エピソード 1ー3

「いらっしゃいませ、お席に案内いたします」

「――恐れ入りますが、窓際の席でもよろしいですか?」


 案内をする私にメイドさんが希望したのは、窓際にある四人掛けのテーブル席。混んでいる時間帯なら遠慮してもらうところだけど、この時間帯なら問題はない。


「かしこまりました。では、窓際の席にどうぞ」


 席に案内して、お水をお持ちしますと言ってカウンターの奥に戻る。そうして水を注いだコップをトレイに乗せていると、さきほどのメイドさんがやってきた。

 彼女はカウンター越しに話しかけてくる。


「失礼いたします。このお店の責任者はどなたでしょう?」

「責任者は楓さんですが――」


 そう言って視線を向ければ、声が聞こえていたのか、楓さんが「私が責任者の松山ですが、どういったご用件でしょうか?」と応じた。


「申し遅れました。わたくし、桜坂財閥の紫月お嬢様にお仕えするシャノンと申します」


 私達は揃って目を見張った。桜坂財閥といえば、三大財閥の一角、日本で暮らしていて、その名を知らない者はいないほど有名な財閥だ。


「その桜坂財閥のメイドさんが、私になんのご用でしょう?」

「さきほど、そちらのお嬢さんに紫月お嬢様がお世話になりまして。ぜひお礼をしたいとお嬢様が仰っています。ですので、彼女のお時間を少しお貸しいただけないでしょうか?」

「桜坂財閥のお嬢様のお世話を、澪が?」


 楓さんに『どういうことか説明して!』と目で訴えられる。私は少し目を泳がせつつ「さっき、その……色々ありまして」と応じた。

 色々ってなによ! と言いたげな楓さんはちょっぴり涙目である。


「松山様、言葉足らずで申し訳ありません。さきほど、彼女がひったくり犯から、お嬢様の鞄を奪い返してくださったので、そのお礼という意味で他意はございません」

「そ、そうなの? というか、澪、そんな危険なことをしたの?」


 ジロリと睨まれてさっと視線を逸らした。

 楓さんは小さく溜め息をついて、メイドのシャノンさんに視線を戻す。


「事情は承りました。――澪、少し休憩を取ってかまわないわ」

「接客は大丈夫ですか?」


 私が来る前にいたバイトは入れ替わりで上がっている。まだ混み始める時間ではないけれど、私が席を外すと困るのではないかと心配した。


「僭越ながら、澪様をお借りしているあいだは、私が接客のお手伝いをさせていただきます」


 シャノンと名乗ったメイドさんが名乗りを上げる。楓さんは私とメイドさんを見比べ、どこか疲れた顔で「そういうことみたいだから大丈夫よ」と息を吐いた。

 なんかごめんなさいと心の中で謝って、私はお嬢様が座る席に向かった。


「お待たせしました」

「来たわね。まずは座って」


 勧められたのは上座の席、お嬢様が座っているのが下座である。

 窓際の席で分かりにくかった――なんて、財閥のお嬢様やメイドさんが気付かないはずないよね。ということは、恩人として私を立ててくれているのかな?

