である彼女にとって見過ごせない事態だろう。

 だから、代役の悪役令嬢が必要、ということだ。


「つまり紫月さんは私に、ヒロインと攻略対象をくっつけるために悪役令嬢になって破滅しろ……と、そう言っているんですね?」

「妹さんの命と引き換えだもの。相応の代償があるのは当然でしょ?」


 紫月さんは悪びれることなく言い放つ。

 私はそれを聞いて――


「安心しました」


 安堵から微笑んだ。

 紫月さんの眉がピクリと動く。


「……安心? どういうことかしら?」

「実のところ、あまりに私にとって都合のいい話だから、なにか騙されているんじゃないかなって警戒してたんです。でも、紫月さんの説明で納得がいきました」


 それだけ重要な役目を任されるなら、妹の治療と引き換えでも不思議じゃない。そう納得したから安心したのだ。紫月さんはきっと本当のことを言っている、と。

 そして彼女の言葉が事実なら、自分の身を差し出す覚悟はとっくに出来ている。

 だから――


「私、悪役令嬢になります」


 妹を救えるのなら迷わない。

 たとえその先に待っているのが、私自身の破滅だと分かっていても。

 

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