エピソード 1-1

 中学からの帰り道、病院に立ち寄るのが私の日課となっていた。


「澪お姉ちゃん、いつもありがとうね」


 病院にある小さな個室のベッド、上半身を起こした少女が穏やかな声でお礼を言う。彼女の名前はしずく。私にとって掛け替えのない妹だ。

 だけど彼女は数年前に難病を患って、それからずっと入院生活を続けている。


「雫、体調はどう?」

「……うん、最近はだいぶ調子がいいよ」


 その優しげな瞳に私を写し、ふわりと笑みを浮かべる。

 彼女が患っている難病にはこれといった治療法がない。治るか悪化するかは本人の運次第である部分が大きいのだけど、ここ最近の雫は少しずつ明るさを取り戻している。

 この調子ならきっと、すぐに元気な雫に戻ってくれるはずだ。


「早くよくなって、昔のように一緒にお出かけしようね」


 雫に手を伸ばし、私と同じ夜色の髪を指で梳いてあげる。彼女はくすぐったそうに目を細めて「うん、そうなるといいね」と笑みを浮かべた。


「そういえば、今日学校でね――」


 友達から教えてもらった流行について語る。他にも雫が愛読しているファッション誌を一緒に眺めたりと、穏やかな姉妹の時間を過ごした。

 そうしてほどなく、スマフォに設定していたアラームが鳴った。バイトまではまだ少し時間があるけれど、今日は買い物があったことを思い出す。


「そろそろ行かないと」

「まさか、バイトの時間を早めたの?」

「違うよ。今日は少し買い物があるの」

「そっか。澪お姉ちゃん……その、ごめんね?」

「どうして雫が謝るのよ。それじゃ、もう行くわね」


 雫の反論を封じ、私は病室を後にした。

 そうして部屋を出たところで雫の担当医と出くわした。年の頃はパパより少し若いくらいだけど、とても優秀な先生だと、仲良くなった看護師のお姉さんから聞いている。


「先生、いまから雫の往診ですか?」

「いや、キミに話がある。いまから少し時間はあるかい?」

「……はい、少しなら」


 買い物は明日だって出来る。というか、妹の担当医から真面目な口調で私に話があると言われて、それを聞かないなんて出来るはずがない。


 私は先生の案内で、受付の置くにある部屋へと連れてこられた。

 看護師さんの勧めに従って、そこに置かれていた丸椅子に腰掛ける。そうして、向かいの席に座った先生に「……話ってなんですか?」と問い掛けてスカートの裾を握る。


「話というのは他でもない、雫さんのことだ。キミのご両親には先生の口から上手く伝えて欲しいとお願いされ、雫さんには黙っていて欲しいとお願いされたんだんだが……」


 長い前置きが私の胸をじりじりと焦がす。


「教えてください、雫になにかあったんですか?」

「……落ち着いて聞いて欲しい。雫さんの容態がかなり悪化しているんだ」


 とたん、目の前が真っ暗になった。


「嘘、です! 雫、さっきも最近は調子がいいって……っ」

「それは……キミの前だからだよ。彼女はキミが来たときだけ元気に振る舞っているんだ。本当なら、キミと話すだけでもかなりしんどいはずだ」

「……そん、な」


 信じられない。信じたくない。

 でも同時に、先生の言葉が真実だと納得する自分がいた。私が元気かと問い掛けたときの雫は私の目を見て、それから一拍おいて笑みを浮かべた。

 自然に零れた笑みなら一拍置くのは不自然だ。


 あれは、私を心配させないために、無理に浮かべた笑顔だったのかな? そうして思い返すと、心当たりがいくつも浮かんでくる。

 私は思わず先生に縋り付いた。


「先生、教えてください。雫は……雫は、どういう状況なんですか?」

「……いますぐどうと言うことはない。ただ、よくない方向に向かっていることだけはたしかだ。このままだとおそらく……あと三年と言ったところだろう」


 ふらりと、その場で意識を失いそうになった。

 その瞬間、背後に控えていた看護師のお姉さんに肩を支えられる。


 あぁ……そっか。私に椅子を勧めたのは、こうなることを予想していたからか。

 ――と、そんなどうでもいいことを理解して冷静になる。私は先生の言葉を思い返した。雫は私の一つ下で中学の二年。つまり、雫が高校を卒業することは出来ない。


 思わず唇を噛んだ。

 雫が患っているのは難病の一つだ。完治した例もいくつか存在するが、これといった治療法は存在しない。運命に身を任せ、やがて死に至るケースが大半である。

 それでも、雫は小康状態を保っていた。だから、いつかは難病なんて蹴り飛ばし、元気な雫が帰ってくるんだって信じてた。……信じて、いたのに……っ。


「お願いします、雫を救ってください! 必要なら、私の臓器でもなんでも使ってくれてかまいません! だから、どうか、お願いだから、雫を……妹をっ!」

「残念だが、臓器移植で救えるような病気ではないんだ。それに、現時点でこれといった治療法は存在しない。海外では様々な治験がおこなわれているから、あと五年も経てば……」


 先生は酷く後悔した顔で口を閉じた。その五年が、雫には残されていない。奇跡でも起きなければ、雫を救うのは不可能だと言うことだ。


「……悔しいよ。どうして神様はこんな酷いことをするの?」


 雫はとても優しい女の子だ。

 心配させまいと、私のまえでは笑顔を浮かべていた。先生を口止めして、私が雫の状態を知らないでいられるようにしようとした。自分が一番苦しいはずなのに、私や両親の心配ばかりしている。そんな天使みたいな雫が、成人することすら出来ないの?

 あまりの悔しさに、私の視界が涙でにじんだ。


「澪さん、気を落とさないで。さっきも言ったが、いますぐどうと言うことはないんだ。それに、三年と言ったのは、回復の兆候が見られなければ、ということだよ。いまは悪化を続けているが、いつか回復の兆しが現れるかもしれない」


 もちろん、可能性は零じゃないのだろう。

 でも、いままで私が思っていたような確率でもない。先生の言葉が私に対する慰めの意味しか持たないと理解して、それでも希望を取り戻すなんて私には出来なかった。

 慰めに対して「ありがとうございます」と精一杯の笑みを返す。そうして不器用に笑う私に、先生はとても哀しそうな顔をした。

 

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