 そう思った私は彼女の勧めに従って席に座った。それを見届けたお嬢様がふっと笑う。


「物怖じしない性格ね。それに頭の回転も悪くないし、判断までの時間も速い。やっぱり、私の判断は間違っていなかったわ」

「……はい? あの……なんの話ですか?」

「貴女へのお礼の話よ」


 どう考えても、そういう話じゃなかった気がする。でも、それは情報が足りていないからだろう。そう思った私は彼女が説明するのを待った。

 お嬢様は満足気に頷き、話を再開する。


「そういえば名乗っていなかったわね。私は桜坂 紫月よ」

「あ、すみません。私は――」

「佐藤 澪さんでしょ? 貴女へのお礼を考える際に、少し貴女のことを調べさせてもらったわ。妹さんがずっと入院しているそうね?」


 名前どころか、妹のことまで知られている。あれからまだ一時間くらいしか経っていないのに、彼女は私の素性を調べ上げたらしい。

 でも、私が感心していられたのは次の言葉を聞くまでだった。


「妹さんの容態、思わしくないそうね」


 なぜそのことを話題にするのか理解できなかった。せっかくバイトに集中して、頭の片隅に押しやっていた不安が膨れ上がる。

 彼女に対する負の感情と、妹を心配する負の感情が交ざってぐちゃぐちゃになった。


「わたくしの代わりに悪役令嬢になりなさい。そうしたら貴女の妹を助けてあげる」


 不意に、彼女がそんな提案をした。いきなり、悪役令嬢になれと言われても意味が分からない。でも、妹を助けるという言葉が私の琴線に触れた。


「……妹を、助けられるんですか?」


 縋るような視線を向ける私に、彼女はこくりと頷いた。


「私の代わりに、貴女が悪役令嬢になってくれるのならね」


 もしも悪魔に魂を差し出せと言われたなら、私は即座に頷いたかもしれない。けど、悪役令嬢になれというのは、応じる応じない以前に意味が分からない。

 そうして混乱した私は思わず――


「貴女は悪役令嬢なんですか?」


 すごく失礼なことを口走ってしまった。

 でも、


「そうよ」


 返ってきたのはそれを肯定する言葉。

 彼女がお嬢様であることは間違いない。でも、悪役令嬢と言われて思い浮かべるような嫌味な性格だとは思えない。私をからかっているのなら酷いと思うけど……

 そうやって私の混乱が加速していく。


「すみません、順を追って説明していただけますか?」

「そうね、少し急すぎたわね。まずは……そう、お礼の話から始めましょう。取り引きに応じてくれるのなら、貴女の妹を助けてあげるわ」

「……妹の、病気を知っているのですか?」

「そちらも確認済みよ。難病を患っていて、最近になって症状が悪化しているのよね?」

「それでも、妹を助けてくれる、と?」


 彼女の返答を待つ私は、知らず知らずのうちに息を止めていた。私には雫を救う方法を見つけられなかったけど、桜坂財閥のお嬢様ならなにか方法を知っているかもしれない。


「海外で治験がおこなわれているのは知っているかしら?」

「……はい。でも、治療法として認可されるのは、早くても五年だって」

「少し違うわね。日本で一般的に治療を受けられるようになるまでが五年くらいよ。海外で認可されるのはおそらく三年後になるわ」

「……三年後なら、その治療を受けられるんですか?」


 先生が言うには、雫の余命はあと三年ほどだ。三年後に治療法が認可されるなら、雫はギリギリ助かるかもしれないとわずかな希望を抱いた。


「残念だけど、ただの庶民が海外で認可されたばかりの治療を受けるのは不可能よ。よほどのお金とコネがなければ、ね」

「お金と、コネ……」

 どちらも私にはないものだ。だけど、彼女は取り引きと言った。だったら――と、期待と不安をないまぜにしたような視線を向けると、桜坂財閥のお嬢様は小さく頷いた。


「その治療法を研究している機関には、私個人が資金援助をおこなっている。つまり、私が声を掛ければ、誰よりも早くその治療を受けることが可能よ」


 ここに来て、雫を救える希望が見えてきた。

 だけど――と、彼女は続ける。


「ひったくり犯から鞄を奪い返してくれたことは感謝しているわ。でも、貴重なコネを使い、莫大な治療費を肩代わりするほどの感謝ではないわ」

「それは……はい」


 様々な費用を含めると、入院しているだけでも毎月十数万円の費用が掛かっている。保険が利かない海外の最新医療ともなれば、桁がいくつか変わってもおかしくない。

 貴重なコネと莫大な費用、それをお礼に欲しいなんて言えるはずがない。


 だけど、それでも――と、私は唇を噛んだ。

 雫を救える可能性が目の前にあるのに、私はその希望を摑むことが出来ない。自分の非力さに下を向いていると「だから、恩人の貴女に機会をあげようと思ったの」と彼女は言った。


 そうだ、彼女は交換条件を出していた。

 それを思いだした私は顔を上げる。


「その条件というのは、貴女の代わりに悪役令嬢になること、ですか?」

「ええ。貴女が悪役令嬢になって目的を果たしてくれたのなら、新たな治療法が認可され次第、雫さんに治療を受けさせてあげる。もちろん、費用はすべてこちら持ちよ」


 その治療法が、本当に雫の病を癒やしてくれる保証は何処にもない。だけど、いままでは、その保証のない可能性すら存在していなかった。

 その治療法こそが、雫を救う唯一の希望のように思えた。


 問題は、治験が終わるのがおよそ三年後ということだ。その治療法で本当に雫の病気が治るのだとしても、雫がそれまで生きられなければ意味がない。

 そんな私の懸念を見透かしたかのように、彼女は提案を口にする。


「貴女がひったくり犯から鞄を取り返してくれたお礼に、妹さんを国内で最高の医療体制が整った、財閥御用達の病院で面倒を見てあげる。もちろん、その費用もこちら持ちよ」

「……財閥御用達の病院、ですか?」


 入院費用を肩代わりしてくれるのは嬉しいけど、いま重要なのは新たな治療が受けられるようになる三年後まで雫が生きられるかどうかだ。

 その病院を進められる理由が分からなくて首を傾げる。


「最新医療機器はもちろん、設備も充実した病院よ。医師の数に対して患者の数が少ないから、二十四時間態勢で患者の容態をモニタリングすることも出来るわ」

「え、それじゃあ……」

「総力を挙げて、妹さんの延命を図ると約束するわ」


 すごい――と、私は目を見張った。

 さっきまでは、雫を救う方法はもうないんだって絶望していた。

 だけどいまは、目の前に雫を救えるかもという希望が見える。


「教えてください。悪役令嬢になれというのはどういう意味なんですか?」

「……ええっと、悪役令嬢は分かるわよね?」

「乙女ゲームなんかに出て来る、悪役であるお嬢様のことですよね?」


 性格が悪く、その地位や権力を使ってヒロインを虐めたりする悪役のお嬢様だ。ユーザーの敵意を集めた後は、ユーザーの鬱憤を晴らすような形でみっともなく破滅する。

 いわゆる噛ませ犬のような存在だ。


「その悪役令嬢になって欲しいの。わたくしの代わりに」

「……その、お嬢様の代わりというのはどういう意味ですか?」

「紫月でかまわないわよ」


 恐れ多いとは思ったけど、いまは質問の答えを聞く方が重要だと思って、紫月さんと言い直す。そうして「お芝居かなにかに参加しろ、ということでしょうか?」と尋ねた。


「そうとも言えるけど、そうじゃないとも言えるわね。貴女が演じるのは何処かの劇場にある舞台の上じゃなくて、この世界という舞台の上だから」

「それは、どういう……」


 困惑する私に彼女は静かに言い放った。


「ここは、乙女ゲームをもとにした世界なの」

 

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